今日は英語のクラスの終了後、ご縁あって、滋賀県の御上神社に参拝した。
野洲駅からバスで7分程度。御上神社前で下車するとすぐに大きな鳥居が見える。
参道の木々がのびのびとしていて、鳥やつくつくぼうしの鳴き声が心を潤す。
ここしばらく自然にふれあう機会がなかったので、心がとろけていく。
やっぱり、時々はこんな場所を訪れたいなと思う。
拝殿の前で手を合わせる。
たちまち、あちこちに散らばった自分のかけらが自分の元に戻ってくるような感覚がある。
いつも感じるのだが、神社を参拝すると自分の中心に戻ることができる。
身につけた余計なものが取り除かれる感覚。
ここにも素敵な木々がある。
日曜日とはいえ、参拝客は少ないのでゆっくりお詣りする。
帰りの予定していたバスの時間までそれほど余裕はないのだが、せっかくだからと三上山頂にある奥宮に行ってみることにした。
巫女さんに「かなりしんどいですか?」と聞いたら、少し困った顔をして「そうですね」との返事。入山料500円を払うと日付の入った道中安全のお札をくれた。
登山口は神社から5分ほど歩いたところ。
天気も良く、途中ののどかな景色を楽しむ。
ここまではよかった。
ここまでは。
登山道というのはやはり登山道だった。
裏と表とあるうちのの初心者向けの裏の道を選んだ。私は初心者以下の入門者なので、40分ほどで頂上まで行けると書いてあっても休み休み登るので、ちっとも進まない。
しかも道はさらにさらに厳しくなる。岩肌のむき出した道を杖をつきながら登る。
40分ほど経った時、下ってくる人に「頂上までまだ大分ありますか?」と聞いたら「まだ大分あります」と答えられ、あともう少しと思っていただけに、心が折れた。
それからもう少しだけ頑張ってみたけれど、時間もないし、残念ながら残り4分の1を残して諦めた。
降りるのもかなり大変だった。
1時間に1本のバスを逃したので、仕方なく駅まで30分ほど歩いた。足がヘロヘロ。
ただ、一つ気がついたことがある。
登っている間、アセンションって多分こういうことなんだろうなって思ったこと。
登る時も、下る時も、どこを行けば一番安全に楽に行けるかを他の道と比較しながらその都度その都度選んでいく。
一本道ではないので、どのように行くかを常に考えながら進んでいく。
次元が上がると視野が広がる。だから、道の選択肢が広がる。
昨日、「アセンションとは意識の制限を外すこと」という言葉に出会った。
制限が外れるというより、視点が上がり、視野が広がり、選択肢が増えることではないかと感じた。
まあ、同じことをどう表現するかの違いだけれど。
その広がった選択肢の中で一つ一つよりよいものと思うものを選んでいく。
その結果はすべて自分の経験として自分の内に積み重なっていくし、自分の周りの現実として表現されていく。
なんか、そんな風なものではないかと感じた。
今日はアセンションとは何かを体感した日。