友好団体の「新・古代史の会」の事務局長合田洋一さんから、“令和2年「古田史学」研究を顧みて” と題して資料を送っていただきました。
その中の一項目に、注目すべきことがありました。
それは、古田武彦著『古代通史』(原書房、1994年)において、『後漢書』光武帝の帝紀に「東夷倭奴国主」と記されていると紹介されていたことです。
合田さんは、「東夷倭奴国主」と記されていたことを知らなかったのでびっくりしましたと書かれています。
私も『古代通史』を読んだはずなのですが、その重要性について、すっかり忘れていました。
そこで『古代通史』の該当部分(225~227頁)をピックアップして、古田武彦はどのように説明されているのか、再認識したいと思います。
そうすると、朝鮮半島・日本列島で金印をもらったのは「漢の委奴(いど)国王」だけで、その事実がなにを意味するかっていうと、「朝鮮半島・日本列島はお前に任せたぞ」っていってるわけです。
・・・・・(中略)・・・・・
しかしその点も、ちゃんと書いてあった。後漢書の光武帝の帝紀に同じ記事が出てくるんですが、ここに「東夷倭奴国主」(とうい いど こくしゅ)と書いてあるんです。しかも『後漢書の帝紀』の先頭に「東夷」と、東夷代表と書いてあるんですよ。岩波文庫に倭人伝・倭国伝・倭伝を集めた便利な本があって、非常にすばらしい役割をはたした本ですけれども、いまのレベルからいうと、もの足りないのです。なぜかというと、帝紀が抜けているからです。
・・・・・(中略)・・・・・
後漢書でも帝紀ではこう書いてある。つまり、東夷を代表する委奴国王に、金印を与えたということを後に書いてあります、という予告が帝紀で出てきているんです。これをみますと、事実関係からしましても、つまり金印をほかに与えた例は、朝鮮半島・日本列島の中ではない。ということをとりましても、そして後漢書の表記からみましても、「東夷代表」として与えられている。これも史料を冷静に厳密に読むかぎりは、そう考えざるをえません。
(下線は泉城による)
つまり、「東夷倭奴国主」というのは、北部九州の一小国の王に金印を与えたことを意味するのではなく、日本列島・朝鮮半島の東夷を代表しているという意味で与えられたものであるということです。
この古田武彦の指摘は、大変重要です。他の古代史学者は、光武帝紀に記された「東夷倭奴国主」について誰一人指摘していないと思います。
『後漢書』は、ほかの中国史料とほぼ同様に、本紀、列伝、志から構成されており、私たちがよく目にするのは、このうち列伝の東夷の部分です。
しかし、もっと重要なことは、本紀であって、その一番始めに光武帝紀があり、ここに「東夷倭奴国主」が記されており、この記事に注目することはとても重要なことなのです。
なお、『古代通史』は、お茶の水図書館で行われた6回の講義をとりまとめたものですから、とても読みやすく、古田武彦説を楽しく理解するにはいい本だと思います。
関心のある方にお勧めします。
