お正月に家族集まって改めて気付いた。
出来ないコトが増えて
出来てたコトが増えた。
そのうちのひとつ、
同時に3つの事が出来なくなった。
①iPhoneイジる
②人の話を聞く
③テレビを見る(ってか他の会話を聞く)
魔女宅のキキのスランプみたいに
感覚的に出来てたコトが出来なくなるって
ホント悔しい
元に戻るかなんてわからないし
何の手がかりもないから
出来ないなら出来ないナリに
受け入れなきゃ
って 自分を説得させるのが
どれだけツラいか
思い知った。
出来てたコトが奇跡だったなんて
知らなかったよ。
2つ同時もムリとかホント萎える
目の前のコトに集中しろ!
ってコトだとしても
格下げくらった感しかない。
前までだったら、
聞いてるの?って言われても
聞いてるよ、○○で○○で○○でしょ、続けて!
って言ってたのに
ちょっと待ってを使う日が来るなんて
屈辱だった。
でも、
今を大切にするコトって
人それぞれ違うんだ
って体感してる。
私の場合、
どれだけムダを省いて
時間を有効活用できるか
が大切だった。
だから、
1つのコトに向き合って
真剣になるが故に他が疎かになる
って人が信じられなかった。
でも、限られた人生の中で
その時その時が
かけがえのないモノだと云う認識は
どちらも同じだとわかった。
時の流れは平等だけど
感じ方が違う。
心地イイ方がイイに決まってる。
出来ないコトを嘆くより、…
ってゆー ありきたりな言葉はいらない。
悔しい気持ちが大事じゃないなんて言わせない。
嬉しいに隠れた寂しい や
悲しいに隠れた悔しい が
どれだけの割合占めてるかなんて
誰にもわからない。
たった1%かもしれないし、
0.001%かもしれない。
そんな影が
自分を蝕む一部になり得る存在だなんて
誰も教えてくれない。
だから
どんな感情も大切にしたい。
だから
相手にもそれを望む。
消してもイイ感情なんて無い。
誰にも消させないし
誰にも消せない。
自分でだって消せないんだから。
あきらめる。
文字を打つのに
こんな体力使ってたのかって
思い知る。
生きてるだけで体力消耗する
生身の人間なんだ
ってイヤでも実感する。
座ってるのがやっと
立ちっぱなしだと足ガクガクしてくる
発熱ダルい
睡眠浅い
食欲あるのに食べたら気持ち悪くなる
意識あるのに体力ないから
もどかしい
半日出て歩くと1週間以上何も出来なくなる
ムリしてる意識すらないから
ホント厄介。
おわってる。
今を生きるって
こんなに難しいのかって病む。
1日休んだら取り戻すのに3、4日かかる法則がホントなら
半年以上クタばってたんだから
1年以上は元には戻らない
って腹くくってる。
それでもできるコト、
それでもしたいコト、
って見付かるモノなんだなぁって
不思議に思う。
頭が動いて
心が動いて
身体が動く
3つで私
だと云うコト学んでる。
どれかひとつでも欠けたら
私じゃないよ
って教えられてる気がする。
頭が拒否する権利
心が拒否する権利
身体が拒否する権利
最重要課題である。