※フェースブック 2015.12.29 (8年前)投稿した。
【知行目録】
写真1及び2は、妻(旧姓日高)の家にあった古文書のコピーで、
原典は、現在鹿児島県立歴史資料センター黎明館に寄託されています。
幾つか読める箇所を紹介してみます。
「知行目録」のタイトルは読めますね。
1枚目の終わりの方に「軍役」の字がある。何かの戦功に対して領地と石高を示しています。
3か所は、
・隅州小田 現在の肝付町内之浦に「小田」という地名があります。大隅国。
・隅州串良 これは、現在の東串良町か。
・日州庄内桜木 宮崎県都城市庄内。日向国。
それそれ、30石、50石、319石余り
「合400石」となっています。
九州大学名誉教授秀村選三先生のご本では、大隅半島では江戸期400石は、特別に多い石高だという。
発行年月は、
慶長19年(1614年)9月27日
署名は、
三原諸右衛門重種
伊勢兵部少輔貞昌
比紀伊守国貞(比志島国貞)
で、島津藩の家老です。ネットで検索すると出てきます。
宛先が、
加治木衆
日高休左衛門 殿
この「日高休左衛門」は、日高為晴1549-1610 の息子(為幹)と考えられます。
この知行目録は、江戸期の「高山名勝誌」上巻に書かれていて、その内容は、旧高山町発行の「高山郷土誌」(平成9年版)p1146-7に収録されています。
目録の地所は、辞令上のもので、実際には、
(和歌山の日高郡を経て)旧薩摩藩内の、加治木・内之浦を経て、高山に赴任したことがわかっています。
*鹿児島に来てから、上記のこと(「軍役」の内容など)を調べていますが、「薩摩藩高山郷」という私のブログ(現在は更新していません)にアップしています。