TV番組「世界ふしぎ発見!日本のポンペイ!?ヨロイの古墳人が語る古代群馬の謎」の続きです。


方円墳(前方後円墳)についてお話しします。

「世界ふしぎ発見!」では、「ヨロイの古墳人」というタイトルですから、当然ヨロイを着た人物が埋葬されている古墳が発見されたと思ったのですが、実は古墳から発見されたのではなく火山灰の中から見つかったという話です。

8年前に榛名山の麓の金井東裏遺跡(群馬県渋川市)で発掘された「ヨロイを着た古墳人」の位置から南へ15kmに井出二子山古墳や八幡塚古墳などがある「保渡田古墳群」をはじめ、確かにこの群馬には方円墳が数多くあります。


群馬県高崎市の「井出二子山古墳(手前)」と「保渡田八幡塚古墳」


保渡田古墳群



このTV番組では、方円墳の築造については大和王権の許可制ということが前提になって説明が進められます。

古代群馬が大和政権から重用されたために方円墳の築造が特別に許可された地域であると説明したのは、考古学者で高崎市教育委員会の若狭徹文化財保護課課長補佐です。主に古墳時代の上毛野の研究に携わっています。

                        『東国から読み解く古墳時代』 (吉川弘文館、2015年)

 

若狭徹文化財保護課課長補佐

 


方円墳の造営は大和王権の許可制とする仮説「前方後円墳体制」は、1991年に考古学者の都出比呂志大阪大学名誉教授によって提唱された概念で、方円墳の造営が定型化されていることをもって政治秩序と見なすもので、日本の考古学者に広く影響を与えました。

 

ただ、この仮説は、何の説明もなく前提として邪馬台国・畿内(大和)説を正しいものとして導引き出された点で一方的な見方です。

考古学者であれば、邪馬台国・畿内(大和)説や、邪馬壹國・九州王朝説を前提にするのではなく、まずは考古学の事実のみをもとに仮説を展開すべきでしょう。

都出阪大名誉教授は、方円墳や方方墳(前方後方墳)は、形状寸法に共通性があるので、中央政府による秩序だった統制のもと身分秩序があり古墳の形状・規模はそれによって決定されたとします。

しかし、墳墓・古墳の形状は様々であり、方円墳や方方墳ばかりではなく、円墳、方墳、八角墳、双円墳、双方中円墳、四隅突出墳など、その有り様はそれぞれ特異的であり、それらの古墳については考察されません。

 

古墳・墳墓にいろいろな形があり、それは各地域に独自の埋葬文化があった現れであると思われます。

たとえば、四隅突出型古墳は広島の三次盆地から発祥し、時代につれて出雲や新潟まで広がっていきます。こうした古墳・墳墓の発展経緯を考えれば大和政権と関わりなく発達した地域性が認められます。

出雲・西谷古墳  四隅突出型古墳


方円墳の形状寸法に共通性があるのは、むしろ古墳を築造する専門家集団が同一であるからと考えた方が適切でしょう。相似形状の古墳は、同一の専門家によって造られたと考えた方が素直です。

 

方円墳だけでも全国に5000基もあるとされますから、方円墳の専門家集団が数多くあったに違いありません。現在でもビルを立てるのに様々な建設会社や建築設計士があるように、古墳築造にもいくつかの専門家集団が各地域に出向いては希望に叶う形状寸法の古墳を造ったと私は思います。

番組では、古代群馬は古墳王国とされます。
これは、頷けることです。確かに群馬は方円墳が多い地域です。




さらに、群馬の方円墳は、ヤマトとの強いつながりを示すシンボルだと説明されます。






私は、方円墳が多い群馬が大和政権と強いつながりがあったとされるのはいかがかと思います。
群馬と大和の交流があったとは思いますが、大和政権は群馬の方円墳の許可を与えられるような強い従属関係とは思えません。

そもそも方円墳が大和政権のものと決めつけたのは、近畿に巨大な方円墳があったからです。そして、都出阪大名誉教授が、奈良県桜井市の箸墓古墳を古墳時代の始まりとして定義づけたためです。これがそもそもの問題の出発点です。

方円墳の規模の違いによりヤマトが全国各地にあった王国を支配していたというのは理屈に合いません。というのも、5世紀前半で一番大きい岡山の造山古墳の例のように、ヤマトの方円墳の方が必ずしも大きいのではありません。

また、古墳の形状を以て同盟関係にあるというのもおかしな話です。
方方墳については、日本列島に約500基が存在すると言われます。邪馬台国・畿内説では大和政権に敵対する狗奴国は方方墳が多い尾張地域とされますが、実は、その分布は、九州から中国地方、近畿、東海、関東と広がりを持っています。

つまり、邪馬台国・畿内説では、狗奴国が大和政権と同じほど全国を統制していたことになります。しかも、最大のものは、群馬の前橋八幡山古墳(墳丘の長さ130.0メートル、群馬県前橋市)ですから、邪馬台国・畿内説の視点からでは、この前橋八幡山古墳の大きさや場所を説明できません。



方円墳については、全国に5000基ぐらいあるといわれます。

 

『封印された「あづま・みちのく」の古代史』(相原精次、洋泉社、2011年)によれば、方円墳が多い地域は、千葉県、茨城県、群馬県の関東です。
1 千葉県 685
2 茨城県 444
3 群馬県 410

4 岡山県 291
5 鳥取県 280
6 栃木県 280
7 広島県 248
8 奈良県 239
9 大阪府 182
  
奈良女子大学の公開している前方後円墳データベース(http://zenkoku-kofun.nara-hgis.jp)では、次のとおりです。



出典によって数字が大きく違う県もありますが、1位から3位までは、関東の同じ3県、千葉、茨城、群馬が占めており、千葉県が突出しています。

このように、方円墳の数は近畿より関東の方が多いのです。方円墳の中心地域は近畿ではなくむしろ関東とすべきでしょう。

方円墳に注目するなら近畿ではなく関東です。

 

しかも大型の方円墳は群馬県が85基で突出しています。


60m級以上の大型方円墳の分布



確かに方円墳は、特異な形状ですが、方円墳のみを絶対視した画一的な考え方についても疑問があり八角墳や四隅突出古墳なども特殊な形状ですから、方円墳にのみ注目する考古学の姿はいびつにみえます。

ちなみに、現在は天手長男神社となっている壱岐の「鉢形山」は、一見円墳にみえますが、八角形の形状をした卑彌呼の古墳ではないかと想像しています。
壱岐へ行く その11 鬼の足跡・ゴリラ岩。猿岩・鉢形山・鬼の窟古墳

次回は、TV番組「世界ふしぎ発見!」に関して、馬の文化についてお話しします。