毎年のように廻ってくる天中殺。
わたしの場合は7月、8月、9月。
恒例行事だと割り切っていても、シンプルに憂鬱。
今年はわかりやすく、厄介ごとが次から次に勃発しまくって。
巻き込まれに巻き込まれて、粉々に砕け散りました。
それも9月28日に、すべて気持ちよく清算!!!
これで今年の大仕事終わったな。
…
私は嫌いな人、基本いません。
好きな人もそんなにいない。
それは自分の中で純度100%好きっ!!嫌いっ!!ってならないと
そのカテゴリーに入ってこないから。
そんな私が天中殺期間に、地獄の底の底のド底から壮絶に強烈に大っっっっっっ嫌いになった人がいます。
全細胞が完全に拒否反応起こしてた。とりはだ~~
本当に嫌だけど、世界は自分が創っていて、
まぎれもなく自分自身ががその人を”必要があって”配置している。ってことで
頭ではわかっていても、その事実をなかなか受け入れられない。
怒りと疲れと無気力の日々を粛々と送っていたら、
少しづつピースが集まってきて、ひとつ、大事なことを思い出させてくれました。
自分の人生、操縦席に座ることを、すっかり忘れていた
アカンただの流されそうめん。そうめんは好きだよおいしいよね
その嫌いな人が自分にとっても似ていまして。
だからこそ、拗らせポイントとか、抑圧していることとか、手に取るようにわかった。
自分を投影させやすかったんでしょう。
「なんでそのままでいいと思ってんの?」
「優しいのは分かったけど、自分の人生だろ?」
「自分を守ることばっか、責任取るのが嫌ならそのポジションやめろよ」
「責任押しつけやがって」
全部わたしからの言葉。
胸が痛い。。ズキズキ
要は、
わたしが人生の責任を放棄して、
自分の意思を一切伝えずに、
ただの傍観者になり下がっていた。
ということ。
…
あと、わたしは極端に【出す】行為が苦手。
排泄は大変、発汗はほぼしない。
疲れも溜まるし、感情の出し方もうまくない。
本音は言うことを、ためらって、諦めて、呑み込む。
わたしは壬(海)なので、流れに身を任せるってのが基本のリズムですが
流れるように生きるのと、ただ流されるのは全然違う。
○変わっていく環境の中で、自分にどうしても出来ないことをやらないといけない状況になった時
じゃあ、しょうがないかとあきらめるのか。
○変わっていく環境の中で、自分にどうしても出来ないことをやらないといけない状況になった時
「自分にはできません。これならできます」と伝えて、様子をうかがうのか。
結果が全然変わってくるってことを知りました。
流されると流れるはマジ全然違う。ビックリするほど雲泥の差!
今回の天中殺期は【出す】ことの大切さにも気づかせてもらった。
言うだけで、秒で世界が生き易くなった感じです。
【出す】は人生の課題。
特に、本音。
私の人生の責任って本音を伝えるだけで果たせるのかも⁈
言いたいことは言いなはれ。
ちなみに、、、
このことに気づいたら、あんなに大嫌いだった人なのに何も感じなくなりました。心が凪、、
不思議なもんですねーーー。今年の天中殺は無事にクリアできたってことでしょう。
ただ面倒くさい人ではあるので、あんまり関わりたくないのは変わらない笑