not 横尾渉ゴト


子どもたちを軍艦島に連れて行こうと思い
有休をとっていたのですが
今月初め 急遽上陸禁止となってしまい…
軍艦島抜きの長崎旅行にするか
他のところに行くか
はたまたもうどこにも行かぬか
迷っておりましたが

ダメだ…このままだと
せっかくの有休を無駄にダラダラ過ごしてしまう
そして息子小学校最後の夏休みが
普段と変わらず終わってしまう(lll-ω-)

と突然思い立ち 本日 広島 に行ってまいりました

息子の夏休みの宿題に 平和学習 という課題があったので
原爆ドームと原爆資料館へ行ってきました
(長崎の平和公園は修学旅行で行くので)

広島駅に降りた瞬間から外国人だらけ
原爆ドームと資料館は さながら外国と見まごうほど

でも聞こえてくるのは英語ではなく
聞いたこともない言語がほとんどでした


どうして原爆ドーム•原爆資料館を訪れようと思ったのか

それぞれの国が味わった太平洋戦争という歴史は違うし
それについて(それ以外の戦争についても)受けた教育も違うはず

なのになぜここに興味を持ち
ここで何を感じて 祖国の歴史と重ね合わせるのか
単純に素朴な疑問を抱きました

やはり近隣諸国の方はほぼ見かけませんでしたが
言葉はもちろん
肌の色も 髪の色も 顔立ちも 骨格も違う様々な人種が
一つの戦争の歴史を
同じ場所で同じ時間に見ている縁
核や戦争に対する考え方は様々でしょうが
今こうして彼らと肩を触れ合い歩ける平和な時間を
素直に
この時代の日本に生きることができてよかったと思いました



資料館はリニューアルされて
過去のような"押し寄せてくる恐怖"というものはあまり無くなったように思いました
昔は資料館の中で
逃げ場のない臨場感というか
まるでタイムスリップしたがように感じましたが
今は展示物の一つ一つがショーケースにおさめられ
整然と並べられていて
【終わったこと】というくくりで
時代のほんの1ページとしてそこにある
というような感じに思いました

展示物の一つ一つの前で足を止め
訴えかけるように添えられた言葉を読みながら
ゆっくりと何かを感じとる

それ故に(時期的なこともあるかもですが)
まったく進まないゾーンもありました

リニューアル後は賛否両論あるようですが
悲惨さをリアルに伝えたとしても
事実を
たとえば暑さやにおい、音や声などはどうにもできるわけはなく
リニューアル前も現実の惨状とは程遠いと思うし
その作られた惨状を目の当たりにすることが
良いことばかりとは限らないだろうし

ただ昔みたいに等身大の人形などがなくなったことで
子どもも大人も
その中に放り出されたような無力さを感じることは
もうないと思いました
その体感も良いことなのかはわかりません

でも白黒写真には限界があって
今の子どもたちには白黒写真というだけで
遠い遠い昔話だと捉え、
曾祖父曾祖母が生きた時代だとか
祖父母さえもこの数年後に生まれたなんてことは
想像すらできない過去として捉えていて
きっと
こういうことがあったという歴史の一部にすぎないんだろうなと思います

テレビもゲームもお菓子もジュースも
当たり前に自分の横にない生活なんて
今の子どもたちが想像すらできなくても
それは仕方ないですよね

でも世界中いつの時代の大人も子どもも
空腹を忍ばず
温かい布団で家族と一緒に朝まで安心して眠り
学校に行って
友だちや家族と笑い合う権利はあったのだということは
わかっていてほしいです