大隅長尾城その4 | ふるさと歴史探索[フルタン]

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南九州を中心に歴史の足跡を練り歩くブログ。
YouTubeの動画では描けなかったことをここで書けたらいいなと思います。









今回は2度目の攻城。





攻城にあたり今回の目的を大きく2つに分類した。



1    精巧な縄張り図作成


2    短時間で城内にアクセス可能な経路開拓






この目的の達成のため、さまざまな努力をしてきたので、準備→実行→反省の時系列で紐解いていきたい。




ーーー1   精巧な縄張り図の作成ーーー





前回の攻城戦でわたしは猛省したことが1つあった。





帰宅後に縄張り図を作成したことである。






人生初となる縄張り図作成。
その時の要領はこうだ。


➀   ふつうに城攻め。曲輪の周りを、縁をなぞるようにぐるっとまわる。

➁   帰宅

➂   携帯していたGPS端末の奇跡と撮影した動画、そして記憶を基に縄張り図を描画。




しかし、実際にやってみると、帰宅後には縄張り図を描けるほどの鮮明な記憶はないし、GPSの軌跡も、縁を回ったため曲輪らしい形をしていたもののなーんかイメージがわかない。


そんな中作成したのがこの縄張り図だ。





帰宅したのちも、どこにどの曲輪があるという記憶はある程度あった。
しかし、私に著しく欠如していたのは、高低差だった。
縄張り図というのは、曲輪の配置を線で描画するだけでなく、「ケバ線」と呼ばれる線で高低差を描画するようになっているのだ。





なのでそのあたりを再度学び直し、今回縄張り図作成において以下のことを改善事項として盛り込み実行した。

➀   現地現物を見ながら縄張り図作成

➁   高低差をわかりやすくするためケバ線を使用

➂   曲輪の四隅と地図上の位置を一致させ、地図に点を打ち、それを結んで線とし曲輪の輪郭を描画する事でより精巧なものを目指す。




城攻めの成果については第2の目的と共にこの後書いていきます。




2回目の攻城を終えて完成した縄張り図がこちら↓









ーーー2  短時間で城内にアクセス可能な経路開拓






前回の、城の南側、つまりは清掃センター手前からの攻城は、城にたどり着くまでにかなり時間と体力を消耗した。






インターネットをリサーチした結果、城のある山を挟んで正反対の北側にもアクセスがある事が判明した。




北側を走る林道から入れそうな場所を等高線から見出して経路を設定した。







そしていざ、第二次攻城戦開始!






川のせせらぎが林内を反響している。




この川の上流、これすなわち長尾城である。




長尾城へのアクセスを探すが、最初っから道無き道だった。









そして。。。








100メートル進んだところで詰んだ。






やむなく経路変更。




呼び経路も設定していた甲斐があった✨
↑緑線が攻城失敗した経路。赤は林道。その先の青丸が予備経路として設定した尾根。





攻城再開!


舗装された林道から左へ。道が次第に悪くなる。





進むと土塁チックな地形。





この土塁チック、なんと城址方向に向かって標高を上げている。





ここならいけそうだ!




↑土塁チックな地形が一部途切れている。







その土塁チックをたどっていると、土塁を見事にブツ切りしたような地形が。









入ってみると、切り通しではなかった。








防空壕だった!










土塁チックをブツ切りにした場所。
この左右に防空壕が6つあった。







気を取り直して土塁チックな尾根を登る。









1メートル幅ぐらいの細い尾根が長尾城方向へ伸びる。





登っていくうち、下との高低差はかなりのものになった。




時には木の根っこを梯子のようにして這って登る。





左右は断崖絶壁。
落ちたら命の保証はない。






それでもなお登ると見覚えのある景色。




城の入り口あたりにたどり着いた。






この経路開拓により、滑落のリスクはあるが短時間で城に到達できる経路の開拓に成功。





以後縄張り図の作成に奔走し、その目的を無事に達成する事が出来た。




次回、長尾城最終話!