私がよく聴いていたのは、1970年初頭の高校生の頃であり、当時は深夜放送ファンという専門誌も発行されていて、深夜放送の全盛期でした。ラジオを聴きながら勉強をする人たちのことを「ながら族」と呼んでいた時代である。

 

 当時の沖縄では、ラジオ沖縄が文化放送の「セイヤング」をネット、琉球放送がTBSラジオ「パックインミュージック」をネット放送していました。「セイヤング」のパーソナリティーには土居まさる、落合恵子(レモンちゃん)、みのもんた、はしだのりひこ、加藤諦三さんなどがいました。「パックインミュージック」では小島一慶、愛川欽也、拓郎、山本コータローさんなどがパーソナリティーを務めていました。
 私は当時、地元沖縄のラジオ放送はあまり聴かないで、ネットされていないキー局の番組、毎日放送「MBSヤングタウン」谷村新司(チンペイ、くずれパンダ)&ばんばひろふみ(バンバン)さんの放送、そしてニッポン放送の「オールナイトニッポン」糸居五郎、亀渕昭信、斎藤安弘さんの放送、また東海ラジオ「ミッドナイト東海」岡本典子(リコタン)さんの放送など日替わりでダイヤルを合わせていました。深夜帯になると受信状態がよくなり広い範囲の放送を聴くことが出来ましたが、時々中国、朝鮮放送の混信に悩まされながらも懸命に聴いていました。遠距離受信に目覚め恋した様なものです。
 
 当時の深夜放送で特に印象に残っているのは「オールナイトニッポン」ではカメ(亀渕昭信)さんのビバカメショーで武藤礼子さんがサイモン&ガーファンクルのインストゥルメンタル曲(ボストン・ポップス・オーケストラ?)に合わせて訳詩を朗読したあとに彼らの原曲をかける。「サイモン&ガーファンク特集」と、同じくアンコー(斎藤安弘)さんにはアート・ガーファンクルの初シングルレコード発売の曲名が雑音に紛れて聞き取れず問い合わせたら「ALL I KNOW 日本タイトル友に捧げる讚歌」をハガキで丁寧に教えてもたったことが特に記憶に残っています。しばらくしてアートはソロ第一作目の「天使の歌声/エンゼルクレア」のアルバムをリリースした。オールナイトニッポンは私の洋楽のバイブルでした。
 
 「パックインミュージック」での印象深く残っているのは、小島一慶さんがリスナーであり骨肉腫で17歳という若さで亡くなった鈴木由里さんという女性の「ともしび」という手記を朗読していました。たしか1972年の夏だったと記憶しています。涙なくしては聴くことができませんでした。
               
                夏を閉じる日
夏を閉じる日 散っていく花びらに 少しの言葉がほしい 空まわりしている詩に 確かな鼓動がほしい 夏を閉じる日 ブランコの揺れる あの日に戻りたい 開かれた白いページに 瞳をうずめていたい 夏を閉じる日 心を閉じて 一人でいたい  (鈴木由里)
 
 手記の後にかかった曲、ニール・ダイアモンドの「ソング・サング・ブルー」は今も私の脳裏に焼きついています。
 
  毎週木曜日、欠かさず聴いていたのは「MBSヤングタウン」パーソナリティーは谷村新司&ばんばひろふみさんの番組でした。谷村さんは1972年「アリス」デビュー間もなく、まだメジャーになる前の頃で番組では「明日への讚歌」がよくかかっていました。トークがうまく、心の底に人間に対する優しさみたいなものが川のように流れている人です。番組で記憶に残っているのはポエムを紹介するコーナー小椋佳の「さらば青春」をBGMとして、ナレーション「短い青春のちっぽけな別れ、不思議にすべてが眩しかった頃、心のすみにぽつんとすわっている寂しそうな思い出、さよなら初恋」さよなら初恋コーナーが印象深く残っている。
「いろんな人の優しさに出会い、いろんな人のあたたかい心に触れ合い、つまづきながら、あせをいっぱいかきながら歩いてきました。みんなはお前は変わったねといいます。いくらつらくても、いくら周りが変わっても僕は自分の選んだ道を歩いてきたことに誇りを持っています。今までは沢山の人と歩いてきたけれど今日からは一人で歩るくんだなぁと思うと、しょんぼりしたりして・・・でも人間というものはやっぱり一人だ、人生というのも・・・悔いのない時間、悔いのない日々、悔いのない青春、悔いのない人生をおくれよというのが幸せの眠りにつけるような気がします。一人で生きているからこそ人を愛し、人を信じる、裏切られ涙かわいたら、私は今からまた新しい誇りを求めてどこまで続くかわからない道を、歩いていきます。たとえ涙を流すようなことがあっても決して振り返りはしません。今日は今日であって、ただ思い出として心に残しておくものであり決して見つめるものではないと思う。生きているという実感を肌で感じながら歩いていきます。また会おうねて言わればやっぱり寂しい、お別れ、最後に私の一番きらいな言葉をあえて口にします。さよなら! (谷村新司ヤンタン降板時のコメント1973年4月14日、当時のメモより)
 この二人のコンビは後に文化放送の「セイヤング」に抜擢される。ヤングタウンでは割と硬派な内容の放送だったように思うがセイヤングではお笑い、下ネタものが多くなっていった。当時の若者に支持され一躍人気パーソナリティーになる。またアリスは1975年「今はもう誰も」のヒットを契機にヒットを連発した。余談になるが谷村新司さんは2015年春の紫綬褒章を受賞している。
 
 「深夜放送」記憶に新しいところでは2003年9月から2009年3月まで放送された「オールナイトニッポン、エバーグリーン」パーソナリティーを務めたのは、かつて人気のあったアンコーの愛称で親しまれた斎藤安弘さん軽快なトークで再びリスナーを楽しませてくれたが残念ながらあまり聴くことはできませんでした。
 遠い昔の深夜放送、多感な少年期、私はラジオを通じて自己形成されたと思っている。団塊の世代ではないですが、時々NHK「ラジオ深夜便」にお世話になっている。