学校警察連携制度
文教福祉常任委員会を傍聴して
6月18日に開かれた委員会、このところの一連の中学校で起きた暴力事件が報告されました。ゆゆしき事態が進行しています。
先の定例会でも、今年だけの話ではないという報告が明らかにされました。事件は深刻で、恒常的だったことです。
教育委員会の指導性が問われています。
今回、委員会に提案された「児童・生徒支援のための学校警察連携制度」は、タイミングのよい提案かもしれません。
しかし、中味を見て愕然としました。
4ページにわたっている提案<教育指導課作成 平成24年6月18日>には2ページをさいて「児童虐待」について書かれていました。
不可解です。虐待の現状や他市の事例が記載されていました。
今回の提案理由を簡単に申し上げますと
現状の法律では、学校も個人情報保護法の壁に塞がれ、何も手が出せません。このままでは警察との連携も無理だから、改めて連携制度を構築しなければならないという内容でした。
虐待に関して言えば、教育委員会は、平成16年の改正児童福祉法、改正児童虐待防止法を読んでいないのか、無頓着としか言いようがありません。
法律に無頓着なことは、6月議会定例会一般質問でも、私は「教育相談センター構想について」で申し上げました。
指導室・教育指導課、教育研究所の機能は、地方教育行政法を遵守し、本来の目的に立ち返るべきだと申し上げました。
本論を申し上げます。虐待に関して言えば、改正実定法にそって、秦野市は平成17年に、「はだのっこ すこやか ハンドブック 児童虐待の予防・早期発見・対応を中心に~」を作成して、学校・地域・警察・行政(市役所)・県・児童相談所と強固で、きめ細かな連携を図ることを制度化しました。
そもそもこの法律改正の精神と本旨は、法の壁を乗り越え、「個人情報」より「命」の重さを重要視したところにポイントがあります。
しかも、児童相談所ではなく、自治体の責任は、法律で義務付けられた意味をどう解釈しているかです。
しっかり尋ねてみたいです。
それに準じた「ハンドブック」を作成した意味は何だったのでしょうか?
そして、平成20年度4月に組織改正をしました。保健福祉センター内に
相談窓口を一本化しました。子育て相談班(青少年相談室)を設置し、相談対応をしてきました。
ですから今回の教育指導課の文教福祉常任委員会へ提案内容としては、著しく杜撰ではないかと思います。
今回の提案で明確になったことは、結局、私が危惧していたように窓口が一本化されていなかったこと、ましてや連携すらなかった証拠を、突きつけられたようなものでした。ガッカリしました。
というより
公が法定義務を破っていたことではないかと疑いたくなります。
実際、学校に寄せられたはずの、児童虐待に対応してこなかったのではないかということです。
今年3月の私の代表質問で現在の相談体制には、竹で木を接ぐように無理があると指摘しましたが、、市長は「現在の窓口一本化が良い、引き続き効果が出るよう取り組んでいきたい」と言及していました。
まるで市長は「裸の王様」のごとく現場の状況を掴んでいません。
私が何故、これほどまで虐待相談体制と教育相談分離体制に拘っているのかと申し上げます。
福祉事務所でやる相談、教育委員会でやる相談、それぞれ専門性も処遇も異なります。統合化した目的は、人件費を削ったら、というより削ることを意図した統合だということです。
神奈川県内、特に平塚市や伊勢原市、藤沢市の立派な相談体制の実例を照会していただければ、秦野市は似て非なるものであることは一目瞭然です。
「今時の親はとか、そもそも学校が弱腰だ」とか言うのは簡単です。
事件や事案を見たとき、確かに学校、家庭のあり方、様々なことを考えさせられます。
家庭教育も学校の指導力も大切です。
しかしながら、学校指導力や家庭をサポート・醸成する”場”がないのです。
かつて、公民館の自主事業として、どこの自治体も、良質の家庭教育学級や新生活運動、婦人学級など、社会教育主事や公民館主事主導で行われてきました。
しかし現状はどうでしょう。学校も公民館も昔の風景はなくなりました。
ストレス社会、貧困、セルフネグレクト、無関心、
「あなたはあなた、私は私 人それぞれ社会」etc
テンポ、素早く変化している社会で、悩んでいる方は多いです。
学校では、確かに犯罪事件が発生しました。
これはこれとして、しっかり受け止め対処しなければなりません。
私が危惧することは、子どもたちのストレスを教育として受け止めることを拒否していく方向性です。
警察は法に基づいて粛々として犯罪として受け止めるでしょう。
それは彼らの任務であり至極当たり前のことです。
しかしながら、成長過程の子どもたちの心理状態や生活を考えると、
私たち大人が、寛容にどこまで、しかもどう彼らを彼女らを受け止められるかです。
ジェームス・ディーン主演の「理由なき反抗」という映画がありました。
青年には限りないエネルギーが存在します。反権威・反権力はある種の成長過程の「属性・特性」だと思います。
警察連携をすべて否定しませんが、教育&警察ありきのシャッフルで一端出発しますと、失うものの方が大きいのではないかと思います。
今後の教育関係者には、両面を見ながら、急がず慎重にこの問題を考えていただきたいと、切望します。