あの1月17日から17年がたちました。
当時、私は東京に住んでいました。」
両親は芦屋で被災しました。
何時間も連絡が取れず、心配する以外に方法がない苛立ちを覚えた記憶があります。
確か当日の朝7時くらいだったと思います。たまたま繋がった電話で今は亡き父から連絡が入り、次に連絡が取れたのは3日後。その間増え続ける犠牲者の数にさらに心配が募りました。
5日後でした。両親に会いに行けました。
本当に偶然でしょうが私の実家の周りの全ての家は倒壊していました。
昨年の3月11日、未曾有の災害が起こりました。
阪神・淡路大震災の教訓は役に立っていたと思います。
しかし足らなかった。
想定外と言う言葉を使わなくて済むようにしたい。
人間の想像力を信じられる体制を作って行けるように。
犠牲者が犠牲だけでなくこれからの叡智になるように、私たちが得た教訓です。