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fuyusunのfree time

長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

久々にスープを作ってみました。

はまぐりになくとなく似ている「ホンビノス」を使って何かを作りたかった。

本当はクラムチャウダーを考えていたのですが、最近売っているホンビノスは大きいのですね。

クラムチャウダーという気分が失せて、普通にコンソメベースのトマトスープにしてみた。

ホンビノスは貝殻が開くまで時間が掛かりますね。

煮込んでいて、あまりに開かないから不安でした。

 

最近、統計学の本を買いまくっている。

どれも帯に短くたすきに長し。なかなか理解ができない。

統計をぜんぜん理解していない私。もう解答集計の段階から統計学が関わっていると思っていたのですが、

最近、単純に集計してグラフにするのは統計じゃない事に気が付く。

その単純に集計した事をあれこれ分析したりする事・・・。これが研究なんだという事に気が付く。

今日も、新たに統計の本を買ってしまった。どの本も立ち読み段階では分かりやすいと思うのですが、私の欲しい情報が載っていない。

困ったものです。頑張らねば。

国立劇場主催の舞踊会に行ってきた。

長唄の「○○」は本当は変化舞踊の一つでと良く解説で耳にする。が、実際にどんなものか体験したことがないので、今日の模様氏は楽しみでした。

楽しかった♪

前半の四季をテーマにした女流の舞踊家さんのプログラムは変化舞踊というワクワク感がなかった。禿が半玉・・・そんなに変わらない。

やっぱり、か弱き乙女が強靭な武者になるからこそ楽しい。そう思うと、変化舞踊は女性には厳しいプログラムかも知れない。

宝塚的デビューを観ている感じ。綺麗だけれど、期待していたワクワクがない。

テーマでチケットを入手したけれど、

「残念な結果・・・」だったのかとちょっと不安になった。

 

後半は西川箕之助氏と花柳基氏の七変化。きっちりストーリーがあって楽しかった。

日舞ももともとは歌舞伎同様に男社会なのかな。

女性には太刀打ちのできない存在感や押し出しを感じる。

お家柄の方。才能のある方。だけじゃないよなぁ。やっぱり、男性だからが一番かなと思った。

 

この手の会に行くのは久々。

久々で大好きな長唄さんの声を聴くことができた。幸せ。

お囃子もうちの流派の方々で勉強になった。

 

 

 

今年度に入って、職場で看護研究をする事になった。うちの病院としては初めての試みらしい。

看護師というのは、単にプロではなく、生涯学問を追求する探求者であらねばならないと思うのですね、

年代、学校、卒後の環境と看護師は多くなものに影響されて今日がある。そんな私たちをまとめてくれるのは「看護学」学問である。

方向性はたぶんみな一緒。でも、その手段や辿り方が違う。バラバラな個を力強い塊にするのは学問以外にないでしょう。

何気にそんな事を考えていたら実現して、ついでに頭になってしまった。

何気に方向性は見えているのですが、それを科学的に証明する論文にする・・・。初めてすぎて分からない。

院内で戯言いっているレベルは経験あるんですが・・・。

「まず、研究デザインから・・・」なんて言われて

「研究デザインってなになに?」で狼狽する私であった。

看護研究計画書なるものを随分前に作成して提出したけれど、ぜんぜん計画書になっていない事に気が付く私。

「研究デザインってなに?」からはじまって、やっと理解出来たら。。。今度は、集めたアンケートのデータをどう解析するかの方法を示さなきゃいけない。統計って苦手。行き当たりばったりの単純解析じゃだめなんですかね。・・・いやいや、それではデータの意味が分からない。

知りたい答えを得るためのアンケートなるものを作成する技術も難しい。

頭の中、論文ばかり・・・。

今年度に入って、すっかり新米研究者になってしまい・・・、寝ても覚めても研究。

楽器を触る事もできなくなってしまった。

気軽な気分で引き受けたけれど。。。大変な泥沼。この泥沼を乗り越えれば、またまた本来の私になるのでしようが。

普通は他に重点を置いていればやらないでしょう・・・。という事に足を突っ込んでしまった。

欲張りなんですよね。

結局、本来はお囃子を極めたい自分がいるんですが、

それを支える仕事。良き職場であってほしい。できれば向上して欲しいと思うのです。

いい加減で、ブラックな職場で働いていても何の意味も感じないのですよ。

五月に入って、論文の事で精一杯。論文の事だけでも心身の統制が取りにくい感じになって、

許容量オーバーを感じた私。という事で、大変申し訳ない気持ちですが、今月のお稽古は全休。

 

本日の公演も、

本当は母だけ送り出してとか思っちゃったのですが、せっかく入手したチケットなので。。。

でも、やっぱり行って良かったです。

早く平常運転に戻りたいです。

本日は休日。散歩を兼ねてランチに出掛けた。

ランチは、いつものココス。

パクチーが苦手なのにオーダーしてしまった。頑張ったけれど、やっぱり駄目だなぁ。

ジャンバラヤ大好きなんですが、ココスのジャンバラヤにはパクチーが何故か付け合わせに乗ってくる。

「ご希望により増量できます」・・・とんでもない。本当はいらないくらいです。

「いらない」という選択肢も欲しい。

が、アボガドは美味しかった♪

 

さて、満腹で街をうろつく。

年配の体育会系の女性とすれ違う。「あれあれ!」

すでに高齢期に達している女性だが、見た顔!服の好みも・・・!

高校時代の体育の先生だ!あの頃は、けっこう若かったけれど、考えてみればあのくらいの年頃でも不思議はない。

絶対に○○先生だ!

バレー部の顧問をしていた先生。私はテニス部だったんですが。。。可愛くて憧れの先生だった。

しかし、どんなに歳をとっても服の好みは変わらないものなんですね。

自分を振り返っても、歳とは関係なくフリフリが好きだったりする。なるべく自制しているけれど、ついつい真っ先に飛びつくのがフリフリのデザインの洋服だ。

お声は掛けませんでしたが、あれからそんな年月が経過したことを実感してしまった。

ちょっとガックリ。

大好きだったあの先生。卒業アルバムのあのイメージのままに・・・。

人間だから歳をとるのは当然というのは分かっているけれど、若くて溌剌とした先生の変貌に愕然です。

 

高校は私立で地元とは違いますが、それでも同じ沿線。

小学校に上がる前から、ずっとこの近辺で生活をしているので、

「あっ!」という経験をよくします。

 

 

団菊祭に行ったのは今回が初めて。

市川團十郎と尾上菊五郎というスーパースター共演の興行である。

が、今は團十郎の名跡をついでいる人がいないので。。。

十二世市川團十郎丈の五年祭。もうそんなになるんですね。

 

今回は母の日のプレゼントを名目の歌舞伎鑑賞。が、母の好みでなくて私の好み。

本当は昼夜で缶詰もよいですが、そこまでの経済力はありませんですし・・・。

悩みに悩んで夜の部に。

本当は昼の部の鳴神も捨てがたかったのですが、

踊りが「女伊達」であまり好きでないジャンル。

が、夜は「白波五人男」がメインで、デザートが「喜撰」。おつまみに「鬼一法眼三略巻」がある。という事で夜にしたのでした。

やっぱり、おつまみの出し物は眠くなりました。

メインディッシュの「白波五人男」があまりに面白かったから、展開が地味なおつまみに睡魔が・・・。

私は踊りが好きなので、私的には一番のメインディッシュ。でも、一般的にはデザート。

「喜撰」は大好きな曲。音楽だけ聴いていると幸せ気分です。

十八世中村勘三郎と玉様のコンビの喜撰が忘れられない私。

破壊坊主がぴったりの故十八世中村勘三郎。

梨園育ちで、一般的には破壊された日々を過ごしているかもですが、まだまだ菊之助丈は破壊されていない。

本日の喜撰法師は育ちがよくちょっといたずら好きという感じであったな。

十代目坂東三津五郎丈も破壊度が硬かった。うまいのですが、うまさで破壊坊主を演じている感じ。

そこがつまらなく、十八代目中村勘三郎に劣るなぁという感想があったのですが、今日も同じ感覚であった。

つまり、菊之助丈の方が若くてこれからがあるので、一つの壁を破って次があるのではと期待しちゃったりします。

 

ところで、歌舞伎座の御簾はどうなっているんですかね。

御簾がうるさ過ぎ。メインの長唄や清元の音を消し去って、全体的なハーモニーが崩れている。

喜撰を迎えに来たお坊さん軍団が出てきてから、御簾がうるさすぎて

喜撰という曲を耳にしながら舞踊を堪能できなかった。

良い作品だったのに、御簾のせいでマイナスポイント多すぎ。反省してほしい。

本日の幕間弁当は、児雷也のてんむすです。

 

そうそう、本日は寺島眞秀君出演の影響か、フランス人をはじめとした欧米人に多く出会った。

先日、パリオペラ座のドキュメント映画を観たばかりなんですが、あちらは観劇後のディナーなんですよね。劇場にちゃんとしたレストランがあってなんですよね。

日本は、幕間にご飯を食べる。事前に食道に予約して食べる人もいますが、

客席でお弁当を食べている人って多いですよね。

あのドキュメント映画を観たのちなので思うのですが、フランス人をはじめとした欧米人には非常に奇異な風景かなと感じました。

映画を観ながらポップコーンはありますが、お弁当はないですよね。

 

が、欧米にはレストランシアターという歴史もあるから・・・。どうなんだろうなぁと思った。

 

私は、ライン・FBの乗っ取りにあった。ついでに、アマゾンの不正アクセス被害にもあって・・・。

たぶん、ネットというのは便利だけれど、そういう事も覚悟の世界なんだと思う。

もう、けっこう長い間ネットを使っているので、

私のプライバシーもダラ漏れと分かっている。乗っ取りなどなど色々ありますがね、実害さえなければ良いと思う。

私となりすました人の要求に相手が応じなければ、ぜんぜん美味しくない市場。

それを信じて応じちゃう人がいるから、なりすまし詐欺の被害があとを絶たないのだなぁ。

もし、私が窮地に陥って友人の助けが必要な時は、SNSを使っては行わない。

SNSを使ってお金のSOSなんて失礼じゃないですか。

 

今度は、ミクシーの知人が二人も乗っ取られていて吃驚です。

もともとミクシーは紹介制で安心の環境でしたが、最近は逸脱しちゃって「承認制じゃなくなってから不振のSNSです。

ちょっと留守をすると、泥棒が私になりすまして・・・。気を付けないといけないですね。

一時期、ミクシー中毒とかありましたが、その熱が冷めて、

きっと放置状態の方々は多いと思います。

知らぬ間に私でない私が独り歩きして、自分の信用丸つぶれの事態になっている危険性があります。

 

自身もそうですが、ミクシーで出会った友達維持のために登録を継続していても、

もうミクシー活動をしていないのは狙われやすい。

わかっているんですがね。。。ミクシーつながりの友達を失いたいからアカウントを維持をしている人はおおいですね。

本当に悪用はやめて欲しい。

 

本日、二件ほど

ミクシーの知人を語った人、二名から詐欺メッセージがとどいた。

本当に、本当に困ったものだ。

探求心の私。最近、ちょいとはまる分野があって「研究したいです」と宣言。

弱小のうちの病院で「研究発表」しようという事例は初めてなのだそうだ。

考えたら私も久しぶり。

彼病院で

そこで亡くなった有名作家さんが「医療看護の発展のため」と病院に多大なる財産を寄付され、その一部を使って研究活動をさせていただいた事がありました。

論文の結果を聞く前に退職。

今回もそうならない事を願っています。

 

弱小病院も100床を超えているので、二つの病棟に分かれています。

今所属しているのはA病棟。

二つの病棟はあまり交流がありません。たった二つしかない病棟なのに、大病院に病棟価値観が違います。

異動も少ないのでそういう事なのかしら。

 

なのに・・・。病院全体の風通しを良くしたいという事で、ちょっとずつ異動が検討。

私、価値観的にB病棟はどうひっくり返っても生にあいません。

私は、契約において動いているので、引き継いだら、残念でもその人が看取りとかするぺきと思っています。

個々の患者に対して思入れはありません。すべて同じ患者さんです。という事で、その人を看取りたくてサービス残業はあり得ません。

そして、病院なのに、無資格の人間に医療的な器具を持たせて報告させる・・・意味が分かりません。

どうも痰の多い患者さんが多くて、介護士が優先順位を決めるためにパルスオキシメーターを持って測定したとか。ありえません。

その人の循環問題とか色々あります。数値の意味が分からないのに看護に口出す介護は僭越です。

何か看護師はウジウジしているし、介護士は生意気そうなB病棟・・・。

気の強い私は絶対に問題を起こします。

ウジウジしている看護師に対してパワハラするでしょうね。私はウジウジ系は嫌いです。

そして、僭越な介護士に「生意気と言っちゃいますね。病院においては介護士は介護士。

介護士の指示で動くなんて最低です。例え患者が痰詰まりでも、介護士の指示では私は動きません。

自身の目で確認。介護士の情報は邪魔。私は介護士の情報を信じません。

つまり、私に報告はいらないという事です。

しかし、こんな私にB病棟異動の意見うです。

他の看護師とコミュニケーションは無理かな。

介護士も無理かな。

じゃあ・・・

頻繁にメールをくれる看護派遣会社の出番かしら?!

 

看護研究で在席確保できたみたいですが、

異動したら、ストレス発散に周囲をいびりまくってさよならかな。

いよいよ、派遣会社の出番かも。

 

 

秦という国の基礎を作ったという宣太后のドラマを観た影響。

季節柄「ちまき」が食べたくなった。

ちまきの謂れを調べると、出てくるのが太古の中国の国の一つである楚の国の詩人で政治家である屈原である。

「ミーユエ王朝を照らす月にも、ユエの幼馴染で初恋の人、そしてもともとは許嫁だった黄歇のお師匠さんが屈原だった。

実際は宣太后の略歴には屈原は出てこないし、黄歇の略歴にも出てこない。それどころか、この二人が許嫁というのもフィクションのようだ。・・・ちょっと残念・・・

ユエはもともと楚の公主。屈原の姓もユエの姓も羋・・・羋は楚の大王の血統の苗字ですから二人とも親戚ですね。

ユエにとって、屈原は自分のハートの根本を形成する大師匠のようだった。だから、黄歇ばかりか、屈原を粗末に扱う楚に対して「正さねば」という思いがあったという演出だな。

 
屈原という人は民に愛された政治家だったようだ。暗君が治める楚を憂いて泪羅江という川に入水自殺。それを知った民は我先に屈原見つけようと船を出した。どうも、それが中国伝統の競技。「ドラゴンボート」の根源らしい。
そして、民は
愛する屈原の遺体が魚の餌にならないように、米を笹にまいて川に投げ込んだとか。それが粽の根源。
そんな話をものの本で知って、
季節柄でもあるが粽が食べたくなった。日本のお菓子風の粽はあまり好きでない。。。
お稽古の帰りに出会ったのが、
銀座アスターの屈原のちまきだった。
いやいや、本当はおにぎり型っぽい、所謂ちまきが食べたかったのですが、売っていなかったので。
でも、美味しかった♪
食後はジャスミンティ。こういう水中花のごとくのお茶が飲みたくて大奮発。
楊貴妃になった気分。
中国の時代劇でよく耳にするのは「極上の菊花茶があるので」という台詞。
菊花茶!飲んでみたい。
親戚の結婚式で桜茶を飲みましたが、あんな感じですかね。
今の隣国の大国さんはあまり好きではないのですが、
華やかだった時代の彼国は大好きです。頭脳明晰で華やかで、時代の最先端を生きていた感じです。
 

 

久々のお稽古でした。

本当は昨日もだったのですが・・・。超多忙の夜勤にヘロヘロになった私は、仕事が終了して師匠にメール。

本当に申し訳ありません。まあ、この行けなかったで・・・またまた色々と愚痴を書いてしまいそうなので、昨日の事はパスです。

 

さて、今日は♪

弟弟子で藝大の学生となった方がお名取になったという事で手拭を頂戴した。

本当におめでとうございます。彼はこれからプロとして活動する。大きく成長してくれる事が大いなる願いです。

 

師匠に先日の『竹生島』の音を聴いていただいた。

自分では焦っているつもりはないのですが、微妙に決まらなければならないところが焦っていると。

お稽古の時に注意された「打ち込み 打ち返し」も今一つ。

が、全体的に良い出来とのお褒めを頂戴いたしました。

今回のように楽器が演奏中に張って来て、自身が音的にとても不快な気持ちに陥ったのですが、

後半は太鼓が入るから気にならないと慰めていただきました。

こういうケースは湿っている楽器を持って行くしかない・・・。そんなのは問題解決になりません。

そういう楽器を持っていないから苦労したのに!

 

ずっと重たい曲をやっていたので、気分が晴れやかになる軽い曲をやりたいと小鼓はリクエスト。

師匠は「軽い」=「簡単」と解釈されたようで、選曲が難航。いやいや、曲想が軽くという事だったのですがね。

で、

『まかしょ』になった。はじめいつつものように「上から○○番目」とか言って楽曲を選んでいたのですが、選んだのが『漁礁問答』・・・重い。

行きついたのがこの曲でした。

太鼓は・・・久々の太鼓。このところ仕事も忙しく。ついでに「看護研究」などという学術的な事にも取り組む事になってしまって、

お囃子の練習が必要最低限に至っているのが現実。

という事で今月に入って太鼓を触っていない。やばい。そして、師匠にもすぐに見透かされてしまった。

が、上から〇番目で引いたのが『秋の色種』。これ、たぶん踊りの時にはお囃子が入るだろうけれど。。。絶対パスと思ったのに、

「じゃあ・・・最初は序の舞」と始まった。

大概、演奏ではお囃子が入らなくて、日舞の伴奏でしっとり系は『序の舞』で始まるのが多いでございますね。

これ一般より一くさり多いのですが・・・

師匠が「小鼓は何を打っているんだろうね」と振ってきた。よく分からないけれど長地を分解すると後半はツヅケヒカエだから「長地二回じゃないですかね」と適当を言った。たぶん、長地と長地ツメでツヅケヒカエじゃないかな。何かの曲であった気がする。あっ・・・序の舞じゃなかったかな?

何気に楽曲引き出しを見ていたら、お囃子入りの色種があったよ♪ちょっと確認しよう。

 

中国の大河ドラマ。秦の始皇帝は主人公の曾祖母の生涯のドラマ。

中国史に残る女性政治家で、武則天もすごいけれど、この人も超すごい。武則天は自分が皇帝になってしまうけれど、この人はフィクサーとして秦という大国家の礎をつくった人だ。

実際に色々調べると史実をもとにしたフィクション過ぎない事に気が付く。

ドラマでは幼馴染であり、婚約者であった黄歇(こうあつ)。黄歇は屈原の弟子という設定。実際は違うらしい。

張儀など、当時の有名な政治家がこのドラマに登場する。

が、実際には主人公との人間関係は違うようだ。

黄歇と主人公の関係がとても好きだった。だから、彼女が秦の政治家として決断する時に一番大切な人を傷つける事を知りながら、それを乗り越えるシーンがとても好き。

たぶんありえない事はわかっているけれど、どこかで黄歇と結ばれて欲しい・・・。そう願っていたから、最後の別れのシーンが悲しかった。

 
超大作。全部見終わってしまって
「次からどうしよう」と思う私でした。とってもよい作品でした。

 

 

 

 

 

大田区邦楽連盟チャリティ演奏会。ご縁あって演奏させていただきました。内幸町等でのお仲間との演奏です。

長唄・三味線・お囃子。みんなで勉強したいねという事で叶った今日の舞台です。

『竹生島』か『紀州道成寺』との長唄さんからのリクエスト。

どちらの曲もけっこう大変なので、ゲーッ!だったのですが、『竹生島』を選曲して良かったと思います。

『竹生島』は能から来た手組能からオンパレード。トッタンものというのですが。トッタンの手組を覚えるには最適な曲なので、難しいのに意外と最初の方で習う曲である。

初心で習うものは、けっこう「実際に演奏すると奥が深くて難しいのよ」というのが多い。

この曲も、トッタンの手組を覚えるには最適な曲。しかし、そのキャリアできちっと演奏できるかは疑問の曲である。

三味線や唄との兼ね合いなど勉強になりましたし、

長距離ランナーとして、いかに最後まで体力温存ができるか、体力の配分も勉強になる。

能楽から来たものと思うと、ついつい力が入ってしまうのですが、お話しには色々な場面があって、その場面に適した演奏があります。

私は未熟なので、どうしても一本調子になってしまいます。その辺が表現できるようになりたいのですが・・・。

今回はそこまで解決できませんでした。

 

今日はとても暑かったので、真夏並みに湿度があると踏んでいたのですが・・・。

幕開きの小鼓は調子が良かったのですが、どんどん乾燥して後半の調子がとても悪かったです。

本当は脇小鼓と打ち分けするのですが、今回は賛助の先生にお手伝いいただいていて、

自分の勉強だからという事で打ち分け無しで頑張ったのですが。

楽器を置くと調子が崩れるリスクは避けられましたが、打ちっぱなしなので、演奏中に不調になっていく楽器に何の手当もできない事に気が付きました。打ち分けするにはそれなりの訳があるんですよね。

・・・本当は打ち分けするつもりでいたのですが、、、

師匠に「全部打つのは体力的に大変なので、、、」とつい告げてしまったら、

「能の小鼓は一人なんだよ。体力が持たないのだったら、そのように配分すればよい事だし、体力が持たない事を理由に打ち分けするなんて・・・(怒)」といつも温和な師匠に怒られた。

打ち始めたら打ちっぱなし。楽器の調子を治す事ができない。

やっぱり、途中楽器を置いて調整したかったな。「体力」を理由に怠けた事を言ったから怒られちゃったのよね。

 

 

自己採点で50点くらいかな。いやいや、それでも甘いかも。

なかなか納得いく演奏はできませんが、やっぱり舞台は楽しい。演奏する事は楽しい。

「たのくるしい」という新しい言葉を知人が開発しましたが、芸はまさしく「たのくるしい」世界です。

また、次回どこかで演奏できるように自己研精に励まなければんりません。

 

ご一緒して下さった皆様。本当にありがとうございました。