ロンドン大学のサンドリン・チュレ教授。脳細胞は人為的に新生できると発表した(→人類は進化する(2)宇宙の経綸に聴く
 
 
 
日本最強のフィクサーT先生の豪壮な本宅は東京駅から新幹線で1時間ほどの近県にある。
 
T先生は毎週月曜の午後から金曜の午前までの4泊は銀座にほど近いタワーマンションの最上階で過ごし、金曜の午後から月曜の午前までの3泊はこの本宅で過ごす。
 
ここはT先生の故郷であり、県知事や国会議員、県警トップなどはみなT先生の子分だ。地元実力者にはT先生が主催するT塾の塾生も多い。いわばここはT先生の王国と言ってよい。
 
 
 
先日、このT先生の本宅に安倍政権のフィクサーX氏を案内した。
 
政界ではこの二人は有名なのでお互いによく知っているし、何度か顔も合わせているが、あらためてじっくり語り合うのは今回が初めてになる。
 
表向きは懇親のためだが、じつはX氏が抱える重要案件(もちろん内容はここには書けない)の相談または水面下の駆引きが隠れた目的だ。
 
 
 
東京駅でX氏と待ち合わせ新幹線に乗車すると、幸いグリーン車にはほとんど乗客がいなかったので、X氏も知らなかったT先生の事績を事前説明するとともに、X氏からも政界情勢や安倍内閣の裏事情を聴いた。
 
二階幹事長も菅義偉官房長官もX氏と特別な関係にあるので安倍政権の裏事情は手に取るようにわかる。
 
 
 
小一時間でT王国に着くと、X氏のためにT先生自ら愛車のベントレーで駅に出迎え、ほどなく豪壮な本宅に着くと、普通の家の3階の高さの天井を持つ広いリビングで茶を飲んだ後、T先生自ら各部屋の美術品や貴重な資料を案内した。
 
それからこんどは愛車のロールスロイスで料亭に向かう。この料亭は一昨年T先生が買いとったもので、800坪の敷地に広壮な和風建築を有し、門の両側には大きな高張り提灯を掲げている。
 
なにしろT先生が命じて吉兆の料理長と金田中の女将が顧問について、この料亭のために選り抜きの料理人や女将や中居たちを送ってきているのだから、料理も接待も日本でトップクラスと言える。
 
T先生、X氏、おれの3人で会食するのはこれが初めてだが、貴賓室でX氏を上座において、T先生の子分の国会議員が端っこで笑顔を振りまいて陪席し、女将もつきっきりで、料理の差配は仲居たちが心を込めてもてなすという礼を尽くした接待に、さすがのX氏も気分をほぐして上機嫌となり、酒が進み、話が弾んだ。
 
懸案の案件についてはけっきょく何一つ駆け引きはなされず、X氏の方から無条件でT先生にご依頼申し上げることとなった(笑)
 
 
 
T先生の人心収攬は神技としか言いようがない。 
 
人心収攬術だけではない。T先生にかかれば国会議員も暴力団組長も赤子のようなものだ。人間の力はここまで進化するものかと思うこともある。
 
 
 
閑話休題!
 
 
 
はたして人間はどこまで進化し、どこへ行くのか?
 
 
 
おれは、人間は進化して、人間(苦悩と闘争を続けてきた人間)であることをやめて、神の人、神人となりつつある、または仏性全機現の人、仏となりつつあるのだと思う。
 
 
 
前回、人類は進化する(8)アセンションの条件「Q」で、イエスの言葉「Q資料」の全文を掲載した。
 
Q資料はイエスの生の言葉だから(またはイエスの生の言葉に最も近い言葉だから)、このQの言葉を自分の血肉とすることによって魂が純化され、自分もイエスと共にアセンションする。これが聖書の仕組みである。
 
 
 
アセンションは死後に実現して神の国に行く、と教えているキリスト教会が多いが(そういう仏教寺院も多いが)、Q資料や聖書を詳細に読むとそうではない。
 
というか、人間の3次元世界では時間軸が一つなので過去、現在、未来と時間が流れるが、神の世界は無次元で時間軸も無限なので過去も未来も同時に存在する。過去世も来世も今ここにある。あるいは過去世も今世も来世もなく、あるのはただ「今」だけである。
 
人間はいまここでQ資料の言葉と一体化し、この世界がすでに完全な神の世界であることを感得して、神人となりつつあるのである。
 
 
 
しかしここで一般に疑問が生じる。
 
読めばわかるとおり、Q資料でイエスは何一つとして特別なことは言っていない。
 
これで神人になれるのか?
 
 
 
Q資料のポイントを大雑把に整理すると、
 
1.敵をも愛し、善を行ってやれ。
 
2.執着しない。財産だけでなく親や子にも執着するな。
 
3.自分の持ち物をすべて人のために奉仕せよ。
 
4.自分の生活を心配せず、まず神の国を願い、神の支配を信じよ。
 
5.どんなことも人や偶像に求めるな。神に求めよ。
 
6.自分を低くせよ。まず自らを反省し、人を裁くな。
 
7.自分にツッパリきれ。神と共にあればこの世に恐れるものは皆無である。
 
8.何も持たずに人を助けに行け。神の言葉を伝えよ。
 
9.これらの言葉と共にあれば、嵐でも倒れず、喜びが成長して大木になる。
 
というようなことになる。
 
 
 
たしかに特別な言葉は何一つない。
 
道元が禅の要諦として述べている部分もあるし、不道徳なトルストイが道徳論として述べている部分もある。
 
そしてその多くは、人から言われなくとも、誰もが心の奥底で「本当はそうありたい」と願っていることではないか。
 
 
 
まさにQ資料の言葉とは、イエスが語っている言葉であるとともに、聖人一般が語っている言葉であり、われわれの生命が内奥に本来持っている愛と平安の言葉である、と解釈すべきなのだ。
 
 
 
そう!
 
特別変わった言葉は要らないのだ。
 
苦悩と闘争に明け暮れてきた人類は、われわれが生命の奥底に本来持っている愛と平安の言葉(Qの言葉)に回帰することによってこそ神人へと進化するのである。
 
これが聖書の真の仕組みなのだ。
 
 
 
しかし、ここでまた疑問が生じるだろう。
 
このQの言葉は、心ではわかっていても、この矛盾と闘争の現実世界で実践するのは難しいのではないか?
 
 
 
ここでアウフヘーベンが働く。
 
小池百合子がすこしもアウフヘーベンしてないのにアウフヘーベンという言葉だけ使っていたのでこの言葉を思い出してしまった(笑)
 
たとえば、上記Qの2の「執着するな」について、故中山正和は「執着することによって脳が固定観念でがんじがらめになり、直観できなくなる。禅とは固定観念をバッタバッタとぶった切り、心を自在に導く手法である。」と述べている。
 
すると、ああ、なるほど、執着していた問題をあきらめて放っておいたら、いつのまにか心が自由になってある日その問題が自然に解決していた、という体験があることに気がつく。
 
実体験があるから、執着するほど人生はがんじがらめになるが、執着がなければ道が開けている、と体験的にわかるのだ。
 
 
 
また上記Qの3~4の「自分のものを人に尽くせ。自分の生活を心配するな」を、良寛の言葉「欲なければ一切足る。求むれば万事窮す」に照らし合わせてみると、
 
ああ、なるほど、欲をかいたり自分のことを心配するほどますます窮するようになる。そういう欲を離れていたら自然に仕事や立場を与えられたりして満たされた。これもたしかに体験したことがある、と気がつく。
 
 
 
Qの愛と平安の言葉はこの世界で実践しようと思うと難しいが、実体験としてすでに実践されていることに気づくのだ。
 
 
かくして、人類もこの世界で神人へと進化しようと思うと難しいが、じつは実体験としてすでに神人へと進化しつつあることに気づくのである。