第16回 一番の価値は、わが内なる道徳律

 

3月7日、NHKBS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄 ~戦後政治はこうして作られた  昭和編~」が放送された。

私が知らないナベツネ像が描かれており、非常に興味深く見た。番組のかなり早い段階で、彼の人生の結論ともいうべきキーフレーズが示された。その内容が忘れられない。

 

自らの人生において、一番の価値は「わが内なる道徳律」であると述べたのである。

学徒出陣し、陸軍の内実なき精神主義、戦前日本の病理を見た、とした。原点である戦争体験を通じて獲得した人生哲学である。

 

わが内なる道徳律、他の誰人も知ることのできないそれは、しかし厳然として自らを律する。そして他に対して恥じることのない自信と、認められようと認められまいと決然とした行動を生む。

 

後半は平成編である。傾聴に値する人生哲学が語られよう。

 

このブログでは和泉補佐官と大坪次長を批判してきた。間違っているからである。

彼らには「内なる道徳律」はない。あるのは権力欲と嫉妬だけである。

 

ナベツネは、人生の結論として、星ちりばめたる天空、にも言及したが、詳述されなかった。これも後編に期待したい。

 

このブログで主張してきたことに、間もなく、一旦の決着が付く。その結論を胸に天空を仰いで、ちりばめられた星を見る時、すがすがしい思いでいられるだろうか。私は私なりに「わが内なる道徳律」を持っているつもりだ。その道徳律に従って行動してきた。

 

和泉補佐官と大坪次長が描くシナリオは読めた。それはどこまでも狡猾で逃げ道がない。最後まで諦めないと言ってきたが、正直絶体絶命だ。権力とは凄まじいまでに強大である。正しいから勝つとは限らない。しかし負けてはならない。正義が失われてしまう。

 

 

日本の医療研究開発が歪められている。

 

 

 

 

第15回 迷走する第2期健康・医療戦略

 

第2期健康・医療戦略の策定作業が大混乱を極めている。

 

まずは、おさらいしておこう。

我が国の健康・医療分野における最上位の政策である健康・医療戦略(2014年7月閣議決定)は、健康医療戦略推進法に示された理念に基づいて、我が国が展開すべき施策の方向性を定めている。

推進法の示す理念は、

①     世界最高水準の技術を用いた医療の提供

 医療療分野の研究開発における基礎的な研究開発から実用化のための研究開発までの

 一貫した研究開発の推進及びその成果の円滑な実用化により世界最高水準の医療の

 提供に寄与する

②     経済成長への寄与

 健康長寿社会の形成に資する産業活動の創出及びこれらの産業の海外における展開の

 促進その他の活性化により、海外における医療の質の向上にも寄与しつつ、我が国経済

 の成長に寄与する

である。また、同戦略は、10 年程度を視野に入れた 2014 年度からの5年間を対象とすること、策定から5年後を目途に全体の見直しを行うことが明記された。

 

2017年2月に一部改訂された際、対象期間等も見直され、「2014 年度から、10 年程度を視野に入れた 2019 年度までを対象とする。」「本戦略は、2020 年度までに全体の見直しを行う」とされた。

 

霞ヶ関では、こうした政策文書、計画は予算と一体的に扱われるため、改訂する場合は、新たな対象期間のスタート年度の前年夏までにとりまとめる(改訂する)のが通例である。そうでなければ、必要性や合理性の根拠がないまま、予算を要求することになる。今回の第2期健康・医療戦略に当てはめれば、2020年度開始であるから、2019年夏には改訂されていないと論理的におかしいことになる。

 

実態はどうか。第2期健康・医療戦略は3月3日時点でまだ策定途上なのだ。

 

何が起こっているのか。本ブログ記事(第3回 次期戦略は5プロなのか6プロなのか、いやそもそもそれは政策なのか)でも少し取り上げたが、次期戦略の案は昨秋から参与会合や専門調査会で審議されてきた。通例、昨年夏には策定されているはずのものが秋に実質的な審議をしているのも相当周回遅れであるが、内容面では微修正にとどまった。なお、神奈川県の黒岩知事が「未病」の扱いをめぐって、怒声をあげて批判したことも一部報道されたとおりである。もっとも「怒声」に対してどう納得されたのかは承知していない。

 

ちなみに、黒岩知事の発言は、12月6日の参与会合議事録で確認できる。(2ページ目以降、ふざけるな的発言は少なくとも3回なされており(表現は丸めていると思われる)、生々しく興味深いが、以前審議会の議事録を長々とアップしてお叱りを受けたのでURLのみ記しておく。)

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/sanyokaigou/dai18/gijigaiyou.pdf

 

なお、この参与会合には、健康・医療戦略担当の竹本大臣、平副大臣、今井大臣政務官も出席していた。大臣が出席する審議会で、事前に調整ができていないために、出席者が声を荒げて内容を批判する、というのは霞ヶ関でも異例の事態だが、それほど話題にもなっていない。

 

さて、決定的な大修正は、2月の与党審査プロセスで起きた。

自民党・公明党から、疾患領域の扱いが不明確・不十分、新型コロナウイルス感染症対策等現状を踏まえた記述になっていない等々不備を指摘する声が相次いだのだ。

 

新型コロナウイルス感染症対策については、このタイミングで議論するのだから、事務局である健康・医療戦略室が議論を先取りして何かしらの記載をもって提案すべきところ、何を思ったか戦略室は丸腰で臨んで叩かれた格好だ。また、疾患領域の扱いが軽すぎることは従来から指摘されていた点であるが、戦略室としてはこれも何を狙ったか「不十分」な記載のまま臨んで厳しい指摘を受けた。

 

すでに本来の策定タイミングから半年遅れており、しかしさすがに年度を超えるわけにはいかないため、年度内の戦略本部決定に向けて、目下、大至急で修正作業が進められている。

 

次期戦略と同時に作業が進められており、したがって同時に修正を余儀なくされているのが、次期の医療分野研究開発推進計画である。

 

医療分野の研究開発等については、健康・医療戦略推進法第 18 条に基づき、健康・医療戦略に即して、施策の基本的な方針や政府が集中的かつ計画的に講ずべき施策等を定めた医療分野研究開発推進計画を作成して医療分野の研究開発を推進する、とされている。

 

次期推進計画は次期「戦略に即して」作成されるため、同様に年度内の本部決定に向けて作業が大至急進められているというわけだ。

 

ここで改めて重大な事実を指摘しておくと、本来2020年度予算案は、次期戦略・推進計画に基づいて、編成されなければおかしい、ということだ。ここにきて内容が不十分と指摘されるということは、これまでの審議・議論が不十分と言わざるを得ないが、それは一旦置いておく。が、物事の順序として、次期戦略、次期推進計画を作ってから、それを踏まえた予算案を編成するべきであるのに、そうなっていないという事実だ。

 

順序を違えている点はまだある。

AMEDは医療分野研究開発推進計画に基づいて、医療分野の研究開発の中核的な役割を担うとされているので、次期推進計画が固まっていない以上、論理的にはAMEDの第2期中長期目標はまだ設定できないはずだ。また、目標が示されなければ、AMEDの第2期中長期計画は策定できないはずだ。

実際はどうか。AMED第2期中長期目標はすでに2月27日に戦略本部決定(持ち回り)されているのだ。AMED第2期中長期計画もすでに策定され、主務大臣への認可申請されている。現行の推進計画で進めることとなっている統合プロジェクトは9プロである。6プロに再編しようとしている次期推進計画はまだ決まっていないのに、AMEDは6プロベースで仕事をせよ、と政府が目標を示し、そのようにいたしますがよろしいでしょうか、とAMEDがお伺いを立てているのである。

 

おかしなことだらけである。なぜこのようなことがまかり通るのか。霞ヶ関でも異例中の異例であろう。

 

順序がおかしいだけでしょう、というのは本質論を矮小化している。

 

上述のような次期の健康・医療戦略策定をめぐるゴタゴタを踏まえて問われるべきは、健康・医療戦略室が司令塔として全く機能していないという事実だ。室長である和泉補佐官と大坪次長(厚労省審議官)が機能していないということだ。逆に、やるべき仕事をしていない、結果として我が国の健康・医療の研究開発を毀損しているのだ。

 

次期健康・医療戦略や次期推進計画は与党の議論で「修正」されつつある。しかし、司令塔の「修正」は全く進展がみられない。予算案とも密接に関係する問題である。予算案の審議は参議院に場が移っている。果たして司令塔を修正するような、本質に迫る審議が行われるのか。一体誰が日本の健康・医療戦略と研究開発を再興するのか。

 

 

日本の医療研究開発が歪められている。

 

 

 

 

(追記) 第7回 和泉補佐官の写真と経歴がもとに戻った件

 

しばらくぶりに和泉補佐官の紹介HPを見に行ったところ、写真と経歴が元に戻っていた(3月2日時点)。

 

「復権」するとは思っていなかったので、スカスカ状態の補佐官ページの写真をアップしておけば良かったと後悔している。内閣官房の職員がこのブログを見ているとも考えにくく、なぜ和泉補佐官のHPが元に戻ったかは、そもそもなぜ写真や経歴が消されたかと同様、謎である。

 

もっとも総理補佐官といえば、最近、秋葉賢也総理補佐官が、新型コロナウイルス感染拡大を受けて政府が大規模なイベントの自粛を呼びかけた2月26日当日に、(衆議院議員としての)地元の宮城県内で政治資金パーティーを開催したとして批判されたのが記憶に新しい。秋葉補佐官は、(失礼ながら)知名度は他の補佐官に比して必ずしも高いとはいえないが、今回の件で、知られるようになった。総理補佐官の紹介HPもアクセス数が急上昇したことであろう。

 

ちなみに、今回の批判に対して、「私が(総理)補佐官という肩書だから、私だけ着目されるのはどうかなと思う」とも語ったとされるが、一衆議院議員であることに加えて、総理補佐官に任命されているのだから、より幅広い活躍が期待され、同時により厳しく自己を律することが当然に求められるはずだ。「肩書だから」という言い方に、総理補佐官としての秋葉氏には、実務が伴っていないのではないかと思ってしまう。ただ、補佐官としてのHPには、視察を活動実績として積極的に紹介しているところをみると、「肩書」を利用して、自己アピールに余念がないという見方も可能だ。

 

総理補佐官を理解する上で非常に参考になる記事がある。

日経新聞「首相補佐官「安倍1強」支える 海外では厚遇 米では閣僚級」(2019年10月18日)だ。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51085020X11C19A0EAC000/

 

「国際情勢の目まぐるしい変化に対応するため政策立案にスピードアップが求められ、以前より首相官邸で処理すべき課題も増えた。官僚でも閣僚でもない首相補佐官の柔軟な活用は官邸を肥大化させることなく官邸主導を維持するカギとなる。」という認識が記事のまとめ部分に示されている。

 

しかし、93年の細川内閣で首相特別補佐を務めた田中秀征氏が、首相補佐官のあり方について「首相の思想や政策の助言役であるべきで、首相の権力行使の補佐が役割だと誤解すべきではない。特に官僚出身者が権力を補佐するなら官房副長官補など行政の意思決定ラインに入るべきだ」と指摘していることも紹介している。

 

 

原点に立ち返ろう。

「内閣総理大臣補佐官及び大臣補佐官の職務遂行に係る規範」(平成26年5月27日閣議決定)はHPから消えることはないであろうから写真はアップしないが、URLのみ記しておく。https://www.cas.go.jp/jp/siryou/pdf/20140530_daijinhosakan.pdf

 

この機会にその趣旨を見直しておくことは価値がある。

 

すなわち、

・内閣総理大臣補佐官は、国家公務員法等の趣旨を踏まえ、国民全体の奉仕者として政治的中立性が求められている職員に対し、一部の利益のために、その影響力を行使してはならない

 

すなわち、

・内閣総理大臣補佐官は、総理大臣直属のスタッフとして総理大臣を補佐することを職務とするものであり、組織を代表する立場にはなく、内閣官房副長官その他の職員に対する指揮命令権を持たず、これらの者から指揮命令を受けることはない

 

上記閣議決定に立ち戻れば、和泉補佐官が菅官房長官の懐刀といわれることがそもそもおかしいし、「国家公務員法等の趣旨を踏まえ、国民全体の奉仕者として政治的中立性が求められている職員に対し、一部の利益のために、その影響力を行使してはならない」のに、行使している事実は明らかに閣議決定に違背していると言わざるを得ない。

 

 

日本の医療研究開発が歪められている。

 

 

 

 

第14回 イベントの自粛要請から見えること

 

今日(もう昨日になってしまったが、2月26日に)不可解なことがあったので共有したい。

 

医療研究開発とは直接関係はないが、政府に対する信頼と国民の行動について考えさせられるのではないか。

 

新型コロナウイルス対策については、連日のように政府対策本部を開いて、感染の発生状況や取るべき対策について議論をし、情報発信している。

 

「イベント等の開催」について見ていきたい。

 

2月25日の政府対策本部の決定では、「開催の必要性を改めて検討するよう要請する」となっていた。

 

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000599698.pdf

 

〇イベント等の開催について、現時点で全国一律の自粛要請を

 行うものではないが、専門家会議からの見解も踏まえ、地域

 や企業に対して、イベント等を主催する際には、感染拡大防止

 の観点から、感染の広がり、会場の状況等を踏まえ、開催の

 必要性を改めて検討するよう要請する。

 

ちなみに、内閣官房の新型コロナウイルス対策のHP

https://www.cas.go.jp/jp/influenza/novel_coronavirus.html

では2月26日時点としているものの、内容は25日の情報のままである。

(しれっと更新されるであろう)

 

○イベント等の主催者においては、感染拡大の防止という観点から、

 感染の広がり、会場の状況等を踏まえ、開催の必要性を改めて検討

 していただくようお願いします。なお、イベント等の開催については、

 現時点で政府として一律の自粛要請を行うものではありません。

 

表現は少し違っているが同じ趣旨である。

 

2月26日の政府対策本部では、総理がさらに踏み込んだ発言をしたことがニュースとして駆け巡った。

https://www.cas.go.jp/jp/influenza/sidai_r020226.pdf

資料ではわからないが、席上、総理は次のように発言している。

 

〇政府といたしましては、この1~2週間が感染拡大防止に極めて重要

 であることを踏まえ、また、多数の方が集まるような全国的なスポーツ・

 文化イベント等については、大規模な感染リスクがあることを勘案し、

 今後2週間は、中止、延期または規模縮小等の対応を要請することと

 いたします。

 

25日の段階では、「開催の必要性を改めて検討」するよう求めつつ、「現時点で政府として一律の自粛要請を行うものではありません」と言っていた。主催者が慎重に判断せよ、としていた。26日になって、「今後2週間は、中止、延期または規模縮小等の対応を要請する」と踏み込んだ。

 

そして、この自粛要請の総理発言を受けて、様々なイベントが中止や延期されることが発表された。

 

 ・プロ野球のオープン戦は無観客試合で

 ・劇団四季が3月8日まで全ての劇場公演を中止

 ・AKB48、EXILEや米津玄師さんら公演中止相次ぐ 

 

他にも多くのスポーツイベントなどの中止、延期が発表された。

なぜ、こうしたイベントは政府の自粛要請がないと中止決定できなかったのか。逆に、政府の自粛要請が出たとたんに、雪崩を打つように中止決定をしたように見える。


イベントの中止は、興行収入がなくなるので、損失を伴う決断である。政府の呼びかけが主催者の判断に委ねられている段階では、株主や顧客のクレームを恐れたのか、主催者は中止の判断ができなかった。

しかし政府が自粛要請をした、政府が「責任を取る」と明言しているわけではないが、主催者に「政府の要請」という口実を作ったら、一斉に中止等の判断をする。

 

官邸サイドがなかなか自粛要請を発することがなかった背景に、自粛要請を発した場合の損害賠償責任という議論を回避したいといった財務省的発想があったと考えるのは考えすぎだろうか。

官邸が自粛要請に踏み切った背景に、企業サイドからの強い突き上げがあったと考えるのは私だけであろうか。

ちなみに、政府のイベント自粛に関する要請は、通例、発表と同時に文書化されて公表されるものだが、今回は発出されていないことも付け加えておこう。

 

政府は、感染が広がることはわかっていたはずであり、効果を高め、また混乱を避けるためにはもっと早く自粛要請をすべきであったのではないか。

他方で、イベント主催者は、政府の自粛要請を待つことなく、自主的な判断として、国民の健康・安全を優先して中止等の判断をするべきだったのではないか。

 

この危機的状況にあって、誰もが責任を取りたくない、という主体性を失った行動に走っていることが垣間見えたように思う。そうした態度こそが危機的状況であり、真の危機を招くのではないかと恐れる。

 

 

日本の医療研究開発においても関係者の主体的な判断、行動が求められている。

 

 

 

 

 

第13回 ファイティングポーズ

 

以前、70歳を迎える大切な人のことを書いた。

抗がん剤治療のために入院していて、面会できないとも書いた。

昨日、お会いすることができた。

 

壮大なウェブ空間にあって、端っこの端っこにある本ブログだが、それでも気にかけてくださる読者がいることに感謝と敬意を表しつつ、ご報告しておきたい。

 

1週間だけ仮退院されるとお聞きしたので、ご家族ご親族で過ごされる時間のあまりを頂戴することにして、連休最終日の夕方にお伺いした。治療は過酷なものであったことが、わかる。少しお痩せになっていた。

奥さまも出てこられた。この方の奥さまがまた素晴らしい方なのだ。寄り添い、励まし、ときには怒ったり怒られたり。慈愛に溢れ、率直で、感謝に生きている方だ。

しかし、笑顔は健在だった。病院食がいかに美味しくないか、退屈な入院生活にどうやって楽しみを発見しているか、具体例を交えながら、力説されるご様子に大笑いした。ほとんど夫婦漫才である。心からお誕生日のお祝いを申し上げた。お祝いできることが本当に嬉しかった。

 

また明後日には病院に戻られる。病気と闘うファイティングポーズは崩さない。私も崩さない。

 

 

 

先週20日に発売された週刊文春(2月27日号)では、「和泉補佐官の愛人「溺愛」音声を公開する」と題して3週連続になる文春砲がさく裂した。

その評価はあなたにお任せしたいが、ダイヤモンドオンラインに官僚人事をテーマにした関連記事が掲載されたので、参考までにお知らせしておこう。

 

「和泉首相補佐官が問題なのは「不倫」よりも国家公務員幹部人事への専横ぶりだ」

https://diamond.jp/articles/-/229736

 

 

日本の医療研究開発が歪められている。