倒れてから6年経った。
早いものである。
6年前は確かに高次脳機能障害であった。
日常生活ができるかどうかも分からなかった。
意識混濁はある意味助かった。
私に現実を見せない防衛本能だったかもしれない。
自身の病気を自身で受け入れられるかどうかが分岐点だった。
ベッドへの拘束はそうしないと納得できないので。
同僚の親が倒れた時の話を聞いた。倒れた当人は、拘束されているのは悪いことをしてるからと思ったとのこと。たしかにあるあるである。
私も某国に捕らわれていた。
看護師が貼るメモは、工作員の連絡手段だと思っていた。
そういうことが冷静に判断できない。
捕らわれの身というイメージだけが頭から離れていないのだ。
脳がおかしくなっても、過去に得たイメージが何かを喚起する。
普段表に出てこないものが、病気になると出てくるという不思議さ。
感情のコントロールができず、時に怒ったり、時に泣いたり。
まるで子どものようだが、現実世界に何かを訴えようとしている。
同一人物の中に大人と子どもが同時に存在している。
別人ではないが、多重人格になっているのかもしれない。
そして、見た目がおかしくても別世界でちゃんと生きてるということ。
パラレルワールドというのは、案外こういうものなのかもしれない。