大阪都構想?! | 地方政治の未来を創る 秦野市議会議員  古木勝久

大阪都構想?!

橋下徹政権誕生

時代閉塞感がそうさせたのか??


橋本「政権」が吼えていますね。確かに幕末かもしれません。

聞きようによっては、幕末以前の時代へ・・・。

後ろに引っ張っているようにも聞こえました


二重行政からの脱却で、大阪都構想を打ち出すのは分らなくはないです。


「大阪都に権限を集中する」って橋下さん言ってました。


東京都と特別区の関係

いわゆる都区行財政調整で、23区がどれほど苦労し、時間をかけて一定の区の地方分権を獲得したか。


私は、区が国や東京都の言いなりにならない条例や行政立法を一つ作るにも大変だった現場を体験しました


大阪都に権限を集中することは「中央集権」であり、地方分権に逆行すること、橋下さんに知ってほしいですね。


「大阪市を特別区(DC)にして公選制にする」と言っています。

一見、地区の分権を言ってるのかと思いきや、違うようですね。


大阪府と大阪市の場合は、道のりは厳しいでしょうが、単純に二重構造を取り払うために内部分権をして行政区分を解決すればすむ話です。




地方公共団体の長が「教育」を口にすることはいいことかもし
れません。どこの自治体も教育委員会会議の問題点が指摘されています。


「1ヶ月に一回の会議で何ができるか」

「委員が先生上がりで、行政を知らない」

「教育予算などの実務を知らない」


こんな声が教育委員さんによく向けられています。

こういうことに付け込んで・・・。

首長が「教育条例」を作るなどと豪語するのは言語道断。

本末転倒です。


育基本法第16条にある「教育は不当な支配に屈することなく」とあるのは、政治に向けられた言葉です。


政治の頂点たる首長が「教育」をいうのは、結構でしょう。

思いつきの、ただ天の声はイカンです。


悪名高い二学期制もそうでした。


横浜市では、中田宏前市長の時代にその傾向は極大化しました。権力者の思いつきをまず市民に発表して、トップダウンで現場に強制するスタイルです。彼が鳴り物入りで宣伝して導入した学校二学期制も、様々な混乱の挙げ句、今や以前の三学期制に戻りつつあるといわれています。


秦野は、数年前、「誤り」に気づいたのか?

やっと3学期制に戻りました。賢明な選択でした。


当時、私も全国の二学期制と三学期制をかき集めて

勉強しました。


仕事の合間でしたから、二学期制の正体を理解するのに3年かかりました。


市場原理主義が隠されていました。ヒドい制度です。先生方も生徒も、疲弊してしまいます。



二学期制を勉強して分ったことは、二学期制だけでなく、神奈川の”世論づくり”は横浜と川崎プラスアルファの自治体で決まることです。


なんといっても横浜+川崎で小中学校が50㌫が集中しています。これではたまらないです。


「神奈川の二学期制の実施率は当初、学校数で70パーセントです。ですから、よい子は早くやりましょう」(笑)


こんな感じです。数字のマジックです。自治体数では決して多くはなかったのですが、このインパクトはすごいです。


ところが、全国の動きは神奈川と全く逆だったということに気づいたのは、秦野市で二学期制が開始されて、1年が経過してからでした。


先生方にいろいろ情報を流しました。教育委員会にも持参しました。議員さんにも渡しました。


二学期制の弊害についても指摘させていただきました。


話が大分、ずれてしまいました。