今日は最初にご連絡です☆
私が勤務する占いサロン『青琴会』は
川崎ダイスの営業の目処が立っていないことから
当初は2週間の休業予定でしたが、引き続きしばらく休業いたしますのでよろしくお願いいたします。
営業の目処が立ちましたらブログにてお知らせいたしますね
さてさて♪
私の鑑定では
ご縁のある神仏・寺社
もお伝えしており、とても人気のメニューとなっております。
ご縁のあるなしにかかわらず
「どこかおススメの神社はありますか?」
とのご質問も多くいただくので、今日はたくさんあるおススメの神社の中から一社ご紹介させていただきます☆
『來宮神社』
きのみやじんじゃ
ご祭神
日本武尊 五十猛命 大己貴命
來宮神社は古くから來宮大明神と称し、熱海郷の地主の神として來宮の地に鎮座し、来復・縁起の神として古くから信仰されています。
奈良・平安期の征夷大将軍であった坂上田村麻呂公が戦勝を祈願し、この來宮神社のご分霊を東北地方を始め、各地に鎮座させたと伝えられます。
今から約1300年前の和銅3年(710)、熱海湾で網に木の根が掛かることが3度重なり、不思議に思った漁師があらためると、ご神像(木像)のようであったので、近くの松の下にお祀りし、持っていた麦こがしをお供えしたところ、その日の夜の夢に童子が現れ
今から約1300年前の和銅3年(710)、熱海湾で網に木の根が掛かることが3度重なり、不思議に思った漁師があらためると、ご神像(木像)のようであったので、近くの松の下にお祀りし、持っていた麦こがしをお供えしたところ、その日の夜の夢に童子が現れ
「我こそは五十猛命である。この里に波の聞こえない七本の楠の洞があるから、そこに私を祀りなさい。しからば村人はもちろん、入り来る者も守護しよう。」
とのご神託があったので、村民たちがこの熱海の西山の地を探し当てお祀りしたといいます。
漂着物を祀ったのに始まり、ご祭神を木の神である五十猛命とするなど「キノミヤ信仰」が顕著に認められる神社さんです。
キノミヤ信仰とは、神奈川県西部から静岡県伊豆半島にかけての相模灘沿岸部に広く分布する信仰で、主に“キノミヤ”を冠する神社がその対象とされています。
そのご祭神は一定ではありませんが、樹木神か漂着神を祀る場合が多いです。
なんかこのお話、少し前に記事にした「杉山信仰」と似ているような⁇
ご祭神も五十猛命ですし。
このキノミヤの由来としてはいくつかの説があるようです。
「来の宮」説
現鎮座地あるいはかつての鎮座地が海岸部に位置し、その創祀も漂着物を神体として祀るとするものが多いことから、漂着神(寄り来る神)に由来するという説
「木の宮」説
神木を信仰する樹木信仰、あるいは木地師の信仰に由来するという説
「忌の宮」説
祭祀の時に行われていた物忌みに由来するという説
「紀の宮」説
紀伊国の神、すなわち熊野権現などに由来するとの説
元々「紀伊」という地名が「木」に由来する
未解明のところが多い信仰のようですが、ご祭神が五十猛命ということは“紀の宮説”が近いような気もしますが、色々な説が複合的に結びついている感じでしょうか。
來宮神社が鎮座する「熱海」は静岡県の最東部に位置し、熱海温泉がとても有名ですよね。
熱海という地名は、文字通り“熱い海”があったことに由来しているといわれています。
古代には熱海の海は煮えたぎる海で、海水は沸騰し煙が立ち込め、その熱湯により魚は死に、人々は困り果てていました。
平安時代の終わり頃になると、海中に湧いていた温泉の湯元が陸地に移動。これにより熱くて怖ろしい海は穏やかになり、温泉地「熱海」が誕生したと伝わります。
鎌倉幕府が開かれると、政権が京都から鎌倉へ移動したため武士や僧侶が熱海温泉に押し寄せ大人気となりました。
古代
熱い海がある場所→あつうみが崎→あたみ
平安時代
あたみ→直見
鎌倉時代
安らぎが多く美しい→安多美
という字があてられていたようです。
地名って、その土地の歴史を知るには大変重要ですよね。現代ではなく昔にあてられていた字から歴史を紐解いていくのも面白そうです☆
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