それでは1/28(土)、旅行1日目の記録を綴っていきます!

 午前6時頃に起床。6:50頃に千葉の自宅を出て、電車を乗り継いで東京駅へと向かった。8時前に東京駅に到着し、お弁当を買ってから8:20の東北新幹線「はやぶさ7号」に乗車した。

 9:50に仙台駅到着。10:18の仙石東北ラインに乗って石巻駅へ行く。新幹線も在来線も、去年(2022年)の石巻旅行と全く同じ時刻の電車に乗ったことになる。
 仙石東北ラインは仙台から松島までは東北本線を走行するのだが、陸前山王駅に到着する手前で安全確認の信号を受信したらしく、急停車し、十数分ほど止まってしまった。のちに安全確認が取れたため、運転再開された。

 下の写真は宮城県松島町の高城町(たかぎまち)駅で撮影したもので、かなり雪が降っていた。石巻も雪が降っているのだろうかと気になった。

 当初は11:18に石巻駅到着予定であったが、上述したおおり、陸前山王駅手前での安全確認があったため、20分ほど遅れて11:40頃に石巻駅に到着した。石巻駅に着く頃には空は晴れ、雪は降っていなかった。旅行1日目のメインは震災遺構「石巻市立大川小学校」の見学であるため、駅からタクシーに乗って大川小学校まで行った。

 大川小学校は石巻市街地から離れた場所にあり、タクシーや車でなければたどり着けず、片道でも40〜50分ほどかかる。しかし、前回の記事でも書いたとおり、大川小学校は必ず自分の目で見たかった。そのため、旅行2週間前に石巻市内のタクシー会社2社に電話して、石巻駅から大川小学校まで送迎してもらえるか、片道運賃、営業時間などを事前にサーチしておいた。おかげで、当日は現地でスムーズに行動できた。

 旅行1日目にお世話になったのは「雄勝(おがつ)タクシー」さんだ。石巻駅から大川小学校までの道中に雄勝タクシーの本社がある。旅行前日に雄勝タクシーさんから確認の電話があり、当日の乗車人数や、石巻駅への到着時刻などを聞かれた。11:18に石巻駅に到着する列車に乗るため、11:30〜12:00頃にタクシーに乗車予定と伝えた。石巻駅のロータリー(交番の近く)にタクシーが待機していた。遠い中来て下さり、本当にありがとうございますm(_ _)m

 タクシーに乗って、大川小学校へ向かう。道中では運転手さんが周辺の建物のこと、震災前後の風景などを色々と教えて下さった。石巻駅を出発して数分すると、「津波避難場所」のマークがある学校が見えた。「あれは石巻商業高校ですよ」と運転手さんが教えて下さった。

 市街地を抜け、かつての「河北町」に入ると人家やお店もまばらになってくる。現在の石巻市は2005年4月に、河北町を含む6町と石巻市が合併したため、市域が広い。石巻市立大川小学校も、かつては「河北町立大川小学校」だった。

 北上川が見えてきた。運転手さんが「津波が川を遡上してくるとは思ってなかった」と何度も仰っていた。大川小学校の先生方もおそらくそう思っていたのだろう。

 北上川が悠々と流れている。あの日、津波が遡上してきたとはとても思えない。青々として穏やかな川がなぜ…と思ってしまう。美しく雄大な自然は時に牙をむくことがある。「自然と共に生きていく」とは、こうした事実を受け入れて生きていくことなのだろう。

 大川小学校に近付いたとき、ソーラーパネルが置かれている風景が見えた。(写真がなくてスミマセン…)運転手さんいわく、「石巻市立大川中学校」があったところだという。大川中学校はあの日の津波で校舎1階が浸水する被害を受けた。そのとき自宅にいた生徒2人が犠牲になり、1人が行方不明となっている。大川小学校からの新入生が激減したことにより、2013年3月をもって大川中学校は閉校となり、「石巻市立河北中学校」に統合された。震災による「非可住区域」の指定、人口流出、学校の統廃合はやるせない気持ちになってしまう。

 12:25頃、大川小学校に到着した。


 それでは次回に続きます!