河童の話をしたついでに今回も空想上の化け物の一つである牛鬼
について書いてみたい。言っても河童と違って牛鬼はまだまだ知
名度の低い存在なので、紹介からはじめよう。

――牛鬼とは牛のような形をした鬼で、多くの場合、頭が鬼で首
から下が牛の形をした妖怪と伝えられ、海岸部もしくは川沿いの
淵や滝など水に関連する場所で伝説化されている。

「枕草子」百四十八段には”名おそろしきもの”の一つにあげら
れ「太平記」巻第三十二には、頼光の切り落とした牛鬼の頭が、
太刀の先を食いきって飛び揚がり、半刻ばかりを跳ね上がりなが
ら吠え怒ったが、やがて地に落ちてしに、また首のない身体の方
は屋根の砂嵐から飛び出て天に舞い上がったという怪異が描かれ
ている。

和歌山県西牟婁郡すさみ町の広瀬谷にかかる琴の滝に住んでいた
という牛鬼は、人の影を食べ、食べられた人は必ず死ぬといい、
昔、滝の近くの草を刈りに行った百姓が影を食べられてしんだと
いう。また同郡日置川町の日置川上流、佐本村大字宮城に牛鬼滝
があり、昔、吉平さんの影を食べたため、吉平さんは真黒焦げに
なって死に、今もその滝では魚を取らないという。

(中略)牛鬼というものは、真赤な角を持ち、足音もなく、壁に
当たっても音がなく、ゴムのように柔らかい存在であった、と伝
えている。

(中略)愛媛県南伊予の旧宇和島藩伊達家領内の祭礼に、ウショ
ウニンもしくはブーヤレと称せられる牛鬼の練り物がみられる。
牛頭牛体の胴は、割竹を編んで造り、全身を棕絽(しゅろ)の毛
や赤色の布で覆い、中に数十人の若衆が入ってこれを担ぎ、神輿
の先駆として家々を唱門祝福して練り歩く。首は長い杉の丸太を
支柱にして先に鬼の面をつけ、尻尾には剣形をつけ、幣束(ぬさ)
を差してる。

その牛鬼祭の起源については次のような伝説が残っている。昔、
伊予の人、藤内図書が、蔵喜兵衛ノ尉という弓術者と力を合わせ
て周防の国で牛鬼を退治したからであるとか、あるいは、徳島県
海部郡牟岐町を昔、牛鬼村といい、そこの古池に住む牛鬼を伊予
の人が退治したことに始まるともいう(角川書店「日本伝奇大辞
典」より抜粋)――

人の影を食べるというのは少し珍しい鬼であるが、なぜこの牛鬼
の存在があまりポピュラーでないかと言うと、伝説の伝えられて
いる範囲が限定されているからである。

和歌山と四国の一部にしか伝承が見当たらない。民話や伝説に少
し興味を持って調べたことのある人なら、この不思議さに首を傾
げるだろう。名称は異なっていてもたいていの化け物は全国に分
布している。

一つの地域に限定されている妖怪は滅多にない。しかも、引用し
た記述にもう一度目を戻していただきたい。

和歌山の西牟婁郡に徳島の牟岐町。どちらにも牛の字の含まれる
牟という漢字が見られる。

田中群に山田町というのなら偶然で済まされようが、牟という滅
多にお目にかからない文字が共通するのはとても偶然とは思えな
い。

地域の限定されていることと重ね合わせると牛鬼が実在したので
はないかと思えて仕方がない。試みに牟の意味を漢和辞典で調べ
たら巨大な襲撃者を表すものだった。

群名や町名は先に牛鬼があって命名されたものと考えられないだ
ろうか。淵に住んでいるということだから案外に行動半径が狭く
て、他の地域にまでその存在が伝わらなかっただけかも知れない。

その牛鬼の像が高松市の根香寺に建立されている。寺に残された
牛鬼の古い画像を元に復元したものだが、牛と言うより我々のイ
メージする宇宙人に近かった。

指は三本で間に水かきがある。あるいは聖書に描写される悪魔か。
四百年前に描かれた画像にしたらリアリティーがある。根香寺に
はその牛鬼の角まで保存されていると聞いた。興味深い存在であ
る。



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