(前編から続く)

美と芸術を愛する心
一方、五郎さんにはべらんべえ雷撃隊長とは違う顔がありました。
五郎さんは茶道をたしなんでいて、私室に茶道具がありました。野点用の茶道具も持っていて、中攻に乗っている時に、お茶をたてて部下に振る舞うこともあったそうです。お茶を点てることで心を静かに保とうとしていたようです。
戦争後半、五郎さんは七五二空の飛行隊長として硫黄島に進出します。
攻撃のない夜、水もろくになく、あっても硫黄くさい水だったけれど、茶菓は、配給の熱糧食だったけれど、五郎さんは部下達を客としてお茶をたてて振る舞います。
こういうところが、五郎さんのすごいところだなあと思うのです。
この五郎さんの茶道具、現在靖国神社の遊就館に展示されています。

また、五郎さんは盆栽が趣味で、おうちの庭が盆栽でいっぱいだったそうです。
それに、クラシック音楽が好きで田園交響曲などのレコードを集めていたそうです。


お茶といい、盆栽といい、クラシック音楽といい。私は五郎さんの心の中に、美に対する憧れというか、アーティスティックな部分を感じます。すごく繊細な部分があるというか。べらんべえ口調で部下を指導し、敵に果敢に向かっていく勇猛さの奥には、美を感じるデリケートな部分が隠されていたのではないだろうか・・・と思うのです。本当はすごく繊細で哲学的で思慮深い方だったのではないかなあと。

車懸かり竜巻戦法
昭和18年4月、ラバウル戦線苛烈なり、ということで、五郎さんたち野中一家はラバウルへ進出を命じられます。8月にはガダルカナル沖のアメリカ艦隊を夜戦で雷撃し艦船、輸送船四隻を撃沈し、大きな成果を挙げました。
11月にはアメリカ軍がギルバート群島のタラワ島に攻撃してきたので、五郎さんたちも必死にアメリカ軍攻撃を試みます。ここで五郎さんは「車懸かり竜巻戦法」と名付けた戦法を考え出します。
兵力を二分して、夜間雷撃隊と索敵隊に分け、古参のベテラン搭乗員は夜間雷撃隊、若手搭乗員は索敵隊。索敵隊は敵レーダーを避けるために海上10メートルという超低空の索敵を行い、マキン島とタラワ島の海のどこにアメリカ機動部隊がいるのか全貌を把握します。
雷撃隊は夜真っ暗だと攻撃目標を確認しにくいので、薄暮(夕暮れから15分くらいの間)の薄明りが残る中、敵を攻撃するために出撃するわけです。索敵機からの情報を得ながら攻撃のコースと時間を探っていき、予想される戦場上空に近づくと雷撃隊は散らばり、敵機を網の中に入れるように進撃していき、敵艦船の砲撃が上がると、一斉に雷撃隊はその方向へ向けて殺到して魚雷を放つ。これが、苦戦の中でもなんとか勝利を掴もうと五郎さんが考案した雷撃方法でした。

この時、五郎さんたちの中攻隊を守る零戦隊はいませんでした。高性能の偵察機もありませんでした。防御が弱い一式陸攻でアメリカ機動部隊と戦わなければなりませんでした。困難度マックスの戦いでしたが、五郎さんはそんな中でも最適、最善の戦法を生みだそうと格闘していたのです。

桜花の開発
ガダルカナル島から撤退し、アメリカ軍の反攻を受けじりじりと撤退していく戦線。

太平洋戦争後半になると、起死回生の秘策がないかと、軍上層部は考え始めます。そんなものあるわけじゃないかと思いますけど、戦争当時、軍上層部の人達ってなんか頭のネジが一本、二本取れていたのじゃないかと思うくらい、変な方向に考えがいきます。兵の命を犠牲にして敵を討つ特攻兵器の開発です。
当時、海軍航空廠(航空機の技術開発を行う部門)が一発必中の有翼爆弾を、ドイツから譲渡されたロケット推進戦闘機の資料をヒントに研究していました。しかし誘導装置の開発がうまくいかず頓挫していました。
 

そんな時に、偵察員であった大田正一特務少尉(兵から士官に昇進したという意味)が、「人間が乗って誘導して敵艦に体当たりする。目標近くまでは一式陸攻で運んで切り離して発射させる」という恐ろしい案を航空廠に持ち込みます。人間ロケット爆弾です。
桜花、全長約6メートル。翼の長さは5.2メートル。小さい機体ですが、1200キロ爆弾を積むので重さが2000キロもあります。これを一式陸攻でぶら下げていけというのか・・・。


人間魚雷の回天もひどい特攻兵器だけど、桜花は人間の命を誘導装置の代替にしたという意味で、更にひどい特攻兵器だと思います。大田特務少尉は「(できあがったら)私が一番に乗り込んでいきます」と宣言したそうですが。その後、この人、桜花に乗りもせず、終戦後行方不明。名前と素性を変えて、結婚して、子供をつくって(前の奥さんとの間と、素性変えた後の奥さんとの間と、両方で子供を作っている・・・)、天寿まで生きております・・・。

 

(↑桜花レプリカ。写真はWikiからお借りしています)

 

この桜花が大田特務少尉の発案とイニシアティブで作られたことは、桜花が「マル大」という、大田特務少尉の名前をつけて呼ばれていたことからも明白です。私はこの大田特務少尉の罪はすごーく重いと思っています。けど。いくら大田特務少尉が悪魔みたいなアイディアを航空廠に持ち込んだとしても、軍上層部が「何を言っている!ばかなことをいうな!部外者が口を出すな!」(大田特務少尉は偵察員で技術畑出身でもないので、部外者もいいとこです)と一喝して却下すればよかったはず。そうせずに、渡りに船的に大田特務少尉のアイディアを採用して、桜花に人間を乗せようと決断し、一式陸攻で桜花をぶら下げていこうという、とんでもない作戦が実行に移されていくのです。

桜花の搭乗員達と桜花をぶら下げていく一式陸攻の隊員達が、神雷部隊として編制されたのが昭和19年10月1日でした。この神雷部隊を作った人達こそ、大田特務少尉の前に責任を問われるべきだと思います。

この神雷部隊の飛行隊長として五郎さんが任命されました。

一度母機である一式陸攻から放たれたらロケットエンジンによる超高速で発進し、空戦するわけでもなく、攻撃を回避することもできず、ただぶつかるしかない、絶対戦死する特攻兵器、桜花。

敵艦船にぶつかろうが、ぶつかるまいが、絶対に何かにぶつかって爆発して死んでしまうのです。この桜花に登場する搭乗員たちの心情たるや・・・。
 

桜花の搭乗員たちは志願によって選ばれたという建前になっていますが。どういう部隊かよくわからず志願した、いつのまにか隊に組み込まれていた、周りや上官からの同調圧力で志願したということになった、という証言も残っています。

角田和男著『修羅の翼』の中に桜花搭乗員の希望を募るシーンが生々しく書かれています。

角田さんは硫黄島から内地に帰還、昭和19年8月、二五二空に着任、茂原海軍航空隊基地に異動します。8月末に、講堂に搭乗員総員集合の号令がかかって、藤松司令から話をされます。
 

「退勢を挽回するために、海軍では今までの爆弾よりも爆薬の大きな、必中の新兵器を開発している。しかし、この兵器は、搭乗する者は絶対に生還のできないものである。一発一艦を轟沈することはできるが、搭乗員も必ず死ななければならない。これは決死隊ではなく必死隊である。そして、この兵器に搭乗する者は構造上戦闘機乗りが最も適任である。このたびこの新兵器のテストパイロットとして同隊より准士官以上1名、下士官1名を選出するよう命令が来たのである。この兵器を一日も早く実用化させる以外に道はない。しかし、これは一分の生存の見込みもない必死のことであるため、諸子の中より希望者を募る。国のために一身を捧げても良いと思う者は、申し出てもらいたい。今より紙を配るから、各自官等級氏名の上に、熱望、望、否のいずれかを記して、明朝までに、下士官兵は先任搭乗員が集めて、准士官以上は直接飛行長の元まで提出してもらいたい」

この「必中の新兵器」が桜花なのですが。一応「絶対死ぬ」ことは明確にされていますが、どんなものか、まったく説明されていない・・・。
この話を聞いた搭乗員達の反応は様々で。
角田さんの分隊の先任下士官は歴戦の零戦パイロット、宮崎勇上飛曹だったのですが、宮崎さんは「お前たち、総員国のために死んでくれるな」と部下たちに大声でいい、部下たちも「ハイッ!」と全員が「熱望」。


エースの中のエース、零戦虎徹といわれた岩本徹三飛曹長は「死んでは戦争は負けだ。われわれ戦闘機乗りは、どこまでも戦い抜き、敵を一機でも多く叩き落としていくのが任務じゃないか。一回の命中で死んでたまるか」と拒否。
 

角田さんの上官の大尉は「あれは戦闘機乗りのすることじゃないような気がする。恐らく爆弾を操縦するのだろうが、それではせっかく今まで訓練してきた戦闘機乗りとしての技量も役立たずに終わってしまうように思う」と桜花に対し疑問を口にします(しかし、この大尉も、角田さんが「熱望」と書いたことを知って、最終的には「熱望」と書いて提出)
 

角田さん自身も、この任務に大きな疑問を持っていたけれども、分隊士であった彼は、分隊長は分隊の父親で、分隊士は分隊の母親だと教えられていたので、子供たちである部下達が皆「熱望」しているなら、自分が「否」と出すわけにはいなかいと考え、「熱望」で提出します。
 

つまり、必死の作戦や兵器に疑問を持って納得できなくても、いろいろな事情や周囲への気遣いや同調圧力などで、正直に「否」という気持ちを書くことができた人はごく少数だったということだと思います。岩本徹三さんくらい、誰にも何もいわせないってくらいの力量と実績があるパイロットは別だったかもしれないけれど。
この桜花の搭乗員には、大学生から海軍に入った、海軍飛行予備学生十三期、十四期たちも、多く任命されています。

そして、桜花をぶら下げて敵艦船が見えるところまで運んでいく一式陸攻だって、零戦の掩護がなければ、とても「敵艦船が見えるところ」になんて近づけないわけですよ。零戦の掩護がなければ、重たい桜花をぶら下げた一式陸攻は、敵戦闘機に狙われ撃墜されるだけなんですよ。そして、昭和19年末期なんて頼りの零戦だって機数は少なくなっちゃったし、ベテラン搭乗員も激減しちゃったし、満足に掩護できないわけですよ。掩護の零戦だって、敵戦闘機との戦いで撃墜されることが多くなっていたわけですよ。

↑一式陸攻(写真はWikiからお借りしています)

素人の私が考えても、ミッション・インポッシブルな作戦なわけです。
本当に、人間追い詰められると、とんでもない発想になる、実現性1%くらいの作戦を実現可能だと思い込む、思いたくなってしまう。人間心理の危うさがモロに反映されたのが桜花作戦だったと思います。
 

(後編に続く)

 

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