自分の天命を巡る旅① | 大隅半島初の腰痛専門整体院【仁愛クリニカルルーム】

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ブログをご覧になって下さり本当にありがとうございます!


これを読んでくれている方は、こんなことで悩んではいないでしょうか?



「本当の自分って、何?」



自分が何者なのか、何を成せばいいのか、どうやって生きていけばいいのか、、、


そんなことを考えたことはないでしょうか?



今回は、私の原体験から自分が何者で、何を成すべきか導きだしたプロセスをお話しします。長くなるかもしれませんがお付き合いください。


この思考過程からあなた自身の「天命」を知ることも出来るかもしれません。


ちなみに「原体験」という言葉はご存知でしょうか?これは今の自分の行動を決定している過去の体験のことです。



私の原体験のキーワード、、【責任】 【「いじめ】 【自由】 【病気】 【承認欲求】



1983年12月22日



福留家の第一子として私は生まれました。

小さい頃はわんぱくで、手が付けられないような子でした。




そして厳格な父親のもと、怒鳴られない日はないほど毎日怒られていたそうです。


物心ついたときには、父親の存在は恐怖以外の何物でもありませんでした。


兄弟は下に、弟、妹、妹、弟の4人。


私は長男として、いつしか弟達の手本となるべく育てられていきました。

子供ながらに強い【責任】を背負って生きていました。


母方の孫の中でも一番上だった私に、祖父はいつも「大隅半島を背負って立つ男になれ!」と言っていました。


長男として、一番上の孫として大きなプレッシャーを感じていました。


人の目をとても気にする子供でした。

人の評価をとても気にする子でした。

人に【認められる】ことを良しとしていました。



小学生




バレンタインでチョコレートをくれたクラスの女の子に恋をしました。

しかし、その子との関係をクラスメイトに冷やかされた私は、恥ずかしさのあまり教室で号泣してしまいます。


担任の先生は冷やかしをしていたクラスメイトに立つように言いました。



クラスの男子ほぼ全員が立っていました。


その頃から、私はクラスメイトの輪の中に入れなくなっていきました。


昼休み、サッカーのチーム分けをする時はいつも最後まで残る、プレー中もパスをもらえない、何かのきっかけでクラスメイトとケンカになったとき、周りがみんな向こうの味方になった時、、、



死のうと思いました。



「僕には味方はいない」


「僕を認めてくれる人はいない」



4階の窓から飛び降りようと階段を登るときの孤独感、、


窓から下を見たとき、恐怖で足がすくんで、結局飛び降りれませんでした。私の高所恐怖症はあの頃からかもしれませんね。



あの時期、僕は【いじめ】られていると思っていました。


そう感じていました。



強い責任感が仇となり、自分のアイデンティティを保てなくなったと号泣して殻に閉じこもってしまった私には、クラスメイトのちょっとした無垢な言動が、剣のように心をえぐっていたのかもしれません。


小学生が寝つきが悪いなんて、心を病んでいたとしか考えられませんよね。



中学生


そんな私も中学生の頃には友人も増えて、居場所が出来ました。私はその居心地の良さに、自分が【認められている】という感覚に初めてなることが出来ました。




小さい頃は責任感ばかり強く、周りからの評価を常に気にしていた私が、初めて素のままで認められたという感覚でした。


「もう嫌われたくない」


そんな恐怖感もありましたが、友人に恵まれて楽しい学生時代を過ごしました。中学時代の友人は今でも親友です。


小さい頃から続けていた空手道も、ここにきて花開き、県大会、九州大会で入賞を果たすようになりました。指導者の先生や父親が喜ぶ姿を見ることが、何より嬉しく感じていました。


その頃から兄弟や道場の後輩を引き連れていくことにも居心地の良さを感じるようになっていました。



高校・専門学校


友人に恵まれた私は、だんだんと【自由】になっていきました。


高校では空手部のキャプテンを務め、それなりの成績を残し、監督にも信頼されていました。その時の監督とは今でも交流があり、数少ない人生の師ともいえる存在です。




良い意味では自由ですが、視点を変えると自分勝手、、

自分勝手な振る舞いが目立つようになり、人を思いやる気持ちは正直これっぽっちもなかったように思います。


必死で両親を説得して入った専門学校の勉強もせずにバイトばっかり、夜も遅くまで遊んで、朝方寝て、登校は昼頃でした。いつも代返を頼んでいました。


両親に対しても、兄弟に対しても、友人に対しても何の思いやりもなく、ただただ自分勝手でした。


お盆に帰省しなかった私に母親は「そんな息子を不甲斐なく思います」と手紙を送ってきました。渋々帰省しましたが、先祖に対しても思いやりのない青年でした。



【病気】


少しさかのぼって高校時代、私は腰を痛めてしまいました。

腰椎椎間板ヘルニアという診断で、何箇所も病院を回りましたが、最終的には手術を受け、ひと月ほど入院することに。




その時初めてリハビリテーションという仕事に出会います。人を癒し、人生を支えるリハビリテーションという仕事に憧れを抱きました。そして親を説得して進路を変更し、専門学校へ進みました。


進んだ後は散々な状態でしたが、人を癒し、治すことを素晴らしいものだと思っていました。



5人兄弟の一番上として生まれた私の【責任感】は、多分人並み以上だったと思います。


他人からの評価(多分この時は両親から)を気にするようになり、【認められること】に必死になって自分の世界に閉じこもっていきました。


そんな私を素のままで認めてくれる友人や師に出会えたことで、私は【自由】になっていきます。


自由が行き過ぎて自分勝手になり、他人のことを考えられない青年になっていきました。



後半へ続きます→ 自分の天命を巡る旅②

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