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 「佐良(さりょう)スタジオ」で常設写真展「南三陸の記憶」を見学し終えたときは15時を回っていた。このあとは15:33の高速バスに乗って仙台へ戻り、仙台駅から東北新幹線に乗って東京へ帰る予定だ。バスの出発時刻まではお土産屋さんで買い物をしていた。バスの出発時刻が近付き、志津川駅でトイレを済ませ、自動販売機で飲み物を購入したあと、高速バスに乗った。
 
 今回乗った高速バスは予約制ではなく、乗車定員制である。また、この高速バスは、南気仙沼駅を出てから、気仙沼市内のバス停をいくつか経由し、道の駅さんさん南三陸へ寄り、仙台駅へ向かうというルートであったため、道の駅さんさん南三陸にバスが来た時点で座席がかなり埋まっていた。席が空いているかどうか不安だったが、いくつか座席が空いていたため乗ることができた。
 
 道の駅さんさん南三陸を出発した高速バスは、志津川ICから三陸自動車道に入った。登米市を経由し、石巻市内を走行中に、北上川が見えた。その美しさに息を呑み、シャッターを切った。

 北上川といえば、北上川沿いにある「石巻市立大川小学校」を思い出す。北上川を遡上してきた津波により、全校児童108人中74人が犠牲となった。私は2023年1月に大川小学校を訪問しており、石巻駅から大川小学校へ向かうタクシーの中から北上川を見ている。タクシーから見るのと、高速道路の高架から見るのとでは、また違った印象がある。
 高速バスの車窓から見える北上川は、「東北一の大河」の名にふさわしく、悠々と流れていた。だからこそ、多くの人の命を奪ったとは思えなかった。美しい自然は時に牙をむくことがある。文明や科学技術がどんなに発展しても、人間は自然のチカラには勝てないのだ。


 高速道路沿いには沢山の家が建ち並んでおり、ロードサイド型の大型店舗も見える。2022年2月の石巻旅行で、みやぎ東日本大震災津波伝承館から石巻駅へ向かうタクシーの運転手さんから「石巻駅前も随分と閑散としちゃってね〜」と話があった。何も知らない私は「コロナの影響ですかね?」と聞いてしまったのだが、運転手さんからは「震災の影響で、人はみんな高速道路の近くに移っていっちゃったんだよ」と返ってきたことを思い出した。
 震災前から人口減少と車社会が進んでいた石巻市だが、震災がさらに拍車をかけてしまった。石巻と仙台を結ぶ仙石線は2015年の全線復旧までに4年かかっている。そうなると車移動のほうが圧倒的に便利なのだろう。生活の拠点が郊外の高速道路沿いに移っていった現実を見ることになった。

 高速バスは途中、東松島市の矢本PAに立ち寄り、10分間のトイレ休憩が設けられた。その後は三陸自動車道から仙台東部道路を経由し、定刻通り、17:16に仙台駅に到着した。

 帰りは18:22の東北新幹線「はやぶさ112号」に乗る予定だ。その間、帰りの新幹線で食べるお弁当と飲み物を購入し、駅ビルを散策するなどして時間を潰していた。
 新幹線の発車時刻が近付き、ホームに上がる。新幹線乗車後は仙台駅で買った牛タン弁当を食べた。帰りの新幹線で牛タン弁当を食べるのは宮城旅行定番になった(笑)

 この駅弁はヒモを引くと温かくなるタイプのものだった。某ゲームの「かがくのちからって、すげー!」というセリフが思い浮かぶ(笑)

 定刻通り、19:56に東京駅に到着した。その後は別の電車に乗り換えて千葉の自宅を目指す。自宅到着は21:30過ぎだった。

 今回の南三陸の旅は旅行2日目がメインであったが、2日目のことだけで11編も記事を書いたのは初めてである。長期連載になってしまったが、「濃い」学びができた旅であったと思いたい。

 旅行記本編はこれにて完結。次回の「総括編」にて本当の完結です…!