宇迦之御魂神様:フミも私を信じることを辞めたとは言え、まだまだ脳に私があるという考え方が残っているわ。
この本を読んで、私という幻想を打ち払いなさい。
というわけで、今日はこちらの本の簡単な紹介です。
昨今、スピ界ですら、自分自身に聞くのが一番とか、自分軸とか、色々言われていますが、それは他人やTVに振り回されるよりはマシと言う程度の考えであって、本来は褒められた考えではありません。
講義の動画もあります。
『意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説』
受動意識仮説
受動意識仮説とは、慶應義塾大学大学院の教授で前野隆司の提唱されている説です。
出典:前野 隆司 | SDM|慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科
簡単に説明すると
一般的に人間の意識は、司令塔としての主導的な主体ではない。
無意識の結論を受動的に受け取っている観察者に過ぎない。
観察者に過ぎないのに、「私がやった。私が決めた。」と錯覚を起こしているのだ。
と言うことです。
無意識の小人
考え
私達が考えること。これは私が考えていると思っているけど、実は受動的なものなんだと言うんです。
無意識には小人達が沢山居てあれこれ話し合って決めているというのです。小人達というのは脳の中のニューラルネットワーク(神経回路網)をわかりやすく表現したものなんですが。
私がスピリチュアル的に言えば、『想念』です。
出典:『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』
これはピタゴラスの定理を見たときの反応です。
こうやって無意識の小人が騒いで、結果色々な考えが出てくる。つまり考えることは受動的だと言うのです。
感情
次に感情はどうでしょうか?
今から怒ろう!と思って怒るよりは、大抵なにかに反応して怒りますよね。
つまり、感情というのも受動的なものです。
意図
考えと感情は受動的である。これはまあ納得できるとして、意図。つまりこれをしよう、あれをしようと言うのは私が主体的にやっていることだ。
そう感じる人が多いと思うのですが、これもまた受動的なのだと前野教授は言うのです。
リベット博士の実験
その根拠のひとつとしてリベット博士の実験を上げています。
これは説明するより、よいYoutubeがあったのでそっちを貼っておきます(横着)
『【自由意志】人間に自由意志はあるのか?驚愕の真実(脳科学) ~リベットの実験~』
リベット博士は、0.2秒間の拒否権がある。これが自由意志だと主張しますが、前野教授は拒否権もないと言います。
この実験以外にもいくつもの実験をあげて、視覚、時間、触覚などでも私達が感じていることは、現実をそのまま感じているわけではなくて、脳の中にあるルールに基づいて変えられて感じているのだと言います。
「意識は無意識よりも前にあるように感じるという脳のルールがある」その為に、意識が決めたかのように脳に感じされているだけなのだ。
よって意識は主導的なのではなく、受動的だ。」というのが受動意識仮説です。
さらに受動意識仮説によって、悟りの思想なども説明出来ると言っています。
ダジボーグとの対話
今回のチャネリング相手:太陽神ダジボーグ
スラブ神話の神慈悲深い太陽神。万物の創造主スヴァローグの子。
その名は文字通り『与える神』(Dazh[命令型]+bog[幸福、反映])を意味している。黄金の翼をもつ4頭の白馬が引く戦車で空を横切り、『火の盾』で陽光を創り出した。彼はまた豊穣神でもあったから、人々は自らを誇り高く「ダジボーグの孫」と呼んだ。
ダジボーグ:意識が分散しているというのは良い説明だが、そもそも受動的な私がいるというのが甘い。
カルト宗教(統一教会)が話題になっているが、
君たち現代人そのものが、現代的な常識を信じ込まされている、重度のカルト宗教信者なのだよ。
ダジボーグ:私の意識があるけどというのは、現代人特有の洗脳であって、古代人はもっと自意識が薄かった。
ダジボーグ:ずっと人間は集団での意識だったのだ。
近代に入って、個が叫ばれて、分断され弱体化されていったのだ。
これは商人階級が支配者層になってくるにつれて、自分達が支配しやすいように分断化している結果だろう。
フミ:四年ぐらい前に昆虫型宇宙人と会話しました。
その時も昆虫型宇宙人は
「集団意識で動いているけど、個の意識も同時にある」と言っていました。
さらに「君たち人間も気がついていないけど、同様に集団意識なんだよ」とも。
(第百四講義 ベガ編 昆虫族との対話 - 講義073~ 宇宙人編)
ダジボーグ:そうだな。私という我を尊重する教育・社会なのが現代だが、それは人間本来のあり方として不自然だと言うことだ。
この教授は、意識の表層を解明して一足飛びに悟りの説明ができたと言っているが、本人の実戦が甘いためそれは違う。
古代人は、現代人のように私を重視しておらず、自分の属する一族、集団などを中心に生きてきた。
私はほとんど無かったが、別にそれだけでは悟ったりしなかった。
この意識の説明と悟りは別のことだ。
ダジボーグ:しかし、現代的検証により、現代にはびこる私重視の風潮を錯覚だと言っていることは大変に良いことだ。
基本的に、個々の人間が自分勝手なことを追求していけば、人間の世が滅びていくのは当然の結果だよ。
今回のチャネリング相手:『ウカ』様
千葉県鎌ケ谷市『初富稲荷神社』の神様
初富さん:富と豊穣を司り、庶民の味方でございます。稲荷は恐いと申される方が居られますが、それは誤解。庶民の皆様を一生懸命見守り手助けするが故のこと。日本は神と人とが共に暮らす土地でございますから、是非気楽にお近くの神社に参拝されますように。画像出典:いなり、こんこん、恋いろは。(公式)
宇迦之御魂神様:最後に少しだけ言うわね。
日本人はもともと私、私、言っていなかったのよ。だから優秀だったのよ。
慣れないのに私、私と言えば言うほど、劣化し、バカになっていく。
それで、良くなったと思い込んでいる。
それは自分と周りが悪くなっているのがわからないくらいバカになっていると言うことよ。
悪いことを騒ぎ立てるマスコミの言うことよりも、自分の考えに閉じこもった方がマシなのは確かです。
でも私というものを後生大事に抱えてることは、既に半分騙されているということなのよ。
我(私)を捨てていけば、外の騒ぎ立てる意見に惑わされることもなく、自分の欲に溺れることも、徐々になくなっていきます。
それこそが、精神性、スピリチュアルというものですよ。