小宰相は薫の大将に横川の僧都から聞いた浮舟の消息を伝えたのだー。

 

 

 「世にも珍しく、また奇っ怪でもある話であるよ」と、薫はどうして驚かないでいられようか。「明石中宮がお問い

 

なされたのも小宰相が今話した事をそれとなく思いなされてのことであったのだ。どうしてすっかり一部始終をお話

 

なさらなかったのであろうか、と私は辛いけれども、顧みれば私も又初めからの浮舟との事情をお話してはいなかった。

 

小宰相から浮舟の話を聞いてからもそのことを人に語るのは馬鹿らしいような気持ちがして、他人にはなかなか語らない

 

秘密なのであるが却って外部の噂に上ることもあろうなあ。現在生きている人の中で秘密にしている事でも、秘密が

 

安全に保たれる世の中であろうか」などと、薫は考え込んでしまいこの小宰相にたいしてさえ「浮舟とはかつて、かよう

 

かようの事情がいかにもあったのだよ」などと明かしてしまうことはやはり口が重く感じられて、「その話はやはり

 

不思議であるとかつて私が考えた人に似ている様子である。ところで、その人はまだ生きているのであろうか」と薫が

 

仰ると、小宰相は「あの横川の僧都が比叡山から下りて京に出かけられた折に、その方を尼になされたそうです。その人

 

重病人としてひどく患われたのですが、皆が惜しんで出家をおしとどめていたのでした。けれども、御本人が尼になる意思を

 

強く主張してその結果で尼になりなされたと、人が申しておりました」と語った。

 

 僧都の話と言うのは場所も宇治であるし、又時期的にも当時のことを考え合わせると、浮舟と考えて間違いはないので、

 

「真実にその人を尋ね出したならば、私は本当に驚き呆れる気持がするであろうなあ。どうにかして確認できないもので

 

あろうかなあ。しかしながら、私のような身分の者が自身でわざわざ手を下して探し回るようなことは、愚かしくて

 

融通が利かないなどと、人が噂するかもしれない。そしてまた、匂宮もその噂を聞きつけて、昔の事を思い出し、浮舟が

 

考えて入ってしまった菩提の道を、きっと妨げなされるであろうなあ。浮舟存命の事を既に承知なので、私にはそのことを

 

伝えてはいけませんなどと明石中宮に申しなされたので、中宮様もこの件にかかずらうのは面倒であると感じられ、浮舟

 

を大層気の毒であると思われながらも黙っておられたのであろうよ。私も浮舟は遂に命を終えてしまったのだと思い

 

やめてしまおう。浮舟が死ななくて、今は現実に存在する人としてなっているので、いずれはその所在も分かるであろうから

 

今から末の世には浮舟とあの世の事だけを話し合う折もきっと訪れるであろう。彼女を自分の物として取り返してみよう

 

などとはもう思うまいよ」と薫は様々に思い乱れる。

 

 明石中宮様に申し上げても、宮は本心を御語りなされないであろうよ、とは思うけれども、中宮の御様子を知りたいと

 

思うので、然るべき機会を作って面会したのだ。「驚く程に情けなくて呆れてしまう状態で失ってしまいました人が

 

世に零落して現存しているように人がかつて私に語りました。しかし、どうしてそのような事が御座ろうかと私は考えるので

 

ありまするが、自分の心からその者が大袈裟に入水までして私から離れて行くことはないであろうと、私が常々考えていた

 

気の弱いその女のことでありまするから、人のかつて語った噂では物の怪などの仕業で入水などの浅ましい行為もあるで

 

あろうかと、それがその者には似つかわしい事と私には思われまする」などと薫は以前よりは詳しく申し上げた。匂宮に

 

関しては、宮と浮舟との関係や、宮の煩悶や御病気の事なども承知しているので大層気恥ずかしそうに、しかしながら

 

恨んでいるよにはさすがに申し上げなかったのだ。

 

 「その者のことを今になって又、如何にも薫が探し出したなどと匂宮様が御聞きなされたならば、私を愚かで見苦しい

 

好色な者とも御思いなされるでありましょう。それで、浮舟が零落した状態で存命しているのであったとは知らないような

 

顔をして過ごして居りまする」と言上申し上げた。

 

 明石中宮はお話なさる、「横川の僧都の語られるところでは、非常に恐ろしい夜の出来事でしたので、私は耳にも止め

 

ないで居りましたが、匂宮はどのようにして噂を聞き及んだのでありましょうか。けれども匂宮がかつて浮舟の所に

 

通ったことなどはどうして御身に語ったり出来ましょうや。怪しからぬ匂宮の御心であるなあ、などと思いながら只今

 

御身のお話を承っています。浮舟の存命を匂宮が聞きつけなされたならば、それこそ私は母親として心苦しく感じるの

 

です。このような女性関係の事に関して、彼が自分の身分を顧みずに非常に軽々しく、厭らしい人間としてばかり世間に

 

評判が立つのは心が鬱陶しく感じられてなりませんよ」と仰るのだ。

 

 薫は心中で思う、「明石中宮様は非常に慎重な御気質であられるから、きっと気の置けない打ち解けた世間話でも

 

人が内々で申し上げたような事を御漏らしなさるような事はあるまい」と。

 

 「浮舟が住んでいると言う山里は何処にあるのであろうか。どうにかして、世間体が悪くはないようにして、訪ね寄り

 

たいのであるが、どうしようか知らん。取り敢えず、横川の僧都に会って確実な浮舟の情報を入手するべきで、それが

 

先決であろう」などと薫は起きていても、寝ている時にも、その事ばかりを思うのだった。

 

 毎月の八日は必ず薬師如来の尊い供養を御執行なされるので、供物を薬師仏に寄進申し上げる事で比叡山に出かけなさる

 

機会に、薫は山の中堂に時々参っていたのだった。それで、中堂から足を伸ばして横川まで参ろうと思って、浮舟の弟である

 

童を連れて行ったのだ。「浮舟の母親達などには急には知らせないでおこう。その他の事は状況に応じて行動しよう」と

 

心で思うのだが、浮舟と再び相逢うかも知れないと夢のような気持にも、「弟の童に会わせて感慨無量の悲喜こもごもの情をも

 

その時に添えよう」との思惑なのでありましょう。

 

 然しながら、浮舟を小野の里で発見しながらも、みすぼらしい姿に変わっている尼達の中に男も居るなどと、煩いの種と

 

なるような事を耳にしたならば辛さは相当なものであろうよ、などと万事につけて道中の間も思いは千々に乱れるのであり

 

ましたよ。

 

 

              《  手習い の巻 完了  》

 

 長編の歌ものがたりの五十四帖もあと一帖を残すのみとなった。世にも素晴らしい運命を担ってこの世に誕生した光る源氏は

 

世にも孤独で、悲しい宿命を生きなければならないように予め定められていた。「源氏物語」とは、そうした世にも奇妙な前世か

 

らの縁を身に体して現世で人が体験し得る栄華の限りを尽くし、外見的には華々しく、よそ見には垂涎の的であるようなきらびや

 

かさに包まれて居り、事実作者はさながら地上での天国の住人ではないかと思われる源氏の素晴らしさを、これでもか、これでも

 

かと描写しつくすのでありましたが、それとは裏腹な源氏の地獄を思わせる侘しさや悲しさは自然に浮き彫りされるような仕掛け

 

に物語を展開させている。そこには何らの不自然さもないのであります。

 

 さて、この大河の様な素晴らしいストーリーの最後に、女性版の貴種流離譚を据えた。お姫様に名は光源氏とは対照的に浮舟

 

(うき・ふね)ですね。誠に頼りなく、自分の意思などは皆無で、運命の大河の流れのままに流され、翻弄される実に儚い運命を

 

生きさせられる。と、素直に読めば受け取れる。しかし、浮舟は天皇の血筋を色濃く受け継いでいる絶世の美人なのであり、当代

 

切っての貴公子、プレーボーイ二人から熱烈に愛されて、その挙句に結局はその熾烈な肉欲を自分の「意志」で拒絶して出家遁世

 

する。この冒頭と掉尾との見事な対比の妙、非凡極まりない天才の筆の冴え、なのでありますが、この美女浮舟の一見突飛なと

 

思われる行動も、実は伝統に則ったものであることは今更に私などがおこがましくも論う必要もないことなのでありまする。

 

 蛇足めいて付け加えれば、日本の芸術は個人の個性を強調する西洋的なそれとは異質な成り立ちを伝統的に有している。物語

 

だけに限った事ではなくて絵画や文芸一般にも共通した特色であります。