宗教はタブー
既に書いた通り、私は飲み屋で政治や宗教について語ることが多いです。年配者や外国人と飲む時は特に盛り上がります。もちろん、そういう話をする場合はお店や相手を選びます。自分なりに場の雰囲気にも配慮しているつもりですし、揉め事が起こることはほとんどありません。
ただ以前、一度だけ口論になったことがあります。相手方は海外の留学や在住経験が豊富な女性です。その発端は、彼女の「日本人は無宗教だ」という発言でした。
これについては大学時代に読んだ本を思い出しました。
日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)/筑摩書房

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私は、日本人は多神教だというのが持論です。それは、古くからの自然崇拝や土着信仰に加え、後に広まった神道や仏教などを含む意味での多神教という概念です。
今でも多くの人が、生まれたらお宮参りをし、死んだら墓に入って仏壇には位牌を祀ります。正月、節分、雛祭り、端午の節句、夏祭り、十五夜、新嘗祭となどの年中行事は宗教と密接に関わっていますし、七五三や成人式などの通過儀礼にも宗教的な背景があります。バレンタインデーやハロウィン、クリスマスなども宗教行事の延長線上にある行事です。日本に生まれれば誰しも、よほど意図して避けない限り、宗教的行為と無縁では居られないはずです。
さて問題は、これら行為に参加することが宗教的な行為と言えるかどうかです。「祭には行くけど檀家でも氏子でもない」、「キリスト教ではないけど結婚式は教会で」といった典型的なケースではどうでしょうか。
欧米など、キリスト教やユダヤ教の宗教観に照らせば、上記行為が宗教的行為と解釈されることはありません。それは信仰心とは無縁な、大衆的な行動様式のひとつに過ぎないと捉えるのが普通です。一方で、イスラム教国ではイスラム教を信仰することが法によって定められていますから、他の宗教的行為を行うことは異教徒として罰せられます。つまり、一神教という価値観に基づけば、宗教行事をこんなにいい加減にやる日本人は無宗教であるという事になります。
しかし日本は多神教のため、一神教の価値観をそのまま当てはめることはできません。天照大神や天皇陛下、お釈迦様や大仏だけでなく、菅原道真や平将門、太陽や富士山、七福神やトイレの神様、靖国神社の御霊をそれぞれ1%ずつ信仰しても良いのです。またそれらの宗教行為が、厳格な信心や作法に裏付けられているとも限りません。日本の宗教はとても寛容なのです。仏式に結婚した家でなくとも檀家を追い出されることはありませんし。
こうした日本独特の宗教観を培った要因には、神仏習合という観念が挙げられます。日本史では、土着信仰と神道、または神道と仏教が出会う度、一方を排除するのではなく、両者を折衷してひとつの体系を再構築するということが何度も行われてきました。日本人にはこうした、古い価値と新しい価値を融合してしまう器用さがあります。世界史に視点を移せば、多くの宗教は時代と国家の衰退とともに破壊されてきました。一方で、日本にも大陸から新しい宗教が何度も持ち込まれましたが、古い価値は破壊されずに残りました。その結果、現在の宗教観に至っているのです。
つまり日本人の宗教とは、非日常的な宗教行事としてではなく、むしろ日常慣習の中にこそ根付いているというのが私の見解です。
説明が長くなりましたが、日本人の宗教観を一言で語るのは容易ではありません。しかしそうした複雑な背景を理解せずして、日本人の宗教観を語ることはできません。確かに、アンケートを取ると一定の割合で無神論の方はいますし、その方々は無宗教かも知れません。しかし、「日本人は無宗教だ」というのは少し暴論過ぎると思います。
世界はグローバル化の時代ですが、せっかく海外へ出ても、海外の価値観に染まってくるだけでは何にもなりません。海外と日本の価値を融合し高めることをこそ目指すべきと思います。外国人と一緒に飲むと、彼らがいかに日本人の歴史観と宗教観の希薄さに呆れているのかよくわかりますし、その度に忸怩たる思いを抱きます。だからこそ、飲み屋でこの話題をタブーにしたくないのです。
とは言え、酒を飲んで女性に食って掛かる私もどうかと思います・・・。大人げないですね。
いつの日か、日本人が自分に誇りを持ち、自らの歴史観や宗教観を語れるようになればと願って止みません。
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神仏習合の寛容さ