朽ち果てた門――百里原海軍航空隊跡
百里原海軍航空隊(ひゃくりはら)と、その横にある百里神社を訪ねてきました。
百里原海軍航空隊は、現在の茨城空港の辺り一帯にありました。
初めは搭乗員の教育部隊だったのですが、戦争末期には実戦部隊になり、特攻隊も編成されました。正気隊という神風特攻隊が編成されています。
戦後、百里原海軍航空隊跡は、自衛隊の百里基地、そして民間共用の茨城空港になっています。
しかし、この百里基地開設にあたっては基地反対運動が激しかったようです。それゆえか、かなり荒れ果てた跡地になっておりました。

行き方としては、とにかく茨城空港から徒歩10分の場所なので茨城空港を目指していけば大丈夫です。
徒歩の私はバスで。上野駅から特急ときわで、茨城県の土浦駅まで。40分ちょっとで着きます。

そこからJR水戸線乗り換えで石岡駅まで行き、石岡駅から茨城空港行きのバス、かしてつBRT空港線というのに乗って、「空のえきそ・ら・ら」バス停で下車。30分ほどバスに乗りますが、ちょうど桜が咲いているタイミングでもあり、のどか~に景色を楽しむことができました。


「空のえき そ・ら・ら」とは何ぞや!?と思ったのですが。道の駅みたいなものですね。


バス停を降りれば、もうすぐ先に茨城空港が見えます。茨城空港を前に見て、左側に曲がり(角にコンビニがあります)、5分くらい歩けば、百里原海軍航空隊の昔の門があります。


「百里神社」の看板が立っています。

しかし、門は、朽ち果てている・・・。

石碑が置かれていますが。かなりの荒廃ぶりです。合掌。
崩れた石垣も、当時のものでしょうか・・・。

百里神社
そして、この門からちょっと歩けば、百里神社です。ちょうど桜が咲いていました。
鳥居が戦闘機の足の形をしていて珍しいです。


海軍航空隊跡を巡っていると、必ずといっていいほど神社が置かれています。

昔はこの百里神社も、百里原航空隊の人々がお詣りしたのでしょうねえ。

しかし、もう氏子さんがいないということで、維持が困難になっているようです。
 

太平洋戦争から80年経って、戦跡はどんどん維持が難しくなっていますね。太平洋戦争100年目の節目になる頃には、今私が回っている戦跡も姿を消してしまうかもしれないなあと思いました。
維持にはお金も人の手間もかかるだろうし。戦争の痕跡なんて残したくない、見たくないという地元の人達の意見もあるだろうし。難しいところですねえ・・・。せめて、写真や動画に納めておかないと、と思います。

神風特攻隊 正気隊
昭和20年になると百里原航空隊でも、搭乗員の練習部隊ではなく、特攻含む実戦部隊になっていき、4月から5月にかけて、特攻の正気隊が第一から第三まで編成され、沖縄戦などに出撃していきました。
百里原航空隊で特攻に編成された人達には、霞ケ浦航空隊で訓練を受けた予備学生士官(大学生が志願・徴集で海軍航空隊の搭乗員になって少尉に任官されている)や、予科練で訓練した下士官搭乗員達が多かったのでした。

第一正気隊に編成された一人、安達卓也少尉は、昭和20年4月に沖縄へ出撃し23歳で戦死していますが、この人は、東京大学法学部を経て、海軍飛行予備学生第十四期になり、戦死しています。
戦況が厳しくなってから海軍は搭乗員不足、特に士官搭乗員の不足を補うため、海軍飛行予備学生第十三期と第十四期を大量に採用しています。第十三期は志願制でしたが、第十四期から徴集になり、20歳以上の文系大学生が陸軍や海軍に徴集されています。
 

海軍飛行予備学生第十四期会編の『あゝ同期の桜 かえらざる青春の手記』には、安達さんの日記や遺書がたくさん掲載されています。その内容は、さすが東大だなあと思える、知的で哲学的で博識な文章で、若干23歳でここまでの思想を持つものなのか・・・と、自分が23歳の頃パッパラパーに過ごしていたことと比較して、愕然とするものがあります。


国を救うためと悟ろうとしても、死を完全に受け入れらるものでもなく・・・。しかし、自分の命を投げ出して特攻する道しかもう自分には残されていない。そんな時、人間は考えて、考えて、考えまくるのでしょうねえ・・・。

「今、祖国の歩みを唯一の真理として、戦のただ中にその生命を断たんとする若人がある。一体彼等の死は、いかなる意味を有するのであろうか」


と安達さんは日記に書いています。


安達さんの日記の中に、政権を担う人達に読んでもらいたい文もあります。
 

「祖国を救うものは、偉大な中枢たるべき大人物のほかにはない。特攻隊は、神国に出現せる救国の神業であるには相違ないが、それは物質に対する防塞たるに過ぎない。国の中央に強力な政治があってこそ、はじめて国の旺盛な精力となり得るのだ。(中略)いかに特攻隊が続々と出現しても、中核をなす政治が空虚な存在となっては、亡国の運命は、晩かれ早かれ到来するであろう。」
 

国の中央で政権を担う人達は、ぜひ、安達さんの声に耳を傾けてほしいと思います。

阿川弘之氏の名著『雲の墓標』の主人公、吉野次郎も、海軍飛行予備学生第十四期生だった。(京都大学文学部出身という設定だったと思う)吉野さんも百里原航空隊で特攻隊に指名されて、木更津から特攻隊として飛び立って戦死してしまった。『雲の墓標』はフィクション、小説ですが、安達さんの姿が吉野さんに重なります。

リアルな戦闘機が展示されている!
茨城空港は百里自衛隊との共用になっていて、百里基地からレンタルで、本当にかって飛んでいた戦闘機が展示されています。

茨城空港の横の公園内に

F-4EJ改(要撃戦闘機)

 

RF-4E-J戦術偵察機の二機。

すぐ近くで見ることができて、迫力ありました。
 

でも、スズメさんのおうちになっているようで、スズメさん一家が戦闘機のポケットから出たり入ったりしていて、妙に微笑ましかったです。

旅グルメ:メロン羊羹と桜ヨーグルト
余談ですが。
「空のえき そ・ら・ら」は飲食店も幾つかあります。桜のヨーグルトを食べたのですが、おいしかった!

 

そして茨城空港のおみやげコーナーもうろうろ。メロン羊羹なるものをおみやげに買いました。まったりしていて、メロンの香りがして、なかなかおいしいです。

 

この後、石岡駅にバスで戻り、再びバスに乗って、土浦に戻ってから、阿見町の予科練記念館で特別展「ペンを剣にかえて 海軍予備学生の軌跡」を見てきましたので、そちらの感想を後日アップしたいと思います。
海軍兵学校卒業生でもなく、予科練卒の下士官でもない、大学生から搭乗員になった予備学生達。彼等についても、もっと知りたいと思う今日この頃です。

海軍飛行予備学生については海軍飛行予備学生第十四期会編『あゝ同期の桜 かえらざる青春の記録』(毎日新聞社)を読むと、よくわかるのですが、読むのが辛くなるくらい切ない内容です。
私は古本屋さんで手に入れたのですが、光人社で新版で復刻されています。

 

ノンフィクションではなく、フィクションですが、海軍飛行予備学生第十四期生を主人公に書いた阿川弘之氏の小説『雲の墓標』(新潮文庫)も名作です。

 

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 旅行ブログ 巡礼へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
にほんブログ村