笹井醇一(ささいじゅんいち)中尉(戦死後二階級特進で少佐)。
ラバウルで零戦に乗り、勇名を馳せた海軍士官パイロット。撃墜王。
あの「大空のサムライ」の坂井三郎さんと強い絆で結ばれた上官でした。
そして・・・超ハンサム。

(↑写真はWikiからお借りしました)


別名、ラバウルのリヒトホーフェン。またはラバウルの貴公子。または軍鶏(シャモ)。
笹井中尉については「ラバウルのリヒトホーフェン 笹井醇一」で以前ご紹介しましたが。

大好きな零戦パイロットです♡

 

 

 

その笹井中尉のお墓参りに行って参りました。
東京、調布の多磨霊園にあります。
そして・・・お墓参りして初めてわかった胸アツなこともあり・・・(涙)

まずは多磨霊園なのですが。
いろいろな行き方があります。
王道は京王線の多磨霊園駅から、京王バス(武蔵小金井駅南口行)「多磨霊園表門前」で降りる。
西武多摩川線の多摩駅から歩く。
京王線の西調布駅か調布駅で降りて、ひたすら歩く(20分くらい)。
多磨霊園がすごく広いので、どのエリアに行きたいかによって、最適なアクセスは変わってくると思います。
私は、この日、調布飛行場周辺の戦跡も訪ねたので、京王線の西調布駅で降りて、調布飛行場周りを歩きつつ、野川公園をつっきって、多磨霊園まで歩きました。トータルで30分くらいです。

しかし・・・多磨霊園にたどりついてからが大変だった。
お目当てのお墓にたどりつくまでに、ぐるぐる迷いまして、30分くらい歩き回りました・・・。
これから行こうという方は、飲み物持参、日除けの帽子、日傘、サングラス必須、虫よけスプレー必須です。ハイキングかトレッキングの支度で行った方がいいです。まじで、ハンパない広さです。

多磨霊園には、海軍・陸軍の有名な方々のお墓もあります。
日本海軍大将のあの井上成美。
「一死もって大罪を謝し奉る」の終戦時の日本陸軍大臣、阿南惟幾大将。
1945年8月15日の夕方、終戦決まってから沖縄に彗星引きつれて特攻した、日本海軍連合艦隊の参謀長として山本五十六長官を支えた宇垣纏。
「マレーの虎」、日本陸軍大将、山下奉文。などなど・・・。

そして、戦闘機搭乗員のお墓もいろいろあります。
全部お参りしたかったのだけれど・・・私は多磨霊園で迷いに迷って、この日、笹井中尉と、もう一人、日本陸軍飛行隊の小林照彦さんのお墓しか見つけられなかった・・・。

でも、ぐるぐる迷っているうちに、「あ、この人は!」という海軍大尉や陸軍大尉の方のお墓も発見しまして。

おいおい、アップしていきたいと思っています。

多磨霊園に眠る海軍・陸軍関係者の方々のお墓を案内してくれるありがた~いサイトがありまして。

 

「歴史が眠る多磨霊園」
こちらのサイトで、前もって、お墓ナンバーをメモして訪ねたのですが、方向音痴の私は迷いに迷いました・・・。
それでも、なんとか、笹井中尉のお墓を見つけることができてよかったです・・・。
笹井中尉のお墓の場所は、18-1-17-2です。
 

笹井中尉のお墓は広い通りに面していて、割と広々としたスペースだったので、見つけることができました。(小林照彦さんのお墓は叢をかきわけて・・・という感じだった・・・)
笹井家のお墓と、笹井中尉(戦死後二階級特進しているので少佐で刻まれています)の碑が並んで立っていました。
日本酒をお供えして合掌。




笹井さんはソロモンで撃墜され戦死していますので、お骨やご遺体は見つかっておりませんから、おそらく笹井さんの形見の品が収められているのでしょう。


ラバウル航空隊華やかなりし頃、海軍兵学校卒のエリート士官でありつつも、個人撃墜をどんどん伸ばし、坂井三郎さんや西沢広義さんなど凄腕下士官パイロット達と共に、零戦を駆ってアメリカ軍の戦闘機と戦っていた笹井中尉。
しかし、アメリカ軍がガダルカナルに上陸し、ソロモン諸島の空でアメリカ軍と激しい戦闘が続く中、昭和17年(1942年)8月26日、遂に笹井中尉はアメリカのF4Fワイルドキャットとの空中戦の最中に撃墜されて、ルンガ沖に墜落してしまいました。
死後海軍内布告では「単独敵機27機を撃墜し友軍機と協同敵飛行機187機撃墜16機炎上25機を撃破せり」とされており、海軍兵学校卒士官パイロットとしては最高撃墜数。まさに撃墜王です。

そして、笹井家のお墓の隣には、「田代家の墓」と「田邊家の墓」も同じ敷地内にありました。


田代?田邊?
ご親戚かな?
・・・あっ!笹井中尉の義兄弟のおうちだ!
そう、田代家は笹井中尉のお姉さんが嫁いだおうちで、田邊家は妹さんが嫁いだおうちでした。
 

笹井中尉のおうちは海軍一家で、父親が海軍造船大佐、義理の伯父さんが特攻を主導したとされるあの大西瀧治郎海軍中将。そして笹井中尉のお姉さんは田代壮一海軍少佐の奥さん。妹が田辺清治海軍大尉の奥さん。つまり、この田代家と田邊家のお墓は縁戚の、義理の兄弟のおうちのお墓なのだろうと思います。
 

笹井中尉の義弟、田辺清治海軍大尉は海軍兵学校教官をしていたことまではわかったのですが、詳しい経歴は調べられなかったです。豊田穣著『新・蒼空の器』の「撃墜王」の中で田辺さんが妙高の高射長をしていたこと、戦争を生き抜いていることが書かれています。

一方、笹井中尉の義兄、田代壮一少佐は、ソロモンのツラギ島で玉砕しています。
田代少佐は横浜海軍航空隊の飛行長をしていて、ツラギ島に進出し、水上偵察を行っていました。昭和17年8月7日、アメリカ軍がソロモンで大反攻を開始した日、ツラギに急襲したアメリカ軍に攻撃され玉砕してしまったのです。
このことは「横浜海軍航空隊」で紹介していますが。

 

 

その後、「追記」として、横浜航空隊のツラギでの戦いぶりについて、秦郁彦氏の『太平洋戦争航空史話 下』の中の第二十七章「横浜航空隊の最後」(中央公論新社)に詳しく書かれていることがわかったので紹介しています。

「玉砕」といっても、ただ壊滅されたわけではなく、横浜航空隊の人達とツラギにいた陸戦隊の人達は勇猛にアメリカ軍と戦いました。その激烈な戦いぶりについて、秦氏が詳しく書いてくれています。


笹井中尉は、義兄の田代壮一少佐の戦死を知り、復讐の炎をたぎらせていきます。

笹井家、田代家、田邊家は、戦後もずっと寄り添っていて、仲のいい縁戚だったのですね。
もう80年前の出来事ですが、太平洋戦争を戦った海軍一家の歴史が刻まれているようで、じーんときました。

※多磨霊園はあくまでも墓地ですので、厳粛にお参りしなくてはいけません。そして故人の冥福を静かにお祈りする場です。訪ねる方は、敬意をもって、お参りするよう、気をつけましょう。
 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 旅行ブログ 巡礼へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
にほんブログ村