香取海軍航空隊跡を訪ねて千葉県へ。
第二御盾隊が飛び立った香取海軍航空隊跡を訪ねてきました。
東京駅から特急しおさいでGO。八日市駅で降りて、ひたすら歩きます。(交通手段はほぼ徒歩か自家用車しかないと思った方がいいです)。タクシーも呼び出さないかぎりないと思ったほうがいいです・・・。
現在の旭市と匝瑳市(そうさし)にまたがる平野にあった香取海軍航空隊基地。
日清紡がある旭市鎌数工業団地のあたりに当時の滑走路が残っているのです。が、中には入れません。
一応日清紡に電話して聞いてみたのだけれど、見たいという申し込みは多数あるそうですが映画関係者や報道関係者含めてすべてお断りしています、とのこと。残念。

このザ・関東平野って感じの広大な平地に田んぼが広がっているのですが、その中に珍しいツイン掩体壕があるのです。
この辺りには4つの掩体壕が残っていますが、そのうち2つがくっついている珍しい位置。
普通戦闘機を隠す掩体壕は、爆撃されても無事なように少し距離を置いて設置されているから。
だだっびろい田んぼの中に、草に覆われて沈黙している二つの掩体壕は、のどかで、なんだかジブリ感ありました。


もう2つの掩体壕は民家のすぐそばにあります。


いつも思うのだけど、零戦がかくまわれていた掩体壕が、いまはひっそりと、田んぼや民家の隣に立っている姿は、戦争から80年という長い年月が流れたのだなあと実感させられます。
ここらへん一帯に、香取航空隊基地があって、たくさんの搭乗員達や整備員達が走り回っていたのですよねえ。
旭市干潟には香取航空隊の慰霊碑もあります。
住所でいうと千葉県旭市鎌数5146-32のあたり。特殊技研金属第二工場の隣に小さな公園がありまして、そこに慰霊碑があります。


この慰霊碑の「慰霊」の文字を書いたのが、あの、紫電改部隊、三四三空を率いた源田実大佐です。
日本酒をお供えしてきました。
そして慰霊碑の横の目立たない場所に、昭和30年の慰霊碑が・・・。
文字が消えかかっているけれど「香取基地戦没者之墓」と書かれています・・・。
合掌。

香取海軍航空隊から特攻が飛び立ったことは説明されているけれど、第二御盾隊という特攻隊の説明は書かれていませんでした。
そしてこの公園みたいな場所には、黄色い零戦みたいな飛行機が展示されています。
実際には零戦ではなくて、NJ型という1960年代まで運用されていた海上自衛隊のレシプロ単発練習機で、旭市にレンタルされているそうです。フォルムが零戦に似ているということで、零戦にちなんだものをこの地に展示したいという人々の思いで、ここにあるのでしょうか・・・。
桜が咲いたら、黄色がさぞ映えるだろうと思われます。




