オンラインkokkoくらぶサイトにアップしている記事より
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ホントに知れば知るほど、知らないことだらけ、
無知な自分に気がつくなあと学びを深める度に思います。
そして、「わかりません」「知らなかったです」っていうのは別に恥ずかしいことじゃないな、と。
むしろ知らないのに知った顔する方が、よっぽど後から恥ずかしいし、
「えー、そんなことも知らないの?」って
バカにする人もちょっと恥ずかしい人な気がするなあ、って。
でも、自分の無知を認めるのってなかなか勇気がいったりもする。
ああ、どんだけ自分のプライド高いんだろ、ばっかみたい!なんて、
自分のことを思ったりもして(苦笑)
するっと軽やかに「あ、それわかりませんでした。知りません。教えてください!!」
って言える方が、どれだけ気持ちよくてどれだけ信頼度があがることか。
学べば学ぶほど、知れば知るほど、「知らない自分に気がつく」。
そこがしっかりわかるだけでも大きな成長だよね。
「知らない」ことを恥ずかしがらずに認めて、「知りませんでした。教えてください」
と素直にいうことで助けてくれる人は増えます。
「あなた、そんなことも知らないの?それって常識でしょ」
なんて人をバカにするような人に出会ったりもするけど・・・(苦笑)
常識って、人によって、家庭によって、属する社会によって、まったく違ってくるんだよね。
どんな人のこともバカにしたらいけないよなあと、しみじみ思うのです。
「人は少ししか知らぬ場合にのみ、知っているなどと言えるのです。
多く知るにつれ、次第に疑いが生じてくるものです」
「なんでも知らないことが必要なので、知っていることは役に立たない」
(どちらも「ゲーテ格言集」より)
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学べば学ぶほど、知れば知るほど、知らない無知な自分に気づき恥ずかしくなります。
知らないってある意味怖いもの知らずだったりすることもあるよなぁとも思ったり^^;
知ってたらできない「偉そうな態度」とか「偉そうな言葉」とかあるよね。
まだまだわかっていない無知な自分に気づいて、
ああ、どの口があんな偉そうなわかった風なこと言ったんだ!!
とあとから赤面したり・・・
そう考えると、
「自分がわかっていないことを自覚している人」は、
安易に自分の正しさを声高に偉そうに主張したりすることなく、
また相手の言い分も尊重することができるんだろうな、と。
哲学の父と呼ばれるソクラテスの「無知の知」だよね。
「無知であることを知っていること」が重要で、
「自分がいかにわかっていないかを自覚せよ」ということ。