この記事の続きです



はるさんからお返事をいただきました。



親のこと以外で純粋に感謝が湧いたシーンはありませんか?(旦那さんや、はるラボのお友達など)そことこのワーク(親)を比べると、自分の感謝のツボがわかるかもしれません😌と。



なるほど。考えてみよう🍀



畑に野菜がにょきにょきし始めた🍀  
いや、義父が育ててる(笑)


パッと出てきたのは、

辛そうにしながら与えられたって喜べないよ

ということでした。



親が私にしてくれたことを数える間ずーっと、

父の怒った顔、

母の辛そうな顔が思い浮かんでいました。



そんな顔するくらいなら、与えてくれなくても良かった、なんて今は思うけど、


それはそれで、きっと当時の私は納得しなかっただろうな。



「なんでやってくれないの!?」って絶対怒っただろうし、

本当に何も与えられなかったら育児放棄だし、


親だって、そうするのが良いことだと思ってやっていたわけだし、


当時の親と私の組み合わせだったら、

なるべくしてなってた現実だったよなと思う。



辛そうな顔しながら与えられるものを、

ちゃんと受け取っていたのは私。



幼い頃は仕方なかったとしても、

ある程度の年齢になっても「要らない」って言わなかったのも、私。



被害者ぶってるけど、

私もしっかり、その現実に加担してた。



そんなズルい自分も嫌いだった。



玉ねぎが収穫の時期✨



それに、両親が本当に辛い現実だったかなんてわからないなと思いました。



勝手に辛そうだったと思ってるけど、

どう考えても頭の声強めの親2人に、

頭の声強めの子供2人の4人家族。



各自が悲劇のヒロインやって、

ワーワーして混乱していただけなことも多かったはず。



簡単に想像できる😂



頭の声に翻弄されながらの子育てで大変だっただろうなーとは思うけど、


私がもっと良い子だったとしても、

もっと悪い子だったとしても、

何なら存在しなかったとしても、

父と母は変わらず悲劇のヒロインやって生きたと思う。


あの人達の幸福度は、変わらなかったと思う。



そもそもそういう状態だっただけで、

親を気の毒に思う必要も

私が引け目に感じる必要も

無かったのかもしれないなー。



そんなことを思いました🍀



使う直前に収穫して、お昼ご飯に使いました😊
ありがたや、玉ねぎ✨


今回のことで、まだ親のこと気にしてたんだな〜ってことに気付きました😂💦



そして、

「親に感謝なんか、したくない!感謝する以上に、しんどい思いもいっぱい与えられたもん!」

「こんなよくある感謝系ワークなんかで、感謝✨ってやるなんて、絶対にイヤ!」

「思惑通りになんか、なってやらないんだから!!😤」

って思っていることを認めました🤣



ワークに対して八つ当たりしてた(笑)



そこを認めたら、

ワークはただのワークになり、

ある夫婦がワーワーしながら子供にかけた手間暇とお金の記録になりました🍀