いよいよ明日から、国津神のふるさと、出雲に出かけてきます。

 

ここ最近、天津神、国津神のパワーバランスに変化が起きているように感じていましたが、

もしかしたら、縄文の時代からの神々である、国津神の力がいよいよ必要とされる時代になったのかもしれません。

 

ですので、しばらく留守にしますので、

明日から、10/21までは、過去の人気のあった記事を

加筆修正して予約投稿する予定です。

 

出雲大社

 

 

また今日の記事も、あくまで個人的な推論ですので、

眉に唾を付けてお読みください。

 

 

「縄文の心を取り戻せ」

この言葉には沢山の意味が込められています。

単なる言葉の遊びではありません。

 

・ブッダの時代、

・そして1200年後の空海の時代

・それから1200年後が今の時代です。

 

この時代・空間を超えて、

一つの大きなムーブメントがありました。

 

 

ブッダのサンガ(教団、仲間たち)が、この地球に同時に生まれ変わり、

 

人類の精神文明を進化させる計画です。

 

人間の転生には、個人ごとに

200年、300年、400年、600年と

 

ある程度、決まったサイクルがあり、

 

皆が一堂に介せるのが、最小公倍数の 1,200年単位であるからです。

 

過去2400年間の経過は以下の通りです。

(私の個人的な考えです)

 

 

■ブッダの時代

 

 ブッダの時代は、八正道を方法論にした自力、

つまり自灯明でした。

 

人や神様に頼らず、

自力で人生を切り開いて行くこと。

 

ブッダの教えてくれた法を頼りにすること。

それは、ブッダが亡くなる直前、

従者アーナンダが

人間、釈迦に縋りつく姿を見ての

最後の教えでした。
 

ブッダや、神に頼らず、

今まで長い年月掛けた「教え」そのもの。

「法」そのものを頼りに進め!! と言う事でした。



■空海の時代

それから1200年後の空海の時代、


ブッダを中心に再び集まったブッダ僧団の方法論は、

今度は宇宙の根本法則である

大日如来の存在を

人々に教えることでした。


大日如来

大日如来とは、
宇宙の実相を仏格化した根本仏,

星の運航、銀河生成、人や動物などの営み。


全てがこの宇宙に遍満する、

根本法則でもあり、

如来そのものである

大日如来の法則の元に動いている・・・

このように、空海の時代にとった方法論は、

絶対なる神なる存在を、自分以外の外に置く

他力の時代の始まりを意味しました。



事実、空海以降の日本では、

日蓮や法然、親鸞といった

南無阿弥陀などの念仏仏教に見られるように、

 

人心の心の有り様に合わせた

他力が隆盛を極めます。

 

そういう時代でした。

これが空海の時代にとられた方法論のようでした。



■現代


そして、それから1200年。丁度今の時代。

それは、空海時代のように

 

偉大なる存在を自分の外に

見つけることでなく、

 

また再びブッダの時代と同じく、

自力でありながらも、

偉大なる(神のような

絶対的な宇宙の根本法則である大日如来の)存在を
自分の内に見い出しなさいという、
 

 

ブッダ、そして空海。 2つの時代の融合し、

発展させたものではないかということです。

自分の中に、神さまを見出しなさい。

それが今の時代に、私たち人類に対して取られているアプローチです。


これがブッダ達グループが、長い時をかけながら、

私たちを導こうとしている方法論です。

 

 

次に神々についてです。

 

日本には、神道と言うものが古い時代からありました。

 

神道は明治時代からは、

一つの宗教というくくりに入れられてしまいましたが、


もともと神道は

宗教という概念がなかったころから

 

日本人の生活の中心として、なくてはならない存在でした。
 

 

初詣やお盆、宴会、銭湯など、

神道の心は日常生活で人々の中で自然に生きていました。

 

そして更に神道は、その成立年代、

成立過程、内包するエッセンスにより、

 

古神道と、神道に分けることができます。

 

どちらが良いとか、悪いのお話ではありません。

 

 

成立年代から言うと

古神道は、日本で1万5千年も続いた時代

縄文時代から、日本人の心に自然と根付いたものでした。

 

まさに人間と、神々や、宇宙の知的生命体とが

自由に意識交流ができた時代です。

 

一方、神道は主に弥生時代からです。

 

 

三重県伊勢市にある伊勢神宮が有名です。
日本で最も尊い神様である

天照大御神が御鎮座されています。

江戸時代には

「おかげ参り」という、

伊勢神宮にお参りにいくことが大ブームになり、
 

伊勢神宮は

「一生のうちに一度は行ってみたい」と

いわれる憧れの場所となりました。

 

 

神道は、弥生時代の到来から
つまり今から約2千年前、
元々日本にあった古神道をベースに

様々な外国からの宗教や、
その教えの影響を受けて成立してきました。

仏教であったり、儒教であったり
道教の教えの影響なども色濃く受けています。



また、キリスト教やユダヤ教の影響を

受けているのではないかと言われています。

つまり日本人は、
その素晴らしい和合の精神で、


全てを包み込み、統合していったのが
今の神道の形です。

 

伊雑宮

 


神道の方は8世紀前半に

古事記や日本書紀に書物としてまとめられました。

 

つまり天孫降臨、大和朝廷の正当性を主張します。

 

日本の皇室は、アマテラスの直系の子孫と言うことになり、

 

当時100以上、日本にあった小国をまとめて行くための

正当な理由とされました。

 

天照大御神の孫であるニニギノミコトが天孫降臨してきました。
 

天孫降臨 (神社庁蔵)

 

 

いわゆる天津神(天孫降臨族)の概念の始まり、

 

古神道に対する、神道の始まりです。

 

この時より

それまでの日本の古い神々は

国津神と称され、別のものとされます。

 

スサノオ

 

 

国津神には主な神として

下記の神々がいます。

 

オオクニヌシ、コトシロヌシ、アメノサギリ、クニノサギリ、タケミナカタ(諏訪神)、スクナヒコナ、猿田彦、オオヤマツミ、木花咲耶姫(浅間神)、木花知流比売、ワダツミ、大年神、ウカノミタマ(稲荷神)、クシナダヒメ 、トヨタマヒメ、タマヨリビメ、キクリヒメ 

 

そしてその代表が、

国常立尊(クニトコタチのミコト)

ではないかと言われます。

 

 

この神さまは、封印された神さまと言われています。

 

その経緯は以下の通りです。

 

国常立大神は、地球を創生し、総司令官をしていましたが

次第にその厳格さゆえに、

 

他の眷属神(八百万神)から不平がもれ始め、

 

世界の東北(=艮)の地にあたる

日本列島に封印されてしまう事になります。

 

 

それ以来、国常立大神は、

艮の金神、すなわち「祟り神」として恐れられ、

 

また、疎まれるようにもなり、

その存在すらも忘れ去られてしまう事になります。



このあたりの事情は、出口王仁三郎『霊界物語』によれば、

以下のようであったようです。

国常立大神の厳格さに嫌気がさした八百万神々や、

悪神と化していた

盤古大神と

大自在天神らによって

地上は大変乱れてきました。


そこで国常立尊はやむを得ず

天に向つて救援を要請しました。


国常立尊

 

 


天では天照大御神、

日の大神(いざなぎのみこと)、

月の大神(いざなみのみこと)、

 

この三体の大神が、

地の高天原に降臨し、

国常立尊の神政および幽政のお手伝いをすることになりました。

国常立尊は畏(おそ)れ謹(つつし)み、

三体の大神を迎えました。



しかし地上は国常立尊の神政は勢力を失い、

盤古大神および大自在天神の勢力は強く、

ついには国常立尊に対して、

御退位を迫る勢いでした。

天の御三体の大神は、

地上の暴悪なる神々に向かって、

なだめ、あるいは訓(さと)し、

 

天則に従うべきことを丁寧に説きたましたが、

時節は悪神に有利であり、

いはゆる悪盛んにして、

天に勝つ。という状態でした。

 

国常立尊



ここに国常立尊は神議(かむはか)りにはかられて、

 

髪を抜きとり、

手を切りとり、

骨を断ち、

筋を千切(ちぎ)り、

手足所(てあしところ)を異(こと)にするやうな

 

惨酷な処刑を甘んじて受けたまいました。



ですが国常立尊は宇宙の大原霊神(おほもとがみ)でしたので、

一旦肉体は四分五裂しても、

直ちにもとの肉体に復ってしまうのでした。

暴悪なる神々は

盤古大神と大自在天神とを押し立て、

遮二無二に

己の要求を貫徹しようとし、

天の御三体の大神様の

御舎(みあらか)まで汚してしまうことになったのです。



その結果、ついに国常立尊に

退隠の命令が下ることになりました。

さて天の三体の大神様は、

国常立尊は自分の家臣となって居ますが、

元来は国常立尊は大元の祖神であり、

 

御三体の大神様といえども、

国常立尊をご自身で生んだ関係がありますので、

心情としては国常立尊を

退隠させることは忍びなかったのです。

 

御嶽三尊 少彦名命 国常立尊 大己貴神

 

 

ですが時節のやむなきを覚り、

涙を流しつつ勇気を持って、

しばらくは八百万の神々の進言を、

認めることになりました。

その時、天の大神様は、国常立尊に対して

 

後日の再起を、以心伝心で伝え、

 

国常立尊に退隠をお命じになり、天に帰られました。



その後、盤古大神を擁立する一派と、

大自在天神を押立つる一派とは、

 

烈(はげ)しく覇権を争い、

ついに盤古大神の党派が勝ち

幽政(霊界)の全権を握ることになりました。


国常立尊と豊雲野尊 

 


一方、国常立尊(うしとらのこんじん)は自分の妻神である

坤金神(ひつじさるのこんじん)と、

 

大地の主宰神(金勝要神 きんかつかねのかみ)

および宰相神(さいしやうがみ)大八洲彦命(おほやしまひこのみこと)、

 

その他の有力なる神人とともに、

わびしく配所(はいしよ)に退去しました。



国常立尊が封印された後、

万神達は国祖の威霊が再び出現するのを恐れ、

七五三縄(しめなわ)を張りめぐらし、

 「煎豆に花が咲くまで出てくるな」と

呪いの言葉を投げかけました。

さらにその封印の力を強力にするために、

 

節分の日に

 

「鬼は外、福は内」と唱えさせました。

 

鬼とはもちろん

国常立尊のことです。



節分には、日本中がこの言霊を唱えます。

従ってどれほどの威力か測りしれません。


江戸時代終末期から明治初期

この国常立尊の復活の動きが日本各地で起こりました。

 

 

 

黒住教、天理教、大本教、

そこから派生した様々な教団

 

これらは、全て

国津神、古神道の神々を復活させようと言う、霊的な動きでした。

 

つまり、本当の意味で

国常立尊に復権して頂こうと言う動きです。

 

これらが目に見えない世界での動きでした。

 

 

1万5千年間も日本で続いた

平和な時代、縄文時代。

 

その時代には、争いの形跡が一切見つかっていません。

 

争い、いさかい、過度の所有意識が始まったのは

弥生時代からです。

 

つまり弥生族が大陸から

日本に渡って来てからのことになります。

 

弥生時代に始まった争いの様子

 

 

どうして縄文人は

争いをしなかったのかというと、

 

その理由は、

縄文人は外に「神」を作らなかったからでした。

「神」は人それぞれの「自分の中にある」と信じて、

お互いの「神」を尊重しあったからです。

自分の中の「神」が尊重されるには、

相手の中の「神」を尊重しないといけません。


縄文時代

 


このように、

すべての対象のうちにある

「神」を尊重しつつ、

 

自分のうちにある「神」に感謝した時代が縄文時代であり、

 

古神道の基本的な考え方でした。

 

これは、まさに

ブッダグループが、人類の精神性の進化のために

時を超え、今の時代に、取っている方法論と全く同じです。

 

まさに縄文回帰、

 

「縄文の心を取り戻せ」のスピリット。

 

 

これこそが、

 

私たちが、私たち一人一人の心の中にこそ

神さまを見出し、お互いを尊重し認め

 

助け合い、お互いさまの気持ちで生きて行く

 

精神的な支柱となります。

 

国常立尊の復権とは

そう言う意味を持っています。

 

地上の変化は、まず目に見えない世界で起こります。

上なる如く、下もまた然り・・です。

 

 

そして神々は、

人間の精神性の復活を通じ、

この地球を変えて行きますが、

 

その変化は、多くの人が期待するような

 

・派手で、

・ドラマチックな、

・天変地異のような

 

やり方ではないと思われます。

 

大事な物は見えない・・・

 

 

いつの世でも、やり方は同じです。

 

単なる好奇心を満たすような

サーカスを見せるような方法は取りません。

 

地味ですが、着実な方法です。
 

 

気付いたら、いつの間にか

ミロクの世が始まっていた・・ そんな形かもしれません。

 

 

 

それでは、明日から、出雲に行ってまいります。
 

 

 



※画像はネットからお借りしました。