市民力と羽仁五郎 | 地方政治の未来を創る 秦野市議会議員  古木勝久

市民力と羽仁五郎

市民力

 

学生の頃の愛読書に、すでに故人ですが、歴史学者で、参議院議員だった

羽仁五郎氏の『都市の論理』があります。

 

かなり分厚い本でした。 

今、古本屋さんにいってもないでしょうか?

 

私たちの青年時代のバイブルです。

所々、3回くらい読み返しました。

 

その中に、市民力という言葉が出ていたと思います。ヨーロッパと日本人の、「市民」としての意識の違いが出ていました。

 

「ヨーロッパ人は、土地所有を共同管理する都市計画意識があるが、日本人の精神構造には都市計画意識は全くなく、血縁としての市民があって、土地の私有権が幅をきかす考え方が前提で、厳密な意味の欧米的な共同意識としての「市民」は存在しない・・・」と・・・。

 

市民の定義として、羽仁氏がこんなことを言っていたと記憶しています。

 

要するに、日本人は共同体の中では「公共性」が薄いっていうことでしょうか。

 

最近、市内や市外、あちこちのイベントにお邪魔しますが、行政サイドからの挨拶が気なります。

 

「市民力こそがこれからの地域に必要なんです」

 

別の意味ですが、この市民力という言葉が乱発、安売りされているように思います。

 

市民力という言葉が、ことさら首長や行政側から発せられることは、奇異に感じることもあります。

 

私には市民力という意味が「安い労働力」という響きに聞こえてきます。

 

追記 2023年2月13日 昨今の東京オリンピンクパラリンピックの巨額な贈収賄事件を聞くにつけ、この「オリパラ」ではかなりの市民力、ボランティアがありました。ボランティアを実際の労働単価に換算するつもりはありませんが、何とも複雑な気持ちなります。