生と死を見つめる映画「赤ひげ」
画像は赤ひげの三船敏郎、東野英二郎、加山雄三
 
 
 
前回の続きから。
 
人はまず他人や物事や世界そのものに対して働きかける。しかしいくら働きかけても人も物事も世界も変わらない。
 
そしてこの世界が自分の心の反映であることに得心が行くと、世界や相手を変えようとするのではなく、自分の思考のほうを変えていくことに意識が向いていく。スピリチュアルの「ポジティブ思考」や「引き寄せ思考」などもその一端だ。
 
しかし前回書いたように、じつはこの世界が完璧な愛による完璧な世界(神が創造した世界)であることに得心が行くと、今度は自分の思考を変えるよりも、むしろ自分という人間の思案を無にして、わが身をこの完璧な愛の世界に委ねることに意識が向き始める。
 
東洋の宝である「禅」や「般若心経」の本当の要諦はここにある。己を無とする。何しろ自分が立てる計画よりも神が立ててくれている計画の方が完璧だからだ。
 
 
 
それでこのブログでは完璧な愛の完璧な世界を発見し、自分を委ねるため、「禅」や「般若心経」の秘密を探求し公開する予定だが、
 
その前に、アセンションについて言及しておかなければならない。
 
おれのガールフレンド(おれのブログの最初のころからの女性読者のみなさん(笑))からアセンションの意味を書いてほしいという要望があったからだ。
 
 
 
みなさんご存知のように、アセンションは一般に人間の魂が四次元から五次元に上昇することと理解されている。
 
しかし、もともとアセンションとは、およそ2000年前の十字架によるイエス・キリストの肉体の死と、魂の昇天のことだ。
 
肉体は四次元の存在なので、イエスの魂も人間として四次元の世界に閉じ込められていた。それがイエスの肉体の死によって四次元を脱却し、もとの五次元に上昇したのである。
 
というか、五次元という言葉そのものがその後に人間が作ったものにすぎない。縦×横×高さ×時間からなる人間の四次元世界に対して、人間から見て神の世界は一つ上の次元の存在に見えるので五次元という言葉を使ったわけだ。
 
しかし正確には神は無次元なので、人間が勝手に神を一つだけ上の次元と決めつけるのは神に対して至極失礼な話なのだ(笑)
 
 
 
アセンションについて、
 
まず、魂の世界は無次元の神の世界である。完璧な愛に満ちた完璧な世界である。
 
この完璧な無次元の世界を、人間が五感を通して知覚し自分の世界を構築すると、いまの四次元の世界になってしまう。
 
この部分は唯識論が詳細に述べており、般若心経の主題も五感をはずして直接この無次元の世界に立脚することである。
 
これはまた別の機会に詳述するとして、ここで押さえておきたいのは、人間が五感を通して知覚する世界は不完全な四次元の世界であっても、もとの魂の世界は完璧な愛の世界だということである。
 
 
 
次に、ここが重要だが、イエス・キリストは「生命の木」である。
 
この世界(四次元の世界)に現れたイエス(肉体のイエス)は、四次元に限定された生命である。限定されてはいても生命なので、イエスに触れる者は病気が治り、喜びに満ち、永遠の生命を得る。
 
したがって、イエスは、アセンションを経てこの四次元世界の肉体を脱ぎ捨てても、自律的に生きている。
 
 
 
そこでわれわれ人間としては、われわれの肉体の死にあたって、生命の木(イエス)とつながっているかどうかということが大問題になる。
 
死後、生命(イエス)とともに生きて、より高次元の世界に行く者と、生命(イエス)と関りが持てずに肉体の死と共に魂も滅んでしまう者とに分かれることになるからだ。
 
すなわちこの世界は生きる世界と滅びる世界に分裂する。または地球が二つに分裂することになる。
 
 
 
その時期についてマヤ歴を持ち出して2012年とか特定する人たちもいるが、アセンションは各個人の魂の次元上昇の問題なので各個人によって地球が分裂する時期(またはすでに分裂した時期)は異なる。
 
というよりも無次元の神の世界は四次元の世界のような一本の時間軸に縛られていない。過去も未来も自在に存在するので、各個人にバラバラに訪れる時期も地球全体に訪れる時期も自在に存在する。
 
だからイエスは、いつとかどこでとかということではなく、(各個人の)その時期は神が決める。と述べている。
 
 
 
それではその大問題、生命につながるにはどうしたらいいか?
 
答えは、生命(イエス)の言葉をしっかり聴くことである。そして心に収めることである。
 
生命と共に完璧な愛の完璧な世界に生きるか、生命から離れて死んでいくかは、じつに生命(イエス)のホントの言葉を知っているか知らないかにかかっているのだ。
 
 
 
スピリチュアルの人たちも、アセンションにあたって魂の純化や成長のために「愛が大事」「いい人であることが大事」「平和と共生が大切」などと呼び掛けているが、それらはイエス(生命)の言葉の一部に類似しているので間違っているわけではない。
 
しかし、いまひとつ言葉がバラバラで関連性がなく、迫力とまとまりがない。とくに日本人は聖書に馴染みがないので、どこから手を付けていいかわからないこともあると思う。
 
しかし聖書こそは人類の創世と共に語られた神の霊感(言葉)である。世界中のすべてのユダヤ人、すべてのキリスト教徒、すべてのイスラム教徒など全人類の60%以上の人々が聖書に立脚して考え、生活し、全世界の大学が数千年にわたって徹底的に研究してきた。
 
ニューエイジも聖書を土台として誕生したのだが、それが日本に輸入されたとき、その土台の聖書に関わる膨大な部分がすっぽり抜け落ちて、表層部分だけがマスコミによって商品化され、根のないものになってしまった。
 
聖書に馴染みのない日本人には聖書を抜いてしまった方が本が売れると考えたマスコミの責任である。マスコミ関係者が世界の聖書を理解できなかったこともある。
 
 
 
このように、マスコミや権力者の意図によって、アセンションの決め手となる聖書の研究成果が隠されてしまっていることも多いが、しかしその研究成果はいまや真のアセンションを見据えている。
 
そこでこのブログでは、その研究成果の中からとくに「Q資料」に着目して、生命の木(イエス)の本当の言葉(霊感)を順次掲載していきたい。
 
(Q資料というのは、ローマ帝国治下で編纂された新約聖書の4福音書について、西欧の多数の大学の研究者たちがその整合性を直近の数百年にわたって研究し、4福音書以前にその土台としてイエスの生の語録が存在したと仮定して、イエスが間違いなく語った言葉をこの数百年にわたって抽出しているものである。)
 
 
 
なにしろアセンションにあたって、生命と共に神の完璧な愛の世界に生きるか、生命から離れて滅んでいくかは、生命(イエス)のホントの言葉を知っているか知らないかにかかっているのだ。
 
なお、アセンションは人間が生きたまま行われることもありうる。イエス自身が弟子のヨハネについて、神の国が来るまで死なないことを望むと述べている。
 
客観的に見ても、四次元のこの世界は魂本来の無次元の世界のほんの一部に過ぎないので、魂の四次元からの解放(アセンション)は、肉体の死に限定すべきではないと思われる。
 
 
 
なお、このブログはキリスト教の布教をしているわけではない(笑)
 
なにしろおれはキリスト教の教会が死ぬほど嫌いだ。自分たちの生活のため保身とごまかしを信条とする気持ち悪い牧師が多すぎるからだ。
 
このブログは聖書、般若心経、唯識論、禅などの秘密と奥義を客観的に分解し、世界の救世主たる日本人の真の復活を目指す。
 
 
 
最後に、人間の死(臨終)ほど荘厳なものはない、とは、映画「赤ひげ」で、山本周五郎(原作)と黒澤明(監督)が主人公の赤ひげ(三船敏郎)に言わせている言葉だ。
 
若い新人の医者(若き加山雄三)から見ると、醜悪な老人の死としか見えなかったものが、後にこの老人が騙され、侮辱され、痛めつけられながらも如何に真っ正直に生きたかを知る。
 
この老人の精神はイエス(生命)の精神に同調するのだから、肉体の臨終とともに生命を得て、次元上昇したのだと言える。
 
まさに人間の死は(人間の生も)荘厳なアセンションなのである。