神風の名のもとに
梓特別攻撃隊の任務を終えた隊員達。
しかし、彼らも終戦までに多くが命を散らしてしまっています。
昭和20年3月18日九州沖航空戦で、二六二飛行隊の爆装銀河が出撃。梓隊の銀河三機未帰還(9名戦死)。菊水部隊銀河隊とされる。
3月27日、九州沖のアメリカ機動部隊を攻撃して梓隊銀河一機特攻(3名死亡)。神風特別攻撃隊第一銀河隊になる。
4月7日に、神風特別攻撃隊第四銀河隊として梓隊銀河一機、爆装して出撃。天候不良で中国大陸に不時着。(2名死亡)
4月16日、神風特別攻撃隊第四銀河隊としてヤップ島から生還した梓隊3名の搭乗する銀河、喜界島沖のアメリカ機動部隊に特攻戦死。(3名死亡)
5月14日、鹿屋から美保航空基地に向かった梓隊銀河、未帰還。撃墜された模様。(3名死亡)
もう悲惨を極めるんです・・・(涙)。
なんでも神風つければいいってもんじゃないぞ、第五航空艦隊司令部!(怒)
この頃には、梓隊の銀河だけでなく、零戦から、彗星から、天山から、ありとあらゆる飛行機が特攻に向かっていますので、梓隊だけが悲惨というわけではないのですが。
せっかく、梓特別攻撃隊で生き残っていた銀河隊メンバーたちも、20名が戦死・あるいは未帰還。
二六二飛行隊は壊滅的となり、6月に解隊します。
残っていた銀河搭乗員達は、四〇五飛行隊と五〇一飛行隊に分かれていきました。
それからの黒丸大尉
そして、黒丸直人大尉は、四〇五飛行隊が属する七〇六空の飛行隊長に任じられました。
この頃の黒丸大尉と会った人は
「元気がなかった」
「顔色が悪かった」
「さみしそうだった」
と言っており、かっての黒丸大尉とは様子は違っていたようです。
そりゃあ、そうだろうなあ・・・。
梓特別攻撃隊で懸命に使命を果たそうとしたけれど、戦果は少ししかあげられず、部下達は死に、ヤップから必死に連れてかえってきた部下達も特攻で戦死。元気もなくなりますよねえ。
そして、8月5日、黒丸大尉は、神風特別攻撃隊第五御盾隊を命じられ、台湾に渡っています。また、特攻せよ、と言われたわけですね・・・。
しかし、出撃命令が出る前に、8月15日、終戦を迎えました。
終戦後、黒丸大尉は、台湾からの第三次引き揚げ船の先任将校を命じられ、昭和21年3月、広島の宇品港に帰国。
解散にあたり、黒丸大尉は
「隊長として最後の命令を下す。ただ今より、総員、祖国の復興にかかれ。終わり」
と最後の訓示をしたそうです。
しかし、黒丸大尉自身は、「祖国の復興」に関わることはできませんでした。
飛行機の爆音のたびに空を見上げて
黒丸大尉は故郷の新潟県・柏崎に帰り、昭和32年2月27日に死亡しています。
病没でした。享年39歳。終戦から12年目の年でした。
故郷に帰ってから、胸を病み、療養所との入退院を繰り返す日々だったそうです。
故郷では、戦争中のことも梓特別攻撃隊のことも、ほとんど話さなかったそうです。
ただ、飛行機の爆音が聞こえるたびに空を見上げていたそうです。
「俺も一緒に死んでしまいたかった」
「部下の方々の家を訪ねて、本人たちの当時の立派な気持ちを伝えたい」(しかし、自分の胸を病んだ今の体ではそれができない)
「自分に直接関わって戦死した部下が百余名ある」
と、ぽつり、ぽつりと家族に話すくらいだったそうです。
戦争が終わった空を飛ぶ飛行機を見上げて。
病で細くなった体を横たえながら。
黒丸大尉は銀河隊の仲間の顔を、一人一人、思い浮かべていたのでしょう。
ああ、黒丸大尉に言ってあげたい。
黒丸大尉は精一杯頑張りましたよ。
梓特別攻撃隊の作戦自体が、困難度マックスな作戦だったのに。
ベストを尽くしましたよ。
ヤップ島からも部下を全員連れ帰って立派ですよ。
どうか、空で銀河隊の部下達と笑顔で再会して下さい。
部下達はきっと「隊長、来ましたか!」と迎えてくれますよ。
またベランベー口調で、オレについてこい!と部下達を引き連れて
黒丸一家で銀河を駆って飛び回って下さい。
もう銀河で爆弾を落とす必要も、敵に体当たり攻撃する必要もないですから。
ただただ、その美しい銀河で、満天の星の中を飛び回って下さい。
本物のミルキーウェイを、飛び回って下さい。
ミルキーウェイの星々の煌めきの中を。
海軍航空廠の技術をつぎ込んだ高性能爆撃機、美しく悲しき銀河。
現在、日本に銀河は存在しません。
アメリカのスミソニアン博物館に分解保存されている一機があるだけです。
銀河のエンジンが、筑波海軍航空隊記念館に展示されています。激しい戦闘を示すように壊れたエンジンが。

国滅びて銀河あり そして新幹線あり
現在は存在しない銀河も、終戦時、130機近く残存していました。
それで「国滅びて銀河あり」という皮肉が言われたとか、言われないとか・・・。
でも、銀河は、実は、新幹線の中に生きているのです。
太平洋戦争中、海軍航空廠で、海軍技術少佐として、銀河や桜花を開発していた三木忠直氏。戦後は新幹線を開発しますが、初めの0系新幹線の形状は、銀河の空気抵抗を少なくした美しい流線形を参考にして作られたそうです。
銀河は新幹線の中に生きている・・・そう思うと、新幹線に乗るのが楽しくなります。
黒丸大尉について知るためのお勧め本
神野正美著『梓特別攻撃隊 爆撃機『銀河』三千キロの航跡』(光人社NF文庫)

この稿もこの本をたくさん参考にさせて頂きました。
