忘れてはならない日航機墜落から32年 | ささやかな暮らしDAISUKI!

忘れてはならない日航機墜落から32年


乗客乗員520名が亡くなった日本航空123便墜落事故から、8月12日で32年が経ちました。

1985年8月12日午後6時56分に墜落した羽田発伊丹行きJL123便(ボーイング747SR-100型機、登録番号JA8119)には、乗客509人と乗員15人の524人が乗っていました。この事故で歌手の坂本九さんらが命を落としましたが、4名が奇跡的に救出されました。

あの日のテレビのニュース速報を忘れられません。夕方に日航機が消息を絶ったことから始まり、ひと晩日本中が心配して大騒ぎ。翌朝山奥の事故現場がようやく見つかり、険しい山を切り開いて事故現場に到着した救出隊や報道陣はまさに滅茶苦茶な惨状を目の当たりにして言葉が出ませんでした。

(今の無知な若者やお笑いタレントはやたらに「滅茶苦茶おいしい」などと使いますが、滅茶苦茶というのはこの現場のようなひどい状態を表します)


三十三回忌にあたる12日は早朝から、多くの遺族や関係者らが墜落現場となった群馬県多野郡上野村の御巣鷹山を訪れました。

2012年2月の就任以来、社長として6回目の慰霊登山となったJALの植木義晴社長は午後1時すぎ、山頂付近にある「昇魂之碑」に献花しました。 

植木社長は、「事故以降に入社した社員が94%になり、当時事故を経験した社員はたった6%。われわれの使命は事故を風化させることなく、事実をしっかりと心に刻み、安全運航に全力を尽くすこと」と語りましたが、事故が忘れた頃に繰り返されないことを祈ります。事故当時23歳だった青年が55歳になってしまった年月の経過は残酷です。


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