皇国の興廃この一戦にあり
猿島に行った後、三笠記念艦にも訪問してきました。
横須賀中央駅から港に向かって歩いて15分くらいですね。
横須賀といえばカレー。海軍といえばカレー。三笠記念艦では、4月にカレーフェスティバルなるものが開催されるそうですが。私は辛いものが駄目で((;^_^)ハウスバーモンド甘口りんごとハチミツたっぷりのお子様味のカレーでないと食べられないものですから、横須賀に何度も足を運んでいるくせに、いまだ一度もカレーを食べていない・・・。
↑横須賀駅で迎えてくれるカレーを持ったカモメくん
おっと、横道に逸れました。三笠、三笠。
三笠といえば、日本にとって、そして世界にとっても忘れらない戦艦。
日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った日本海海戦。
東郷平八郎連合艦隊司令長官が乗って指揮をした、連合艦隊旗艦の三笠。
三笠は、イギリスのヴィクトリー、アメリカのコンスティチューションと共に、世界の三大記念艦といわれています。
そして、日本がロシア艦隊に勝った海戦ということで世界史的に有名。ロシア艦隊と戦って勝利を挙げた国って、日本しかありませんから。今のところ。

(↑在りし日の戦艦三笠。Wikiから写真をお借りしています)
↑今の三笠。
太平洋戦争では日本にとって強敵となり、ミッドウェー海戦で日本を大敗させた指揮官、アメリカ海軍のチェスター・ニミッツ提督は東郷さんを大変尊敬していました。東郷神社に行った時、会館の中にニミッツさんが東郷さんに送った賛辞のお手紙が飾られていましたねえ。ニミッツさんは東郷さんが亡くなった時の国葬にも参列したし。この三笠を記念艦として保存するという運動にも積極的に関わり、書籍の印税をそのために寄付したり、東郷神社に寄付したり。ニミッツさんは本当に東郷さんを敬慕していたのですねえ。ニミッツさんと東郷さんの絆のように、そのまま、アメリカと日本が仲良くできていたらよかったですよねえ。太平洋戦争を避けられたらよかったですよねえ。
おっと。また話が逸れました。
とにかく。世界的にも有名な戦艦三笠の中が記念館になっていて、隅々まで見学できます。
やっぱり、勝ち戦は違いますねえ・・・。展示も誇らしげで、戦勝バンザイ全開でした。戦争の悲惨さみたいなものは微塵も感じさせないイケイケムードの展示です。

そびえ立つ艦砲。これはなかなか迫力あります。
甲板もひろびろ~。舵に触ることもできます。
でも、私としては武器がどうこうというよりも、『三笠艦橋の図』に描かれた場所に立てたことに感動しました。


東城鉦太郎(とうじょう しょうたろう)画伯の傑作『三笠艦橋の図』という絵画のレプリカが置いてあって、これは東郷さんを中心に周囲に集まった海軍幕僚たちが、Z旗を掲揚した直後の三笠の艦橋の情景を描いたもの。昔、学校の教科書にも載っていた気がするけれど。
その絵に描かれていた方々が立っていたとされる場所にこの絵が展示されていまして、絵の中の人物が誰か、説明書がついています。東郷司令長官の隣の隣に「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という有名電報を書いたといわれる参謀、秋山真之さんがいます。
この絵の中に登場している人物は、多くがその後、大将や海軍大臣など日本海軍の中枢で働くようになっていきます。(参謀の秋山真之さんは、日露戦争後ちょっとXXXな頭の構造になってしまったので彼は別ですけどね・・・)

Z旗は超重要決戦の時に掲げる旗で「皇国の興廃この一戦にあり」の意味を持ち、兵達の士気高揚、勇気鼓舞のための印でした。
国際的な船舶の航行でZ旗は使われていたのだけど(引き船がほしいとか、投錨中であるという意味だった)、日本では日本海海戦でZ旗が掲げられて以来、勝利と鼓舞を象徴する旗になり、太平洋戦争中の日本海軍では重要な海戦の際には旗艦のマストにZ旗を掲げるようになりました。
甲板の下にある長官室、士官室、トイレ、浴室(ネコ足の立派なバスタブがありました)も見られまして。
制服フェチの私には嬉しい、海軍士官制服展示もありました~!
やっぱり、海軍の軍服はかっこいい!特に白い第二種軍装、最高!
戦艦の中ってこうなっているのだなあとよくわかりました。
太平洋戦争で、日本海軍の戦艦はほとんど海の底に沈んでいますので。いろいろ複製部分があるとはいえ、本当の海戦を戦った戦艦を見学できることは、歴史の一部に触れることができるということだと思います。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでから行くと、じわじわと感動が押し寄せると思いますね。
日露戦争後の東郷さんと秋山さん
日本海海戦で勝利を収めた東郷平八郎連合艦隊司令長官と、その参謀であった秋山真之中将の戦後(この場合、日露戦争後という意味ですが)の姿というものも印象的です。
東郷さんは神格化され(なにせ、東郷神社まで建ちましたからね)、現役を退いてからも海軍内での威光はものすごく、東郷さんの意向を無視して大きな海軍政策は実行できないみたいな空気感があったそうです。
太平洋戦争の足音が聞こえてくる頃、山本五十六さんたちはこれからは飛行機だ、航空戦だと主張していたのに、艦隊派と呼ばれた人達は昔ながらの大型戦艦ありきで、大和とか作り始めちゃうし、海戦とは戦艦で勝負するものだと主張。この艦隊派に東郷さんは肩入れしていました。まあ、日本海海戦の頃は戦闘機も爆撃機もありませんでしたからねえ。
それと、東郷さんは機関科(辛辣にいうと釜たき)の将兵たちは、砲科、兵科の将兵よりも劣る、格下、同じ昇進を許すべきではないという意見を声高に言っていて、なんだか、この点、納得できませんなあ・・・と思います。
ただ、海軍外では、つまり一般の国民に対しては、とても腰が低い人だったという話もあります。
東郷さんよりも戦後の姿が切ないのは秋山真之さんですね。
司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』では秋山さんの戦後の姿ははっきり書かず、ぼやかした感じで終わっていますが。
秋山さんは、のちの一高、現在の東京大学教養学部を経て、海軍兵学校を首席で卒業している、超優秀なお方。東郷さんを支えた名参謀でした。
しかし。晩年は、宗教研究にこり、日蓮宗や神道研究や、果ては新興宗教の大本教に入れ込むようになりました。いかなる宗教を信じようと個人の自由ですが。あの頭脳明晰な秋山さんが、曖昧模糊、神がかり的な存在に、頭と心を支配されるようになるとは・・・。
日露戦争のあまりの重圧に、精神が耐えられなかったのだろうか・・・。
そういえば、太平洋戦争で山本五十六長官が重用した参謀黒島亀人も、終戦後宗教研究に凝って、人には理解できないおかしなことを書きまくっていた・・・。(まあ、でも、黒島さんの場合、戦犯を逃れるためにいろいろ手を打っているし、会社を作ったりしているし、精神に本当に異常をきたしのかどうかは定かではありませぬが・・)
日露戦争でロシアに辛くも勝ったことは、日本にとってもちろんよかったのですが。
日本海海戦という歴史に残る大勝利が、その後の日本海軍に大きく、長い影を投げたことは免れません。海戦はもう戦艦が大砲をぶっぱなして勝負を決するものではないという現実を、航空戦による制空権確保がすなわち制海権確保になるという昭和の時代の新しい現実を、直視することが遅くなりましたね。一部の人たちを除いて。
三笠が登場する映画
「日本海海戦」(東宝、1966年)
この映画はそのものずばり、日露戦争で、東郷平八郎率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を破るまでの戦いぶりを描いていて、三船敏郎さんが東郷さんを演じています。今見ると、ミニチュア感出ていて、海戦シーンはちょっとちゃちい部分もあるのですが。戦艦三笠の撮影は、三笠記念艦の三笠で行われています。
三笠が登場する本

司馬遼太郎著『坂の上の雲』(文春文庫)
いわずとしれた司馬先生の名作。司馬作品の中でも一二を争う人気小説。実業界の経営者達に司馬作品の人気投票をすると常に一位がこの『坂の上の雲』になる。
私も司馬遼太郎の大ファンで、司馬作品は『菜の花の沖』以外は全作品読んでおりますが。『坂の上の雲』も読んだのですが。私的にはどうも、刺さらなかった・・・(スミマセン)。いえ、それなりに、感動はするのですけども。
物語は、明治維新から日露戦争に勝利するまで、日本が近代国家として歩き出していく過程を、松山出身の3人の若者、秋山好古(秋山真之のお兄さん)、秋山真之、俳句の正岡子規を軸にして描き出していきます。
とにかく。登場人物がすごく多い~。そして、話が戦争ラインと、子規の俳句ラインと、パラレルで進む上に、時々二百三高地の陸軍の戦争ラインも入るし、外交も入るし、なんだかストーリーが渦巻き状態で、こう、スタート→エンドまで一直線に進まないものですから、私としてはあちこちに目線が飛んで集中できなかった・・・ゆえに、今一つ刺さらなかったのだと思います(スミマセン)。
しかし、『坂の上の雲』を読んでから三笠を訪れると、やはりじわじわと感動します。絶対読んでから、訪問したほうがいいと思います。
そして、三笠を旗艦としてロシアに勝利を収め、世界から賞賛された日本海海戦を戦った日本海軍が、太平洋戦争で壊滅し、日本海軍の栄光はすっかり過去のものとなった、時が流れたのだなあ・・・ということを実感することにもなります。






