プロ野球80年史 vol.11【1953年】 | ユウキのまにまに。~ツバメと艦これ、たまーに探検~

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話題はプロ野球中心。東京ヤクルトを中心に、自分なりの視点で切り込んでいく、つもり。
テキトーに書いてるので、更新頻度はかなりまちまち。

現在「プロ野球80年史」をつらつらと執筆中です。

・セ・リーグ
巨人が独走態勢を敷いて盤石の3連覇


メジャーリーガーをも震撼させたサイドスロー投手、大友工

この年の初め、大洋ホエールズと松竹ロビンスが合併。名を「大洋松竹(洋松)ロビンス」と改めた。
シーズンでは、春に初めて海外(アメリカ・カリフォルニア州サンタマリア)でキャンプを行った巨人が圧倒的な強さを見せる。なんと開幕から一度も首位を陥落せずに、2位の大阪を16ゲームも引き離して優勝を決めたのだ。
もちろん、個人タイトルの半数近くを巨人の選手が占めた。ベストナインに至っては、大阪の2人を除く7人すべてが巨人から選ばれるほどだった。





・パ・リーグ
首位が28回も入れ替わる大混戦を制し3連覇を果たした名門・南海ホークス


「100万ドルの内野陣」のセカンドを守った岡本伊三美

巨人の独走に終始したセ・リーグとは違い、パ・リーグは混戦の模様を呈していた。
主に優勝争いに加わっていたのは南海、阪急、大映の3つ。阪急は本拠地の西宮球場にナイター設備が登場し、そのナイターに強かったことから「夜の勇者」とあだ名された。南海は前年活躍した投手陣の服部武夫、江藤正、柚木進が不振に苦しむ誤算があったものの大神武俊、井上愼一が活躍してその穴を埋めた。
3チームは終盤まで優勝争いを続けたが、最終的には南海が大映、阪急を振り切って3連覇。特に大映は南海に優勝を許したことで緊張の糸が切れたのか、南海優勝時に2位につけていたのが一気に阪急にも抜かれ3位に甘んじている。





・日本シリーズ
巨人がまたしてもシリーズを制覇、南海はまたしても涙を呑む


1956年には史上初の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録した樋笠一夫

1953年の日本シリーズは、全日程終了後に行われる日米野球の影響で移動日が全くない過密なスケジュールの中で行われた。
初戦は延長戦の末南海が勝負を決めるも、続く2戦目を巨人が取ってタイに持ち込む。
3戦目は史上初の降雨コールドとなり、4戦目、5戦目は大友・入谷正典の完封で勝ち星を挙げる。
意地を見せたい南海は6戦目に大神が意趣返しとばかりに完封勝利を挙げるも、最後は巨人が南海を振り切って日本シリーズ3連覇を決めた。





・アラカルト
赤貧球団の苦難…広島カープ黎明期の歩み


カープ黎明期を支えた「小さな大投手」長谷川良平

そもそも広島カープは、1949年にプロ野球の球団拡張計画に乗って設立されたもの。しかし他の球団が親会社を持ったのに対し、カープは最初から市民球団として誕生したため何の強力なバックも持っていなかった。そのため、石本秀一監督自ら選手を集めていた。
もちろん、資金も設備も不十分なためにペナントでも苦戦を強いられる。創設1年目の1950年は15球団で唯一勝率3割を切って最下位。1951年には早くも球団解散の危機に陥ったが、この時は「樽募金」で何とか消滅の危機を乗り切っている。
だからと言ってチームが急に強くなるわけもなく、1952年には再び消滅の危機に追いやられるがこれも危うく回避している。
1950年代中盤からはなんとか「赤貧」から抜け出すものの、それでも低迷は続いた。1968年に初めてのAクラスに入るまで、実に18年連続Bクラス。1975年の初優勝を遂げるまで、さらに時間を要することになる。