8/6で、広島に原爆が投下されてから75年となります。5年前(2015年)の夏に私は広島に旅行に行き、原爆ドームと平和記念資料館を見学してきました。現地で受けた衝撃は5年経った今でも覚えています。

 

 広島の原爆と聞いて、切っても切り離せないのが、中沢啓治先生の被爆体験を元に描かれた漫画「はだしのゲン」です。つい最近、「はだしのゲン わたしの遺書」という本があることを知り、電子書籍(Kindle)で購入して読みました。

 

 前述したとおり、「はだしのゲン」は中沢先生の実体験を元に描かれました。「はだしのゲン」が生まれたきっかけは、中沢先生のお母さんが亡くなって火葬をしたとき、お母さんのお骨がほとんど残っておらず、「原爆の放射線は、おふくろの骨まで奪っていくのか」と腸の煮えくり返る思いをされたことだったそうです…。


 原爆投下前から、妹の友子ちゃんが亡くなるエピソードは、アニメのDVDでも見ていたので、知っていました。しかし、中沢先生が漫画を書こうと思ったきっかけや、上京してからの被爆者差別、当初は原爆をテーマにした漫画を書こうとは思わなかったことなどは、本を読んで初めて知りました。


 実は「はだしのゲン」は未完の作品で、ゲンが上京するために、広島から列車に乗るシーンで終わっています。本当なら、そこからさらにストーリーが続き、東京での被爆者差別を描く予定だったそうです。ラストはゲンが絵の修行のために船でフランスに旅立ち、原発問題について考えるという構想になっていたそうです。

 しかし、中沢先生が患っていた白内障の悪化と肺がんで、執筆を断念し、その後のゲンは読者の想像に委ねるという形を取ることになりました。そして、2012年12月に中沢先生が73年の生涯を閉じるまで、「遺言」の思いで、戦争体験や核兵器の実態について講演していました。この本も「遺書」であり「遺言」なのです。



 広島に行くまでの私(特に小中学生の頃)は、戦争のことを見聞きして、「街が壊されたり、何の罪もない人が殺されたりしてかわいそうだな〜」というように感じていました。しかし、戦争が起きた「その後」のことまでは考えたことがありませんでした。そして、戦争によって人間がどうなってしまうのか、ということも。


 中沢先生は、「核兵器の悲劇は、落ちたそのときだけでは終わらない」と仰っていましたが、本当にそうなのです。原子爆弾が火力による爆弾と大きく違うのが、「放射能」の存在で、広島・長崎では今も放射能による後遺障害に苦しんでいる方が沢山いらっしゃいます。実際、中沢先生も放射能による後遺症がいつ出るか怯えていたそうで、娘さんが健康に生まれてきたときは心の底から安堵したそうです。


 新型コロナの影響で、今年は戦争に関してのニュースの取り扱いが小さくなっているような気がしますが、たった一発の爆弾で何十万という人が殺され、その後も多くの人を苦しめているという事実は必ず伝えていかなければなりません。


 戦争に勝ちも負けも存在しません。互いにトラウマを植え付け、その後の人生を大きく狂わせてしまうものなのです。戦争が終わっても、放射能による後遺症に苦しんでいる人がいることを知って、「戦争なんて私達には関係ない」「戦争は遠い過去のできごと」なんて言えるでしょうか。


 この機会に、ぜひ読んでみて下さい。