夕方、食事に出たのだが、

 

じつは昨日のランチで門構えの立派な蕎麦屋に入ったところ、近年まれに見るまずい蕎麦を食べさせられて身体の具合が悪くなりそうになったので、今夜は慎重に店を選ぶことにした(笑)

 

とりあえずポロシャツにサンダルで近所の繁華街に出ると、すぐに日比谷バーがあった。

 

銀座の日比谷バーは何度か使っているので、まあ、ここなら間違いないだろう。

 

 

 

それでサンダルのまま入った。

 

バーテン「いらっしゃいませ!」

 

フミ「軽く一杯やって食事したいんだけど。」

 

バーテン「かしこまりました!こちらにどうぞ!(^^)」

 

 

 

ここは当たりだ。

 

日曜日だしまだ宵の口、客がミドルエイジのカップルだけで雰囲気が良かったこともあるが、

 

冷たいビールに、日比谷バー自慢のジンソニック、エビ料理も肉料理も美味かった。

 

 

 

それにいままでの日比谷バーでは連れと仕事の話に夢中になっていたので気づかなかったが、

 

カウンターでバーテンを酒の肴にして話をすると、カクテルやスコッチの文化の素養が奥深いこともわかった。

 

バーテン「お客さま、ご近所でいらっしゃいますか?」

 

フミ「ああ、先週からご近所だよ。」

 

バーテン「私の名刺でございます。よろしくお願いします!(^^)」

 

 

ということで、まず近所の店を開拓してさっき帰ってきた(^^)

 

 

 

閑話休題!

 

 

 

今日のブログはバーの開拓が本題ではない(笑)

 

 

今日話したいのは、

 

この世界は最初から完璧な愛に包まれた完全な世界であるということだ。

 

 

ニューエイジなどのアイディアで「この世界の事物は本来ニュートラルなので、人間の受け取り方を変えれば世界はどのようにでも変化する」というのがあるが、

 

そんなころころ変わるあやふやな世界に住んでいたら、まずい蕎麦を食べて気分の悪いときでも常に気張って無理やりワクワクしていなければならない。

 

 

 

おれが知っている限り、本物の実力者や大金持ちはそんなあやふやな世界には住んでいない。

 

本物の実力者や大金持ちが住んでいる現実の世界は、人間の受け取り方によって多少微笑んだりもするが、根本的に人間のころころ変わる受け取り方などに左右されることのない、不動の世界なのだ。

 

 

 

この世界と一体である生命は、完璧な、奇跡的な愛である。

 

生命はほんのわずかな狂いがあっても成りたたない。生命も世界も何物かに左右されるようなことがあったとしたらすぐに崩壊してしまう。

 

どんなときも1ミリも狂うこともなく、完璧な愛によって人間の生命を支え、また宇宙の無限の愛によって完璧に支えられている盤石の世界である。

 

 

 

本物の実力者ほど、本物の大金持ちほど、人間の小さな固着した考えを吹き飛ばして、

 

この完璧な愛に守られた完璧に幸福な世界に、安心して身を委ね切っているのである。