『白峯神宮』
ご祭神
崇徳天皇 淳仁天皇
ご祭神の崇徳上皇は保元の乱に敗れ讃岐国に流され、長寛2年(1164) 旧暦8月26日に崩御されました。その後相次いで天変地異が起こったことから崇徳上皇の祟りとされ、上皇が葬られた白峯陵(現在の香川県坂出市)の隣に、上皇の菩提を弔うため府中の木丸殿が移築され、法華堂(現在の頓証寺殿)として建立されました。また朝廷の命により白峯寺による供養会が営まれるようになりました。
時代は幕末まで下り、孝明天皇は異郷にお祀りされている崇徳上皇の御霊をお慰めするため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じます。慶応2年(1866)に白峯宮の建設が始まるも、孝明天皇はままなく崩御されました。
孝明天皇の遺志を継いだ、子の明治天皇は慶応3年(1867)に践祚、翌年に白峯宮の創建を宣命し勅使を白峯陵に送り、上皇の命日である8月26日に宣旨を読み上げさせその翌日に即位しました。同年その勅使により上皇の御霊が讃岐国から京都に到着し、頓証寺殿(旧法華堂)のご本尊であった「崇徳上皇僧形座像図」を白峯宮に遷し、翌日に明治天皇が親拝しました。その翌日の旧暦9月8日に明治に改元。白峯宮の初代宮司には讃岐国「白鳥神社」の神職家の猪熊夏樹氏が就いています。
明治6年、藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路国に配流され崩御された淳仁天皇の神霊を淡路島からお迎えして合祀し、官幣中社とされます。
昭和15年、官幣大社に昇格し、神宮の号を許され白峯神宮と改称。
昭和23年に神社本庁の別表神社に加列されています。
☆狛犬
☆崇徳天皇欽仰之碑
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ
☆伴緒社
ご祭神
源為義公
鎮西八郎為朝公
源為義公・鎮西八郎為朝公は親子で共に弓の名手でした。源義経公の祖父と叔父にあたります。
☆潜龍社
ご祭神
潜龍大神(龍神)
潜龍社は昭和30年、本殿で御火焚祭斎行中に火炎の中に出現されたのをもって、祭神(潜龍大神)として御宮が創建されました。潜龍井からはご神水が湧き出ています。
☆地主社
あらゆるスポーツの神様がお祀りされています。
ご祭神
精大明神…球技・スポーツ芸能上達
柊大明神…厄除延命長寿
今宮大神…無病息災
白峯天神…学業成就
糸元大明神…織物繁栄・和装
☆蹴鞠の碑
こちらの蹴鞠の碑の「撫で鞠」を一周回すと球運を授かるといわれています。
白峯神宮は和歌のほか蹴鞠の師範を務めた飛鳥井家が所有する土地(邸宅跡)に建てられています。
摂社「地主社」にお祀りされている精大明神は蹴鞠の守護神で、飛鳥井家の先祖である藤原成通が1000日間鞠を落とさずに蹴るという願掛けの際に現れた神様とされ、現在ではサッカーをはじめとするスポーツの守護神とされます。
☆鞠庭
毎年4月の「春季例大祭」と7月の「精大明神例祭」には天下泰平・国家安泰・五穀豊穣を祈願して、白峯神宮で蹴鞠保存会による蹴鞠が奉納されています。
☆歌碑
小賀玉の しじ葉が もとの
飛鳥井の井筒 むかしの物語せよ
ー西村尚ー
☆右近の橘
☆鬱金の桜
☆三葉の松
☆鳩
☆御朱印
白峯神宮は最初の予定になく、徒歩で移動中にお見かけし、参拝させていただきました✨
崇徳上皇は過去に記事を書いており、とても大好きな御方なので、今回ご縁をいただけて嬉しかったです♡
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