*** *** *** ***
パンダは癒そうとしてないのに
見てる側が勝手に癒されてる
(所ジョージ)
*** *** *** ***
まさにそう!
そして、それでいいんですよね。
パンダを見て「癒されるぅ」って感じるならば
それは自分を軽くするのだから
パンダの思惑はどうでもいいのです。
ところが
相手が人間だと
相手の思惑をあれこれ考えてしまったりします。
にこやかにしているけれど
「本当は」嫌なんじゃないか?
とか
いいですよって言っているけれど
「本心では」迷惑なんじゃないか?
とかね。
世の中には
「いいよって言ってても、気を遣って断るのは常識でしょ。」
とか
「言わなくても、これくらいわかるでしょ。」
なんて、ややこしいことを言う人もいたりして
そういう人に限って
それがさも全世界共通認識みたいに押しつけてくるものですから
「本当は」とか「本心では」とか
相手の思惑をあれこれ考える癖がついてしまう。
けど、まあ
ここは敢えてシンプルでいいのではないか?
と、わたしは思うのです。
にこやかにしてくれてたり
いいよって言ってくれてたりするのだから
「あー、よかったぁ」
って思っておく方が、自分が軽くなりますから。
相手の本心は相手にしかわからないし
自分の中を探しても、相手はいないんだし
どんなに考えても
相手の本心ではなくて、自分が勝手に決めているだけのこと。
どうせ勝手に決めるんなら
自分が軽くなるように決めてみるのもありですよね。
さらに言うと
逆に
自分が癒してあげたいって思ってるんだから
相手に「癒されてよ!」って言うのもおかしいこと。
どう感じるかは、相手に任せてしまえばいいですよね。