イケメンズが小学生のころ
ママ友に言われて、物凄くびっくりしたことがあります。
「誰とでも仲良くなれるからいいなぁ」
「あなたを嫌う人っていないんじゃない?」
この2つは、別々の場面で別の人に言われたのですが
あまりにもびっくりしたので
鮮明に覚えています。
わたしは集団に馴染めない子どもでした。
仲良しで集まってと言われても
仲良しなんていないし、ひとりポツンと残ってしまうのです。
皆が盛り上がっている話題に興味がなかったし
暗黙のルールはよくわからなかったし
話を合わせてにこやかになんて難しすぎたし
その他諸々
集団に馴染むためには
わたしには無数のハードルがあったんです。
できないことは諦める。
身体が弱かったおかげで、それは得意でした。
「みんなと仲良く」なんて無理難題を、大人たちは言いましたが
できないことはできないのです。
それは他の人も同じ。
「みんなと仲良く」っていくら言われても
集団に馴染めない異端児とは仲良くなんてできないわけです。
誰とでも仲良くしなくていいし
わたしを嫌う人だっているだろうし
それって、あたりまえですもんね。
イケメンズの小学生時代も
わたしのそういったところは子どもの頃と同じでした。
(そして、今も同じww)
やはり、わたしは集団に馴染めないままだったし
誰とでも仲良くしようと思っていなかったし
わたしを嫌っているよねという人だっていたわけです。
「誰とでも仲良くなれるからいいなぁ」
「あなたを嫌う人っていないんじゃない?」
どちらの人も
「うまく人付き合いができるあなたが羨ましい」
と言いました。
わたしから見れば
その人たちの方が、余程周りに合わせているし
とても気を遣っているし
いつも同じ顔触れで過ごしていて
所謂「集団に馴染むことができる」人たちに見えました。
立ち話している様子を見ると
ちゃんと共通の話題で盛り上がっているし
おそらく、集団スポーツが得意なんだろうなという感じでした。
どういうことだろう?
考えていて、はたと気づきました。
集団には内と外があるんだ!
集団に馴染んでいると
その内側にいれば安全ですが
外側というのが存在するわけで
そこは怖い場所なのかもしれない。
誰に攻撃されるかわからないジャングルという感じかな。
わたしは内側に入ることができない分、外側もありません。
わたしの人付き合いはとてもシンプルでした。
集団ではなく、個人との付き合いでしかないからです。
この人とは、どんなことが共有できるのか、できないのか。
この人とは、どんなふうに距離をとれば快適なのか。
そして
そうして過ごしてきて、いま思うことは
わたしの在り方としては、これが正解だったんだなぁってこと。
心豊かな交流ができていますから。
学校で、職場で、習い事など、さまざまな集団において
「集団に馴染めない」という悩みを聞くことがあります。
いいんです。
集団として捉えなくていいんです。
ひとりひとりを感じて、自分で距離を測っていって
心豊かな交流ができる人々と繋がっていけばいい。
だから、大丈夫なんですよ。