「脳と回想と関目」その29 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

脳炎日記です。
2012年に脳炎になってからの入院や病院通い、日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。
脳の病気には程度差があると思いますが、一見普通に見える人が後遺症に苛まされているさまを
ご笑覧ください。


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関目6丁目、グリーンハイツの話の続き。

うちから日の出が見えなくなったのが、このマンションが建った時。

 

よくよく考えると、高い建物がなかったころやったなあと。

関目1,2,4丁目や古市の方にはマンションがあったが、校区外だったので。

 

地図を見直していて、4丁目のメガロコープ関目は思い出せた。

どういうわけか城北川の近辺に集合住宅が多かった。

 

東和マンション以外で、昭和57年に、5丁目に関目駅前ハイデンスができた。

これがグリーンハイツの次にある11階建てマンションの記憶である。

 

グリーンハイツと違って、初期の頃は入居者が少なかった記憶がある。

今はどうか分からないが、当時は5丁目にはマンションはなじまなかったんだろうか。

 

グリーンハイツの話に戻るが、当時の同級生の名前を思い出そうと沁みたところ、10人も思い出せなかった。これは加齢のせいであろう。

 

もはや関東での生活が長くなっているため、当時の同級生との交流は皆無。

なので、思い出せなくて当然なのかもしれない。

 

さて、私が通ってたのは、大阪市立関目小学校

私が1年の時は9クラスで、プレハブ校舎が建っている状況だった。

 

収容人数が多くなりすぎたので、関目3,5,6丁目と、関目1,2,4丁目で校区が分かれることになり、関目東小学校が分離独立した。

 

昭和32(1957)年に関目小学校分校となったすみれ小学校(1958年分離独立)ができてから、その約20年後の昭和53(1978)年に関目東小学校が開校した。[注]

 

その関目東小学校ができたのが、グリーンハイツの目と鼻の先。

引越ししてきた生徒たちは、校区の線引き上、目の前の学校には通えなかった。

 

 

 

 

その30につづく。

 

 

 

→ 「脳と回想と関目」その1

 

→ 「脳と回想と関目」その28

 

 

 

 

 

[注]

学校沿革では正確に昭和53年と記されているが、Wikiは1977年と誤って記されている。(2018年8月1日閲覧時)

 

 

 

 

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