飛行機ワンダーランド、所沢
入間航空自衛隊基地の修武台記念館ツアーを終えたfuyunoA&Bは、所沢駅に着き、お昼を済ませた後、所沢の戦跡巡りに出かけました。
所沢は日本で初めて飛行機が飛んだ地であり(修武台記念館で見たアンリファルマン機)、日本で初めて飛行場ができた地。
まさに、「航空発祥の地」であり、戦跡もさることながら、所沢全体が飛行機でモリモリになっており、飛行機関連アイテムを探しながら歩くのも楽しいです。
お勧めコースは、所沢駅(西部池袋線)→所沢航空記念公園→航空公園駅(西部新宿線)を歩くコースです。
このコースの最初から最後まで、飛行機関連アイテムが盛沢山でワクワクです。
所沢駅を降りて。まず目の前に、航空発祥の地のピカピカオブジェあり。

そして所沢航空記念公園へ歩いていくのですが、その途中も見逃すなかれ。
道の名前が、航空関連です。
↑ファルマン通り(アンリファルマン先生から取ったものですね)
そして・・・マンホールを愛するマンホーラーには恐らく大喜びの、飛行機デザインマンホール。
凝ったデザインですね~。
何気ないアイテムにも、飛行機マークがあって、所沢の飛行機愛を感じますねえ。
そして、航空記念公園へ行く途中で東川という川を渡りますが、その橋が注目です。旭橋。

国の有形文化財。日本初の飛行場が所沢に作られ、飛行場へ渡る橋として1911年(明治44年)に作られました。その後増築されたりして、現在の橋は1930年(昭和5年)に作られました。歴史を感じる橋ですねえ。


所沢航空記念公園
所沢駅から10分くらい歩くと所沢航空記念公園。
ここらへん一帯が、昔は所沢飛行場だったのです。
所沢航空記念公園の戦跡を巡ってみます。
少年航空兵像

この像は、昭和18年、彫刻家故長沼孝三氏が第二回大東亜戦争美術展に出品し、翌19年5月21日に、当時この地にあった所沢航空整備学校内に建立されたものだそうです。
所沢の地には、パイロットだけでなく整備員の学校もあったのですね。翼を抱いて、空を見あげている少年達の姿が凛々しいですね。
「翼を抱く」というデザインが斬新だなあと思いました。
そして・・・。
この像の近くに、何かがいます・・・。
わかりますか?
これは・・・おこじょです。

この公園内にはこっそり(?)木像のオブジェが複数展示されており、それを探しだすことも楽しみの一つになっているようです。
私は、おこじょ以外に鷲しか見つけられなかったけれど。うさぎやりすや10種類以上のオブジェが公園の森の中にたたずんでいるそうですよ。
おちゃめ(笑)。
木村・徳田両中尉記念塔

日本初の航空犠牲者の記念塔です。
碑の説明によると、大正2年(1913年)3月28日、所沢飛行場を離陸した木村鈴四郎砲兵中尉と徳田金一歩兵中尉の搭乗するブレリオ機が、青山練兵場に着陸し、貴・衆両議院の観覧を経て、帰途についたのですが、所沢飛行場北東約1500メートルの上空に差し掛かった時に突風に左の翼を破壊されて墜落、両中尉は殉職してしまいました。日本初の航空犠牲者となってしまいます。人々は深く悲しみ、新聞会社が義援金を募って、2人の墜落地点に記念塔を建てました。でも、その地が交通が不便なところで訪れる人も少なかったので、昭和4年に所沢駅に移し、航空自衛隊入間基地へ移し、昭和55年に、現在の地に落ち着きました。とても堂々とした記念塔です、私が今まで見て来た航空関連の記念碑関連の建立物では最も大きく立派な塔な気がします。
木村・徳田中尉の墜落の様子は絵に描かれていて、所沢航空発祥記念館で見れます。それから2人の遺品も展示されています。
だから、先に、所沢航空発祥記念館を見てから、この記念塔を見た方がじわじわくると思います。
2人のお顔がとても勇敢でいいですね。お2人のご冥福をお祈り致します。
アンリファルマン機が飛び立った滑走路

公園内には初めて日本の空を飛んだファルマン機の滑走路が、芝生に覆われて存在しています。
飛行機のモティーフがあちこちに。
こういうところ、所沢市の飛行機愛を感じるんだよなあ。

航空公園内をぐるぐるしているうちに、ちょっと疲れてきたfuyunoA&B。
そんな2人を癒すものは、やっぱり甘い物。
ということで、公園内にある彩翔亭でお抹茶セットを頂きました。600円なり。和菓子は「紫陽花」でした。和風庭園も美しく、ほっこり。ハイクオリティな和風カフェタイムが過ごせます。


甘い物を食べてエネルギー補給した2人は、航空発祥記念館に向かいました。そこがまた、いろいろ盛沢山だったです~。
(所沢 後編に続く)

















