猫って、人とほんの少し接触するように、自分の居場所を決めることがしばしばある。
ちょっとだけくっついていたい。
構ってほしくはない。
良い気持ちだね。
コメント返信、させてもらいました。
長々したものになっちゃいました汗
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サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」村上春樹訳を読んでいる。
他のものと並行読みしながら、ちびちび読んできたけれど、ついに残すところあと20ページくらいになってしまった。
最後にアントリーニに説かれる場面を読んでいる今。20歳の頃読んだときは、全体の中でもその説教の内容に結構感動したし、今もそれはするのだけど、今回はむしろ、最初から今にかけての語り手ホールデンの姿と言葉で、胸がいっぱいになっている。そちらへ耳を傾けることを、し続けていたい気持ち。
的確なことを話す。視点や言葉のセンスも良い。ユーモアもある。率直で素直で、愛もある。すごくある。切実で、儚い魅力もある。逞しい心もある。
何も、間違っていないと思う。
若さゆえの生意気なんかでは、全くない。
感じやすすぎるとか、そんな言葉でも表せない。
だけど、彼の神経が、どこかもうギリギリにいっぱいいっぱいになっていることが、語りの中にも薄く滲み渡っていることや、時にそれが溢れている様子を読んでいると、こちらまで胸がいっぱいになって泣きそうになる。
それもあって、少しずつしか読み進められなかった。
ホールデンくんに、誰が、なんて言葉をあげられるのだろう。
救いとか癒しとか、そういうことではない気もするし、でもそれこそなのだという気もする。
ちゃちなそれではなく、本当の。
本当のだなんて、お茶濁しだけど。
アントリーニ先生は、よい言葉を話している気がするけれど、それは鈍感な私の感性による錯覚なのかな。
わからん。
このあと20ページ先で、また、何を感じるのかわからない。
感想を、言葉にできない。
する必要はないのかもしれない。
まるごと、彼の語りを心に感じさせたい。
これ、なぁ…
心が泣いている。
何の涙か、わからない。