左から3人目、御木白日。 右端はフミヤス。(先週)

 

 

 

目次

1)すでに勝負がついた ~バイデンらネオコンは総崩れ

2)日本もPL教団も卑怯者に乗っ取られていた

3)プーチンロシアの勝利で世界が変わった ~日本もPLも変わる

4)PL教団がひっくり返る ~御木白日から御木美智代への檄文

 

 

 

1)すでに勝負がついた ~バイデンらネオコンは総崩れ

9月以来4か月間ブログを休んでいましたが、ユダヤマスコミのプロパガンダの嘘っぱち洪水にくたびれたわけではない。200年にわたって世界人類を牛耳って搾取と強盗と人殺しと戦争を繰り返してきた新植民地主義者=ユダヤマフィア・ネオコン勢力が、今年2023年に入って総崩れを起こしているからだ。バイデンもネタニヤフもフォンデアライエンもただの残骸に過ぎない。だから彼らがやることなすことみんな失敗のオンパレードで、歴史的なマヌケぶりだ。ユダヤマフィア・ネオコン勢力に支配されたG7・NATOはもはや実力を失って世界のマイノリティに転落した。一方世界はプーチン・ロシアを中心とするグローバルマジョリティがすでに世界の人口、世界の軍事力、世界の食糧生産、世界の石油および資源、世界の工業生産力、世界の市場の大部分をみなおさえてしまった。もう勝負がついたわけだ。おれなどが改めてブログに書くこともなくなったのである。日本はまだネオコンの子分の卑怯者自民党政権が政界もマスコミも牛耳っているので、日本人の多くはまだこの実情を知らないままユダヤネオコン勢力に搾取され続けているが、その決壊ももう時間の問題となった。

 

 

2)日本もPL教団も卑怯者に乗っ取られていた

日本は敗戦後、ユダヤネオコン勢力に媚びる卑怯者の日本人が、ユダヤネオコン同様に金と権力と暴力の恐怖によって、自民党、財務省などの官僚組織、学界、学校教育、大企業、とくに製薬業界、宗教組織などさまざまな団体を支配してきた。日本の宗教法人PL教団でも、3年前に亡くなった第2代教主・御木貴日止の夫人御木美智代がユダヤネオコンの手法と同じやり方でPL教団の莫大な資産の私物化をすすめ、ついに教団資産を監督してきた信者の代表団体を解散させ、教団資産の完全なる私物化を完成させた。美智代はこれに反対するまじめな教師や教会長たちを片っ端から追放または辞任に追い込み、言いなりの子分たちで教団の組織を固めた。ユダヤネオコン同様に我欲と傲慢と搾取に没頭し、人助けが大嫌いで、御教えも人類救済も全く理解できない美智代は、ついにPL教団の創設者で初代教主である御木徳近の教えをPL教団から抹殺し、御木徳近の系譜を継ぐPL学園、PL野球部、PL茶道部、PL華道部、PL出版、全国のPL教会などをみな廃部や閉鎖や売却に追い込んだ。もはやPLの御教えを守ろうとするまじめな教師や教会長はほとんどいなくなり、御教えと救済ができる教師も教会長もいなくなった。信仰を求める信者は次々に脱退し、ものすごい勢いで信者が減少している。御木美智代執行部は信者も教師も誰もいなくなって、言いなりになる奴隷スタッフと膨大な不動産資産さえ残ればよいと考えているとしか思われない。美智代支配下のPL教団はもはや教義もなくなり、何も教えない、誰も救わない、布教もしない、教主さえいない、御木美智代が教主代行と自称して私物化した資産にしがみついているだけの不動産屋になり下がった。

 

 

3)プーチンロシアの勝利で世界が変わった ~日本もPLも変わる

しかし2023年になると、世界はプーチン・ロシアを中心として、中国、アラブ諸国、インド諸国、アフリカ諸国、中南米諸国などによってグローバルマジョリティが形成され、一丸となって、アメリカとヨーロッパに巣食う強盗・搾取・殺人・戦争屋の新植民地主義者=ユダヤネオコン勢力の排除打倒に取りかかりはじめた。その勢いはもう止まらない。ユダヤ・ネオコンの居城であるアメリカ国内やヨーロッパ各国内でさえも、トランプ、共和党、共和党支持者、ロバート・ケネディJr、各武装勢力、ハンガリーのオルバン首相など、ユダヤネオコン勢力を打倒する動きが本格化している。そして遅れに遅れているが、日本でもようやくそういう動きが始まった。その先頭を切っているのがPL教団だろう。PL教団の元祐祖、御木白日は初代教主御木徳近の娘であり、徳近の下で数十年にわたって修行を続け、徳近から御教えを行うことを許された。以来、数十年、毎日、1日に200~400人にも上る人々に御教えと救済を続けてきた。いまや教団内で御教えのできる教師は御木白日ただ一人である。ところが美智代は教団の権力を握るため、白日の祐祖を解任した。結果、美智代は教団の権力を握り膨大な資産を私物化したものの、現在、PL教団で御教えのできる教師はただの一人もいなくなったわけだ。いまやPL教団の存在意義はまったくなくなろうとしている。すなわちPL教団の生命は消えようとしている。そこで、ついに今月、この2023年12月、御木白日はPL教団の初代教主御木徳近の御教えと人類救済を復活するために、すなわち死に体のPL教団に再び生命を吹き込むために、ネオコンと同じ搾取戦争体質の御木美智代の打倒に立ち上がった。

 

 

 

4)PL教団がひっくり返る ~御木白日から御木美智代への檄文

 

御木美智代 殿

2023年12月11日、御木白日

PL教団からの退陣を求めます 

 

私は、御木徳近師と影身祖の娘として、〝人生は芸術である。楽しかるべきである〟の真理を体得すべく長年お側で宗教家としての教育と薫陶を受けて参りました。現在も、父徳近師の教えを守り貫き、そしてPLの教えを求め、〝みおしえ〟を願われる会員さんがたにPLの教えを説き、〝みおしえ〟をさせていただいています。

PLの教えの立教者徳近師に遂断られた祐祖御木白日として美智代夫人に申します。

 

 PLの教えを立教、パーフェクトリバティー教団(PL教団)を設立、初代教主となられた御木徳近師が昭和58年(1983年)2月2日に亡くなり、PL教団の二代教主を継承された御木貴日止師は令和2年(2020年)12月5日に亡くなりました。

 

 現在のPL教団は、徳近師が予言したとおりの姿になってしまっています。徳近師は、美智代夫人とうわさが立ち始めた貴日止師に、「もし、あの女性と結婚というようなことになったら、まず貴日止、お前が駄目になる。そして教団が駄目になる。とんでもないことになるから、やめなければならない」と言われたのです。東京の代々木上原の上原薫先生のお宅でのことでした。そのとき、私もその場におりました。

その頃、徳近師は上原邸を東京の宿泊所として使っており、貴日止師は、東京大学に在籍中の8年間、上原邸におりました。上原邸には、DSさんもいましたが、次々結婚され、年を取られた女性が忙しくしていました。そこに広島の須田正昭教会長の紹介で、DSではない美智代夫人がお手伝いとして入り、掃除、洗濯、その他いろいろ用事をするようになっていました。

貴日止師との噂が立ち始め、これはいけないと、徳近師が貴日止師に注意し、美智代夫人にはやめてもらい、紹介者だった広島の須田教会長の許に帰ったのです。その後、美智代夫人は親戚を頼って淡路島に行きました。そこでさる男性と婚約していたのです。

貴日止師は、徳近師の言われたことを非常に気にしていました。徳近師の言葉に従っていた貴日止師でしたが、徳近師が亡くなると、美智代夫人とまた会うようになり、その結果が、貴日止師の若くしての病気と死、そして現在の教団の状況です。このままでは、今後ますます教団がダメになることは目に見えています。

会員さんは、教団で起きている重要な変化を何も知らされず、教会はどんどん売られ、教師のかたがたは本来の教師教育を受けることもなく、布教活動に専念することもできていません。宗教団体としての実質がすでに消えてしまっています。

このような現状を打破して、PL教団が本来の宗教団体に戻るには、美智代夫人に辞めていただく以外に方法はありません。

 

 貴日止師の実父の橋本清太理事長は、祐祖会議で、美智代夫人が婚約している男性からの手紙を読み上げ、結婚話がむし返されていることが報告されたのです。橋本理事長は、貴日止師に「女性を取るか、教団を取るか?」と迫ったが、両方を取ってしまったと語っていました。淡路島の男性は、結婚を認める条件として「美智代夫人が結婚しても、表には出ないこと、写真も出さないこと」を求めて来たので、そのような内容の誓約書を男性に差し入れています。また、相応の補償をしてほしいとの求めにも応じています。

 

 美智代夫人は「結婚に反対されたので、徳近師が作り上げたものをすべて潰す」と教師や会員の前で公言しています。PL教団自体が徳近師が作り上げたものですから、美智代夫人は教団自体をも潰そうとしているのかもしれません。

2023年11月4日号の『週刊現代』に、教団の元幹部の言として「教団と信者の団体の会合でのことでした。美智代さんが珍しくあいさつに立たれたのですが、そこでかっての貴日止教主との結婚に反対した二代さまや影身祖さまへの恨みつらみを、我々信者の前で堂々と述べられたのです。私たちにとっては二代さまあっての信仰です。あまりのことに事態が飲み込めず、その後、PLの将来は大丈夫なのかと愕然としたことを覚えています」と書かれています。

 

 美智代夫人は、徳近師に対する敬意を欠いているばかりでなく、貴日止師に対する敬意も欠いています。

(1)平成21年(2009年)7月26日に、貴日止師は、美智代夫人とお伴の教師2人と御木徳近記念館に来られました。このとき、私は貴日止師に、「私はあなたに代わってここで毎月PL処世訓の勉強会を開き、教えの話をさせていただいています。みなさん熱心です」と申し上げますと、貴日止師は「勉強会をやっているのは、すばらしい、よいことですね。ありがとうございます」と言われました。それ以後、教団でも勉強会をいろいろやっていることが「芸生新聞」に出るようになりました。このとき、貴日止師は「ここは誰が来てもよいですね」と言われました。ところが、美智代夫人は「誰にも来てもらっては困ります」と貴日止師の目の前で、しかも2人の教師のいる前で、貴日止師の言葉を否定したのです。
(2)平成23年(2011年)1月23日午前9時過ぎ頃、貴日止師は、直接私に電話をかけてきました。「貴日止です。私はもうこれ以上おしえおやの務めを続けることが出来ないんです。白日さんにあとをお願いしたいのです。ぜひおしえおやになってください。お願いします」、そのお声が私には、悲痛な、すがるような、叫びのように聞こえました。私は、思わず、「私でよければ、させていただきます」と申し上げました。「よかった。よろしくお願いします。今から皆にも話をしなければなりませんし、書類など手続きをしなければならないので……」、「私はどうしていたらよいのですか」と申しますと、「また後で電話しますから」というお話でした。私のそばで、たまたまその電話を聞いていた会員さんがおりました。

貴日止師は美智代夫人にも誰にも話をすることなく、直接私に電話をして来られたのです。まさに貴日止師の第一感だったのです。それを聞いて美智代夫人は驚き、理事ら側近の教師を勝手に集めて、「もし、白日さんが継いだら、あなたたちは、みんなクビですよ。だから、そんなことにならないようにしなさい」と言って、貴日止師に哀願、土下座をさせて翻意してもらったのです。1週間ほどして、貴日止師から「もうしばらくおしえおやをやらなければならなくなりましたので、白日さんはまたその後で……」と電話がありました。貴日止師の宗教家として大切な第一感を、美智代夫人は潰してしまったのです。

(3)平成26年(2014年)7月24日、影身祖さまが亡くなったとき、貴日止師は、私に電話をかけて来られ、「影身祖さまが亡くなられたので、すぐ病院に来て下さい。私も今から行きます」ということでした。

病院に行きますと、影身祖さまは看護師さんによって美しくお化粧をされていました。私は貴日止師と座っていましたが、隣の貴日止師が突然私に真剣な眼差しを向けられ、「私は二代さまからも、影身祖さまからも教えを聞いてこなかった。もう白日さんしかいないので、白日さん、教えを教えて下さい」と言われ、深々と頭を下げられたのです。びっくりした私は「私が分からせていただいていることは何でもお話します。何でもおっしゃって下さい」と申しました。そのとき、「貴日止は教えが分かっていないから、白日、お前が教えてやってくれ」と父徳近師が生前、私に言われた言葉を思い出しました。美智代夫人は貴日止師越しに私のひざをポンと叩いて「私にも教えてね」と言っていました。

それまで、貴日止師と私とは、ホットラインのように直接電話で話をしていました。ところが、それ以後、貴日止師との直通の電話がつながらなくなってしまいました。美智代夫人は、貴日止師の教えへの思いを自分勝手に否定してしまい、貴日止師が私と教えの話をすることを妨害したのです。私は、徳近師が貴日止師に、「もし、あの女性と結婚するようなことになったら、まず、お前がダメになる。そして教団がダメになる」と話されたことをあらためて思い出しました。

 

 貴日止師は、平成19年(2007年)2月1日に硬膜下血腫で倒れ、近畿大学の病院に入院しました。その頃でした。私は自宅のキッチンの棚からお皿を出して、手にした途端、お皿が真二つにパンと音を立てて割れたのです。私は何か重大なことが起きたと直観しました。すぐに貴日止師が倒れたという知らせがありました。

徳近師は、教団一大事というときは、祐祖を中心に教団のことを決めていくようにと私たちに教えておりました。優先生、慶子先生、千葉先生、山田先生、私と、今後のことを、教師教育の必要性なども含めて、いろいろ話し合いをしていました。PLの教師教育は「我(われ)無し」の心境をぜひとも把握してもらうことです。そうでないと、芸術すること、自己表現することの大切さを真に理解することができません。みおしえができる人にはなれないのです。美智代夫人には、そのような教師教育はできません。ところが、清島さんが、美智代夫人に言われ、私たちが謀反を企んでいるなどとあらぬ噂を流し始めました。

私たちは、徳近師が残されたこの教団をどうして行くかを真剣に話し合っていました。ところが、美智代夫人と清島さんの関心はそれとは別のところにあることが分かって来ました。徳近師の教えを知っている人々と、知らない人々の違いだったのです。徳近師の教えを実践したいと志向する人たちと、そのようなことには無関心な人たちがいたのです。

 

 平成19年(2007年)3月22日、私は近大病院に行き、貴日止師の病室を探して訪ねました。誰も病室を教えてくれませんでしたので、自分で探して行ったのです。

(1)貴日止師は、全身、管につながれた状態で、ムーンフェイスになっていて、話はできませんでした。カッパ座の古市さんがベッドの枠にうつ伏せになっていました。古市さんの肩をトントンと叩きますと、古市さんは驚いて飛び上がりました。「白日祖さま、よく来られましたね」とビックリして、美智代夫人を呼びに行ったようでした。美智代夫人と清島さんがやって来ました。別の所で話をしましょうということになり、場所を変えて、3人で話をしました。

清島さんは録音を取っているようでしたので、私が「黙って録音するのはどういうことですか」と言いますと、「いいえ、これは誰にも聞かせません。私だけのものですから」と言い訳をしていました。

私は、美智代夫人に「ご主人がこのような病気になったのは、奥さんのみしらせでもあるのですよ」と申しますと、美智代夫人は、「あの人が勝手に病気になっているんで、私には関係ありません」とのことでした。

(2)「会員さんのみおしえ願いはどうなっているのですか」と問いますと、「みおしえのすんだものが、3ヶ月前からそのままになっています。おしえおやさんが病気で倒れたので、遂断る人がいないのでそのままになっています」。

それを聞いてびっくりしました。「みおしえは、させて頂いたら一刻も早く本人に渡さなければいけないのです。そうでないと、みおしえをした人の責任になるのです。とんでもないことです。すぐ私が遂断らせていただきます。どのくらいあるのですか」と聞きますと、両手を広げて「このくらい大きな袋2つあります」と言ったのに、また驚きました。帰宅後、たまっている〝みおしえ〟を係りの者に、御木徳近記念館の神前に持ってきてもらい、大きな袋2つを遂断らせて頂きました。こんなことははじめてでした。「みおしえ」がどういうものかも認識していない、教えを知らない人たちだったのです。

(3)また〝おみたま〟についてもどうなっているのか心配になり、「おみたまはどうなっているの」とききますと、「そのまま願いを出させています」というので「お金ももらっているの」と聞きますと、「お金を取っています」というので、「それはいけません。お金をいただいていながら、おみたまを下附しないのは、とんでもないことです。すぐ止めて下さい」と言いました。

すると、「会員というものは、待てといえば、5年でも6年でも待つものです。金を持って来い(このような言葉を使ったのです!)、といえば、いくらでも持ってくるものです」と美智代夫人は言ったのです。

(4)教主の病状が分かったのと、美智代夫人の〝みおしえ〟や〝おみたま〟というPLの教えの基本に対するスタンス、会員さんに対するスタンスもわかりましたので、帰ろうとしますと、美智代夫人が「私も帰りますから送ります。お昼を一緒に食べましょう」と言うので、岡本さん運転の大きな車に乗り、途中、食事をするべく、3人でお店に入りました。しばらくして、そこに清島さんがあたふたと飛び込んで来ました。

清島さんは私の前に座ると、突然、私の前に短歌を一首出して、「この歌をみて下さい。どうでしょうか」と言いました。私は本当に突然で驚きました。今、食事をしようとする時に非常識だと思いました。私は短歌をみて、「まあまあ、いいではないですか」と返しました。その時、「何かあるな」と直感しました。

病院で、清島さんが大きな茶色の皮革の筒(私が徳近師から下附された祐祖神霊が入っているものと同じ外見のもの)を持ってうろうろしていたことを思い出し、異様な雰囲気を感じました。美智代夫人が余計な話をしないように割り込んで来たのでしょう。

清島さんはしばらくして出て行きました。食事が終わり、お店を出て岡本さんの車に私が先に乗り、美智代夫人が後から乗りました。すると清島さんがまた出て来て、美智代夫人を引っ張って、車から降ろしました。私は岡本さんの車でそのまま帰ったのです。私は、清島さんと美智代夫人の間で、何かあるのだと感じました。

(5)近大病院の担当医が「脳を少し取ったので、頭の働きが十全でなくなる」旨話したところ、美智代夫人は、「いいです。私がやりますから」と言ったことを周りの人たちは知っています。

 

 美智代夫人!あなたには、即刻、辞めていただかなければなりません。あなたは、ご自分の結婚に反対されたからと、徳近師が作り上げて来たものを「すべて壊して、残さない」と教師および全奉連に対して公言され、それを実行して来ました。そのため、PLの教えの立教者である徳近師の尊厳と名誉はすでにひどく傷付けられてしまいました。徳近師が立教されたPLの教えも、徳近師が設立されたPL教団も、その尊厳と名誉をすでに致命的に傷付けられてしまっています。

美智代夫人、これ以上あなたが教団に留まる目的も理由も失くなったのです。即刻辞めていただかなければなりません。美智代夫人の私的、個人的なうらみの仕返しに教団の教師の人たちや会員さんをこれ以上巻き込むことは許されません。教師のかたがたには、宗教家としての本来の修行と鍛錬、布教に専念する機会が提供されなければなりませんが、美智代夫人の下では、それができません。

PLの教えを求める会員さんには、〝みしらせ〟の原因となっている、目には見えないその人特有の「我(が)」が目にみえる「癖(くせ)」として現れていることを教示して、その人のゆがんだ「自己表現」を正し、正しい「芸術」へと導く〝みおしえ〟が提供されなければなりません。そのためには、ほんとうの〝みおしえ〟のできる教師が控えていなければなりません。会員の皆さんの心の救済が必要です。

 

 立教者である徳近師と教師の先人たちが作り上げて来たPL文化が、そしてPLの教えそのものが、今の教団からは消えてしまいました。今の教団は、もはや「PL」ではありません。「PL」としての内容を失っているのです。残っているのは、皮肉なことに、これも立教者徳近師が残された「土地」です。しかし、その土地は、「土地としての土地」だけであって、PLの教えの「魂」、「神髄」を抜き取られ、踏みにじられたただの「土地」になってしまいました。
 そのことは、現在の富田林市のPL本庁の中を歩いてみますと、すぐに分かります。「百聞は一見に如かず」です。

(1)徳近師が作られたあの重厚な第一道場、PL学園の短大の建物、金剛寮や葛城寮の建物も含め、そのほとんどは廃墟となっています。柳川悠二著『永遠(とわ)の学園』(小学館2017年、小学館文庫2019年)では、「最盛期の遺物」との小見出しで、「大阪府富田林市に広がるPL教団の敷地内には廃墟がいくつも点在している」(同書154頁、同文庫150頁)と指摘しています。「最盛期の遺物」の「最盛期」とは、立教者で初代教主の徳近師の時代のことです。現在の本庁内の景観は、その「最盛期」の「遺物」の集積にすぎないことが指摘されているのです。

加えて、新たに作られた錬成道場、芸生殿などの建物の景観、機能は、宗教施設として従前のものに及ぶべくもありません。また、取り壊しと新築のプロセスそのものが金銭的なスキャンダルにまみれているとの風評が絶えないようです。

(2)PL教団の本庁内は、桜の木にあふれ、芸術の都にしたいと願っていた立教者徳近師は、「花山主」(はなやまぬし)ともいわれもしました。その本庁の桜の木が、今、危機に瀕しています。奥津城への参道の桜の木もほとんど切り倒されてしまいました。

(3)それから、ご正殿のウラ手の池や窪地(くぼち)などの埋立て工事、宅地造成工事が、二代教主貴日止師が硬膜下血腫で倒れた平成19年(2007年)以降、現在に至るまで、今の教団によって続けられています。その埋立て工事が行われている面積は、数10万平方米にもなっていますし、埋立てのために運び込まれた土砂はボウ大な数量に及んでいます。土砂を運び込んだトラック1台当たり数万円の金銭が教団に入っているとのことです。

このような土砂で本庁の聖地が汚されるのをこれ以上許してはなりません。「一坪献地」によりこの聖地を造り上げて来られた会員さんたち、先人たちを冒涜する行為です。「教団の財産はすべて会員のものである」との立教者徳近師の教えを忘れてはなりません。加えて、総合受付を入ってすぐ左側の第一道場の周りの池までもこれから埋立てるそうです。許してはならないことです。

(4)今の教団は、本庁の中を一般の人々にはもちろんのこと、会員さんにもあまり見てほしくないのです。教団は、本庁の「総合受付」に、「PL会員でない方は入場できません」、「訪問申請されていないPL会員の方は受付までお越しください」と書いた大きな立看板を置いて、一般の人々および会員さんの入場を妨害しています。

 

10 今の教団は、数多くの教会の土地建物の売却を急ピッチに進めています。2000年当時、450ほどあった教会が現在では、180を下回るまでになっています。教会は会員さんの献金によって建築されたものです。建築されて4〜5年程しか経っていないのに売却されてしまった教会もあるようです。会員さんの数も激減しています。教勢の衰退は歯止めのかからないところに来ています。

 

11 このような法律に違反した行為、そして教団の大勢の教師のかたがたや大勢の会員さんを「蚊帳の外」に置いた不当な行為を今の教団にさせているのは、教団の理事長でも理事会でもありません。今の教団を壟断(ろうだん)している美智代夫人です。

美智代夫人には、PL教団から退いていただかなければなりません。これ以上、今の教団に不当な献金、不当な寄付金、不当な悟加富を許してはなりません。現に、令和2年(2020年)4月から教団が始めた「新御正殿建築献金」について、違法不当な献金なので献金を返還してほしいと裁判を起こしている会員さんがいるのです。これ以上PL教団が反社会的な団体になることを黙視してはならないのです。

「悪がはびこるのに必要なことは、ただ一つ、善人が何もしないでいることだけです」と喝破したのはイギリスの思想家エドモンド・バークです。現役の教師のかたがた、OBの教師のかたがた、事業体のかたがた、会員のかたがた、そしてPL学園OBのかたがたも、表立って声に出すことはできなくとも、「美智代夫人が退陣しないかぎり、PLを良くすることはできない」と願っておられる人々が大勢いるのです。そのような声が直接私の耳にも入って来ているのです。手紙も来ております。

私たちは、これ以上、今の教団の言動、すなわち美智代夫人の言動を野放しにしてはなりません。これを放置することは、悪に加担することにほかなりません。
 美智代夫人! すみやかにPL教団から退かれることを求めます。すみやかに、教えを説き、布教に専念する本来の宗教団体に戻らなければなりません。

 

12 美智代夫人退陣後、PL教団が本来の宗教団体に立ち戻るために行わなければならないことは、次のとおりです。

(1)まず第一に全奉連(全国奉仕員会連盟)には、「規則」に定められているように、従前のように会員を代表する機能を発揮していただくようにすることです。教団は、「規則」で定められている全奉連を勝手に潰しています。今の教団が陥っている「規則」違反の状態を解消しなければなりません。「教団の財産はすべて会員のものである」との徳近師の教えへの回帰です。

(2)「教憲」に定められているように、三代教主を決めなければなりません。

(3)失われた〝みおしえ〟を復活させる。全教師が〝みおしえ〟のできる宗教家を目指す、立教者徳近師の本来のPL教団を取り戻すことです。

(4)オウム真理教事件後に、改正された宗教法人法により、宗教法人は毎年、文部科学省(文化庁)に財産目録などの書類を提出する義務を負っています。ところが、今の教団は、その提出義務を怠る宗教法人法違反を毎年繰り返しています。これからのPL教団は、そのような反社会的な状態を解消して、毎年提出を義務付けられている書類を文化庁に提出するようにしなければなりません。それが、不透明になっている教団の財務体質を透明にすることに直結するのです。教会売却の実情、売却代金の使途などが透明化されることにもなります。また、立教者徳近師がPL文化をグレードアップするために蒐集された絵画の行方も自ずと明らかにされるのです。

(5)立教者である徳近師の遺骨を会員さんに説明することなく、今の教団は奥津城から運び出してしまい、現在どこにあるのか、会員さんが教会長に聞いても「分かりません」とのことです。このような宗教団体として異常な状態を、これからのPL教団は、解消しなければなりません。PL教団は、美智代夫人、あなたの私物ではないのです

 

以上のようなことは、美智代夫人の下の今の教団ではできません。美智代夫人の退陣を求める由縁であるのです。母影身祖もそのように願っていました。多くの教団関係者のかたがたもそのように願っていることは、先に記したとおりです。

私は、美智代夫人との話し合いを何度か求めて来ましたが、美智代夫人はこれを拒否しています。たとえば、貴日止師が亡くなられた後の全教師会議において、会場には出席していない、美智代夫人に対して、私は「二人で話がしたい」と申し入れましたが、わざわざDSを通じて「皆の前で二人で話をします」と会場にいる私に知らせに来させています。しかし、美智代夫人が会場に姿を現すことはありませんでした。本来であれば、全教師会議に、まず美智代夫人が会場に出席し、貴日止師の力となって働いている全教師に直接感謝の意を表すべきです。なぜ、そのようなことをせず、全教師会議の会場に出席もしなかったのはなぜでしょうか。私は、教えのこと、教団のことについて美智代夫人と話をしたかったのですが、出来ませんでした。

「皆の前で二人で話をします」という約束は、破られました。美智代夫人が辞められるための条件があれば、話されてはどうですか。貴日止師が私に「おしえおやをやってほしい」と直接電話をかけて来た時に、美智代夫人が上原慶子先生に「私たちの退職金はどうなるのでしょうか」と相談されたときのようにです。