『北野天満宮』
ご祭神
菅原道真公
二十二社(下八社)の一社
旧官幣中社
現在は神社本庁の別表神社
北野天満宮境内でお見かけした牛を集めてみました🐃
牛は北野天満宮において「神使」とされています。菅原道真公の誕生が丑年の乙丑の日で、亡くなった日も丑の日であること。道真公が朝の鳴き声で刺客から逃れたこと、轜車は人に引かせず牛の行くところにとどめよとの道真公の遺言に従ったところ、轜車が都府楼の北東(丑寅)の方角に停まったなど、実に多くの逸話が残されています。
写真のように境内には座った姿勢の臥牛像が多く奉納されていますが、ご紹介した逸話にある、道真公の遺言に従ってその遺骸を運んでいた牛車が座り込んで動かなくなり、そこを墓所として埋葬されたという「北野天神縁起絵巻」にある故事にちなんでいます。
☆伴氏社
ご祭神
菅原道真公の母君
菅原道真公の母君は大伴氏の出身であることから伴氏(ともうじ)社と称します。暖かい愛情と厳しいまなざしを持って菅公を優秀な青年官吏に育て上げられた母君がお祀りされていることから、子どもの健やかな成長と学業成就の守護神として、お母様方から篤い信仰を集めています。
神前の石鳥居は鎌倉時代の作で、国の重要美術品に指定されています。台座に刻まれた珍しい蓮弁が有名なのだそう🪷
☆楼門
☆手水舎(北野の花手水)
牛さんがたくさんのお花に彩られて、なんと素敵なのでしょう💐
☆勅額御門(三光門・中門:重要文化財)
☆御本殿(国宝)
この北野の地には天神地祇をお祀りする地主社(現在の摂社)と、火雷神をお祀りする火之御子社(現在の摂社)の二つのお社がありました。
昌泰4年(901)1月、右大臣菅原道真が左大臣藤原時平の讒言により、太宰権帥に降格されて太宰府に左遷されるという「昌泰の変」が起こり、延喜3年(903)に道真公は太宰府で無念の死を遂げました。その後、藤原時平が延喜9年(909)に亡くなったり、落雷などの災害が相次ぎ、道真公の怨霊による祟りだという噂が広まりました。
朝廷は没後20年目となる延喜23年(923)4月に、道真公の左遷を撤回して右大臣に官位を復し正二位を贈りました。が、延長8年(930)6月に清涼殿に落雷が直撃。大納言の藤原清貴と右中弁兼内蔵頭の平希世が死亡するという「清涼殿落雷事件」が発生します。さらに3ヶ月後、醍醐天皇が崩御したことにより、道真公の怨霊による祟りという噂は噂でなくなってしまい、朝廷は恐れおののきました。また道真公の怨霊は「天満大自在天神」となった、ともされ、それが北野の火之御子社の火雷神と結びつき、道真公は雷神である火雷天神である、とされました。
天慶5年(942)、右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)という少女に、道真公から北野に自分を祀る社を建てるように、との託宣があり、5年後にも近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があったといいます。それに基づき天暦元年(947)6月、北野にあった朝日寺(現在の東向観音寺)の最鎮らが朝廷の命により道真公を祀る社殿を造営し朝日寺を神宮寺としました。そして曼殊院門跡の是算国師が菅原家の出であったことから是算が初代北野別当職に任じられ、以降は曼殊院門跡が北野別当職を歴任することとなりました。
この後、藤原師輔(藤原時平の甥)により壮大な社殿に作り直されたといいます。
永延元年(987)に初めて勅祭が行われ、一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られました。正歴4年(993)5月には正一位・左大臣を、10月には太政大臣が追贈されました。以降も朝廷から厚い崇敬を受け二十二社の一社ともなりました。
☆左近の松・右近の梅
御本殿前の左右には樹木が植えられています。
向かって左は梅、右は松。
どちらも道真公が愛した木🌲
この左側の梅が有名な「飛梅」です♡
道真公は梅をこよなく愛し、太宰府左遷の際、庭の梅にこの和歌を詠んだことや、その梅が道真公を慕って一晩のうちに太宰府に飛来したという飛梅伝説ができたことから梅が神紋となり、約2万坪の敷地には50種1500本の梅が植えられています。ちなみにですがこの飛梅を追って老松が飛んできたという伝説もあります。
☆火之御子社
ご祭神
火雷神
北野天満宮が創建される以前に
この地に祀られていた神様で
「北野雷公」と称されていました
☆福部社
ご祭神
十川能福
十川能福は道真公に仕えた舎人ですが
その社名からいつしか福の神として
信仰されるようになったとのことです
☆白太夫社
ご祭神
渡会春彦翁
伊勢神宮の神官だった渡会春彦が
豊受大神宮に祈願して生まれたのが
菅原道真公であったといいます
春彦は道真に仕え
若くして白髪だったので白太夫と
呼ばれたと伝わります
☆老松社
ご祭神
島田忠臣翁
島田忠臣は菅原道真公の家臣とも
夫人の父ともいわれ
道真公が左遷後に天の神々に無実を
訴えるために天拝山に登った時に
道真公の笏を預かってお供をし
後に道真公から松の種を託された人物
といわれています
☆宗像社
☆大杉社
北野天満宮随一のご神木である大杉で、室町時代に作成された「社頭古絵図」には、樹齢数百年らしき二又の杉の巨木が描かれており、このことから推定すると樹齢一千年以上と思われます。
神仏習合時代の室町期には、「聖歓喜天」の宿る所願成就のご神木として信仰を集めていたようです。
現在は落雷により、二又の幹は根幹を残すのみとなっています。
☆末社 一之保神社・奇御魂神社
☆末社 稲荷神社
☆末社 猿田彦社
☆末社 野見宿禰神社・豊国神社・一夜松社
一夜松社のご祭神は一夜千松の霊。
北野天満宮創建に先立ち
「私の魂を祭るべき地には、一夜にして千本の松を生じさせる」
という道真公のお告げによりこの一帯に生えた松に宿る神霊をいいます。境内に多い松の木々はこの一夜千松の名残りとされます。
☆紅梅殿
☆風月殿
☆宝物殿
☆神明社
☆七社相殿
左から
大判事社・三位殿社・和泉殿社・宰相殿社
周枳社・一挙社・那伊鎌社
☆四社相殿
左から
若松社・八幡社・松童社・夷社
☆八社相殿
左から
荒神社・貴布禰社・今雄社・早鳥社
御霊社・安麻神社・高千穂社・福部社
☆十二社相殿
左から
崇道天皇社・吉備大臣社・櫻葉社・白太夫社
老松社・太宰少貳社・淳仁天皇社・文大夫社
藤大夫社・橘逸勢社・大門社・寛筭社
☆老松社
ご祭神
島田忠臣翁
三光門の前に鎮座している老松社と同一のようです。立て札の内容も同じです。
☆地主社
ご祭神
天神地祇
本社創建以前から北野の地で
お祀りされていた神様です
相殿
敦実親王 斉世親王 源英明朝臣
本社社殿とともに豊臣秀頼の命で
建てられたものです
☆文子天満宮
☆竈社
☆石のせ大黒
三光門の近くには灯籠が並んでいるのですが、その中の1基の灯籠の台座部分に大黒天が刻まれています。何か顔が変…と近くに行って確認してみると、顔の下半分に大きな穴が開いていました。口なのか鼻の穴なのか分かりません。すると皆さん、下に落ちている小石を拾って、この穴に落ちないように置こうとしています。が、成功する人なし。私もやってみましたが、つるつるしていて底が下に向いているため絶対無理っぽい。万が一成功したら、その小石を財布に入れて持ち帰るのだそう。
北野天満宮の「天神様の七不思議」の一つとのことで、江戸時代に質屋組合が寄進したとされます。
☆影向松
一の鳥居の近くには影向松があり、平安時代の北野天満宮創建時(947)から植えられていたといわれます。立冬から立春の前日までに初雪が降ると、天神様(菅原道真公)が降臨し、雪見を愛でながら詩を詠まれるという伝説が残されています。
☆御朱印
宇多天皇は菅原道真公を重用したことで知られますので、先に仁和寺でお参りしてから北野天満宮という順番がよろしいようですね✨
昔から天神社とは相性が良いのですが、やはり北野天満宮もそんな雰囲気でした♪
また参拝したいです☆

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