【がん宣告を受けた時の精神状態について】
【その後の生活の変化について】

その瞬間頭が真っ白になる、という人もいるようですが、
私は意外に冷静というか鈍感というか、他人(ひと)事みたいに聞いていました。

まあ、今の時代手術すれば治るだろう、ぐらいに気楽に考えていました。

胸膜播種が分って、手術では治らないと知ったとき、この時愕然とするべき
だったのでしょうが、なぜかすぐには実感が湧きませんでした。
後になってジワジワ身に染みてきました。

そして、やはり、人生観は変わりましたね。

そういえば、昨日のクロ現で、樹木希林さんがゲストで出ていましたね。
「癌とは、自分自身への気付きである。」と仰っていたのが印象的でした。

残された時間に限りがある。
一瞬一瞬を大事に生きなければいけない。

仕事の優先順位を以前より低く考え、自分の時間を大切にしたい。
だから残業は減りました。

しばらくぶりにクラシック音楽の演奏会に通ったり、
メタボお構いなしに、好きなものを食べることを優先したり。

遺言も書きました。

母がまだ健在なのですが、母より先に自分が死んだ場合に備えて、女房を私の
母の養子にしました(そうしないと将来母からの遺産が女房に1円も渡らない)。




【これまでの経緯(6)】

[2013/10/30~2014/09/30]

一気に、1年近く、お話ししてしまいます。

この期間、月に1回の呼吸器内科(血液検査とレントゲン検査を伴う)
と皮膚科の診察と、3か月に1回造影CTと造影MRIを撮る事の繰り返しです。

イレッサが奏効して原発巣が小さくなって行きました。

通院以外の平日は会社に通勤。

有給休暇をYC病院への通院だけで使い切ってしまうのがつらい。
余計な休暇を取れないので、旅行もできません。

でも仕事を続けているのが病気にはいいようです。

イレッサの副作用ですが、胸の赤みと肌のカサカサは相変わらず。
これは軟膏を塗ってもあまり効果が無いみたいなので、
次第に放置状態になってしまいました。

顔のニキビ状のブツブツは退院後すこし酷くなって、そのうち
引いていき、目立たなくなりました。

それよりも困ったのは、年が明けた(2014年)あたりから、頭皮に
皮疹ができて酷くなって来た事です。

気になってつい引掻いてしまう。そして出血したりします。
散髪に行くのに躊躇します。

酷くなる前に、スポーツ刈りにした(2013/12/15)のと、
イレッサの作用で頭髪の伸びが遅いので、何とか我慢していましたが、
我慢も限界の時が来ます。
ついに意を決して散髪に行きました(2014/05/19)。

床屋のお兄さんに事情を話して、気を付けて扱うようにお願いし、
快く引き受けて頂き、最初のうちは上手く行ってました。
最後仕上げの段階で、櫛が皮疹に強く当たり、血が出てきました。
床屋のタオルを血で染めてしまいました。

頭皮にもステロイドは、いろいろ試しましたが、これといって効果が
あった物はなく、むしろ花王のCurelシャンプーが幾分良かったようです。

全身の乾燥肌にもCurelボディー・ソープが、良いように思います。

これは、タルセバをやっている女房の知人の旦那から教わって、試して
みたものです。

そうやって、夏が過ぎ、秋に入った頃、次の段階に進むことになりました。



つづく