今回のテーマは
「邪馬台国登場前夜」
主に中国・後漢末の動乱と倭国の大乱ついてのお話でした

「倭国大乱」とは、弥生時代後期の2世紀後半に倭国(日本)で起こったとされる争乱で、中国の複数の史書に記述が見られます。倭国の地域は特定されていませんが、日本史上初の列島規模の戦争(内乱)だとする説もあり、卑弥呼の王即位に伴い終結を見たとされます。
後漢によって金印を与えられた奴国中心の時代から、魏によって金印を与えられた邪馬台国中心の時代へ移り変わる時期。
果たして卑弥呼は、倭国大乱の時に王になったのか⁇
その時期についてですが、甕棺墓から箱式石棺墓への移り変わりや分布…という視点も交えながら、安本先生が検証された資料をもとに、より近い年代を探っていきました。
〈魏志倭人伝〉
倭国は、もと男子をもって王としていた。ところが七、八十年まえに倭は乱れ、国々は長年のあいだ攻撃しあった。そこで(国々は相談の結果)ともに一人の女子をたてて王とした。名を卑弥呼という。鬼道につかえ、よく人心を惑わしていた。すでに成年に達していたが、夫をもたなかった。弟がいて、政治を補佐している。
鬼道につかえ人心を惑わす。。。
私が以前視えた?卑弥呼もまさにそんな雰囲気でしたね

そしてそんな卑弥呼には「台与とよ」という後継者がいました。
卑弥呼の死後、卑弥呼の宗女(一族の娘)である十三才の台与は、後を継いで女王となりました。
この台与というのは、記紀(古事記・日本書紀)の伝える『万幡豊秋津師姫よろずはたとよあきづしひめ』のことで、後に天忍穂耳命と結婚して邇邇芸命を生み、皇室の祖先となった人物ではないかとみられています。豊=トヨということですね。
後の豊前・豊後の国(現在の北九州)は、もとは“豊の国”でした。万幡豊秋津師姫が治めたので豊の国となったのか、豊の国の出身者であったので万幡豊秋津師姫の名の中に「豊」の語が入っているのかは定かではありませんが、万幡豊秋津師姫と豊の国の間には何らかの関係がありそうだ、とのことでした。
講義はまだまだ続くのですがこの辺で(^^;;
今回もいつものごとく行動的な、古代史会メンバーさんから素敵なお土産をいただきました♬
「トランプ大統領チョコレート」
笑える〜

楽しいお土産ありがとうです♡
☆随時受付中







