具体的に何か特別な出来事もない、ありきたりの日々であっても自分の内側で何か変化が起こっていると感じることがあって、それはそれで悪くないと思っていた。

 

だが、ここのところまったく動かない感覚があって、停滞感というか、まったく止まっているなという感じだった。

例えば冬の桜は葉を全て落とし、美しいシルエットになっている間、その内側は決して眠ってはおらず、春の準備に向けてせっせと活動している。そんな内側のエネルギーの動きみたいなものがここずっとしばらく、まったく止まってしまったような感覚が続いていた。

 

だが近頃また動き始めた感覚がある。

 

一つ行動を変えた。

普通の人なら当たり前にやっていること。

食事をする時はちゃんと座っていただく・・・これが私はまったくおざなりだった。

人と一緒に食事する時は当然座って味わうが、1人の時は立ったまま適当につまんで終わりの時が多い。母の世話を優先してしまうので、自分の食事は用事の合間に台所でそこにある食べ物を立ったまま適当に口に入れ、すぐまた用事に戻っていた。行儀は悪いが、時間短縮を一番としていたのだ。

 

それをあるYou Tubeをたまたま見た時、それは「作業」になっていると言っていたのを聞いてハッとした。心がここにないのだ。

忙しくてもきちんと「今」に心を集中しようと思った。

 

それからまだ1週間だが、お盆に食事を用意し、テーブルに置いて、座って味わう。新聞や本はその間は読まないし、スマホも手に取らない。時間は短いながらもきちんと食事に向き合うようにした。すると今更だが、本当に味が違うのだ。ああ、おいしいなあってしみじみ思う。こんな時間を失っていたのだなあとあらためて思った。効率重視で動くことは時に大切なものを失ってしまう。

特に火を入れていない果物などは太陽のエネルギーがそのまま流れ込んでくるような感じで、食事ってこういうことなんだなあと本当に今更ながら思った次第。

 

 

いろいろ周囲に振り回されている自分を自覚。

人はそれぞれ好きなことを言う。それぞれが信じていたり、信じていないことを発信する。

それが自分にかなり影響を与えている場合がある。

そこに巻き込まれてしまうと自分を見失う。

 

大切なのは人が何を言ったかではない。実はその内容ではないのだ。

何もかもが変化していくなかで、一時の何かに囚われるべきではない。

私が心しておくべきことはとてもシンプル。

 

私は今、ここにいるか。

私は愛から発しているか。愛から行動しているか。愛から判断しているか。

 

どちらにも立たない。

私は中道に立つ。

私は私を信じ、私の判断の及ばないことはすべて宇宙に委ねる。

 

 

 

また本を大人買いした。

あさのあつこの弥勒シリーズ新刊「野火、奔る」

戸矢 学「縄文の神~よみがえる精霊信仰」

千賀一生「縄文の円心原理~現代原理を覆す「和」の原点」

梨木香歩「炉辺の風おと」

 

アマゾンで注文したのは

ジェイコブス章子「魂を輝かせる光曼荼羅 真我の響き」

ひすいこたろう ショーゲン「今日、誰のために生きる?」

 

 

 

道はずっと続く。